サマー大作戦に賭ける、
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72507779.html の続き、危機的状況に陥っていた今井科学はキャラクター物からは撤退し、オリジナル的なスケール性の強い物に方針を転換する、 (昭和44年4月7日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み) (昭和44年4月7日 日本模型新聞...
View Articleイマイ サマー大作戦
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72508852.html の続き、まづ、その「イマイ サマー大作戦」のカタログには、どんなプラモがあったのか、ご覧いただこう、今井科学 サマー大作戦 マジック ゲンゴロウくんこの中には、ついに発売できなかった幻のプラモもある、その「サマー大作戦」と同時に、新規に発売する国産車スケール物のキャンペーンも行う、...
View Article昭和44年7月 倒産
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72508962.html の続き、そして、ついに力尽きて今井科学は昭和44年7月9日に八百万円の手形が落とせずに第一回目の不渡りを出し、事実上倒産した、 (昭和44年7月14日 日本模型新聞...
View Article渥美産業のライトプレーンで、
中学生の時以来、ライトプレーンを飛ばして遊んだことはない、まあ、飛ばそうと思ってもそのような空き地を探すのも大変、かつては校庭で飛ばすこともできたが今では学校の門に入ることもできない、今となっては、子供達が飛ばして遊んでいるところを見たこともない、しかし、東急ハンズなどへ行くと工作キット売り場では売っているので今でも誰かが作って飛ばして遊んでいらっしゃるのだろう、数年前に一機だけ作ってみたが未だに飛...
View Articleバンダイの支援により更生会社に、
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72511218.html の続き、今井科学を破産させると市場に多大な影響があるので、なんとか更生させようと最終的にはバンダイが仕方なく?手を挙げた、その理由は下記の模型新聞の記事のとおりである、 (昭和44年11月10日 日本模型新聞...
View Article東京タワーが爆発的ヒット
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72512937.html の続き、フジミ模型社と分離して今井商店として活動を開始後はどのような木製模型の製品を発売していたのだろうか、残念ながら当時の今井商店のカタログは今まで一度も見たことない、はたして発行していたのかどうかもわからない、まづは、日本模型新聞、日本教材新聞に載っている広告で順を追って紹介してみよう、...
View Article東京タワーを追加増産
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72514083.html の続き、今井商店の東京タワーは爆発的な売れ行きとなり、夏に入ってもなおも売れ続けた、 (昭和34年7月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み) (昭和34年7月25日 日本模型新聞...
View Article今井商店から今井科学へ、
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72520427.html の続き、 (昭和34年12月5日 日本模型新聞 ㈱自トッププレス監修済み)昭和34年12月、今井商店は今井科学㈱へと会社組織に変更した、フジミ模型社からの分離後の今井商店から6年後のことであった、...
View Articleフジミ模型社として共同経営に至った経緯、
ところで、昭和27年までフジミ模型社として斉藤社長と今井社長は共同経営していたが、両者の接点はなんだったのだろうか、そう、そもそも共同経営に至った経緯は何だったのだろうか、そのことについては、次の日本模型新聞の記事に書かれている、 (昭和42年3月6日 日本模型新聞...
View ArticleニチモのM-46パットン戦車の広告には
ニチモのM-46パットン戦車は昭和35年2月頃発売されたが、その発売広告で気が付いたものがある、何に気が付いたのかというと、その広告に載っているパットン戦車の写真のことである、 (昭和34年12月5日 日本模型新聞...
View Article新戦艦高千穂
日本初のSF模型キットは、「新戦艦高千穂」であることはすでに紹介している、日本初のSF模型キットは、ただ、これは僕が勝手に決めつけたものであるが、だから間違いはない(笑)そのキットの詳しいことがわからなかったが、日本模型新聞にそのことが詳しく掲載されているので紹介しよう、 (昭和46年7月26日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)...
View Article今井科学の再生スタートはマスコミ物で、
昭和44年7月に倒産した今井科学は昭和46年に再生スタートした、ただ、その再スタートした正確な日時はわからない、日本模型新聞等にもその関連記事は載ってない、再スタート後の最初の記事が次の広告となっている、 (昭和46年5月17日 日本模型新聞...
View Articleワイヤーリモコン
今や、家庭電化製品といえばそのほとんどがリモコン式になっている、実は、昭和34年頃にはテレビもリモコン式のものがすでにあった、小学4年生の頃、友達の家に遊びにいったところそこにテレビがありチャンネルを変えるのがリモコン式であった、たしか遠隔操作などと称していたと記憶している、テレビ自体が一般家庭にはそんなに普及していない時代にそのような遠隔操作できるテレビが目の前にあったことに驚いた、もちろん、その...
View Article大日本飛行協会
戦前に逓信省が設立した財団法人で「大日本飛行協会」というのがあった、大日本飛行協会早い話が、国家直轄の組織であった、その、「大日本飛行協会」が発売していたものの一つに模型飛行機があった、その発売していた模型飛行機の中で、敵国アメリカの「ボーイングB-17E爆撃機」である、最高機関である「防衛総司令部」指導、とある、これからも戦時中でも国家として航空機教育の指導に力を入れていたかがわかる、残念ながら中...
View Article昭和32年の静岡のメーカー巡り
かつて、日本模型新聞社(現㈱ジートッププレス)の本社は大阪天王寺にあった、その頃の社長は田村偵造さん、今のように情報網が発達していない時代なので模型メーカーの情報等を直接掴むためには現地へ出向いて自分の目で見なければならない、昭和32年9月に、静岡のメーカー巡りした時の記事が載っている、 (昭和32年9月25日 日本模型新聞...
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