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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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昭和32年の静岡のメーカー巡り

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かつて、日本模型新聞社(現㈱ジートッププレス)の本社は大阪天王寺にあった、

その頃の社長は田村偵造さん、今のように情報網が発達していない時代なので模型メーカーの情報等を直接

掴むためには現地へ出向いて自分の目で見なければならない、

昭和32年9月に、静岡のメーカー巡りした時の記事が載っている、

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         (昭和32年9月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

その頃の静岡はのどかな街だったらしい、駅前に一番近いメーカーが「静岡教材」だった、

社長はパチンコが好きだったとか、

その頃はすでに静岡の模型業界も景気がよかった、

渥美産業では店舗を新築し、ライトプレーンを6種ほど生産中であるとか、

その渥美産業も忙しい様子なのであまりゆっくり出来なかったと、

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その6種のライトプレーンがこのポスターの製品、

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そう、ハセガワ模型はなぜか艦船模型では「バンガード」が好で力を入れていた、

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この記事では「静岡理工社」のことが書かれている、

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斎藤さんもパチンコが好きだったとか、

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今井商店は2階建ての新築したばかりで都会の問屋にも負けないくらいの店構えであったと、

清水一の模型メーカーだと持ち上げている、まあ、清水次郎長の本場なので、その当時は静岡よりも格が上

だったのだろう、

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この、101型90ミリ自走砲は早速、静岡教材社から発売された、

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当時の静岡メーカーの店舗の写真を紹介しよう、

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さて、冒頭の記事の渥美産業は今年の春、その歴史に幕を閉じた、

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創業当時の店舗、

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昭和32年に新築した店舗、

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その店舗はそのまま引き継がれ、昭和40年3月にメーカーから問屋として今日まで至ったが、今年の春に廃

業、まだ現地で確認はしていないが、おそらくこの店舗は取り壊されたのではないだろうか。

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