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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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昭和44年7月 倒産

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そして、ついに力尽きて今井科学は昭和44年7月9日に八百万円の手形が落とせずに第一回目の不渡りを

出し、事実上倒産した、

イメージ 1
              (昭和44年7月14日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

これは、7月9日の約手決済額が八百万円だということで、中旬、下旬とその後約手の決済は回ってきたはず

である、その額は一体どれほどになったのかは資料等もなく僕はわからない、

倒産直後の問屋等の動きの記事があるのでその一部を載せてみよう、

イメージ 2
         (昭和44年7月21日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

ある問屋等は今井科学の製品を買いあさったとある、

イメージ 3
              (昭和44年8月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

続いて、今井科学社長と仲が良かったらしい問屋の「山本屋」も倒産、

イメージ 4

同じ紙面には、今井科学側が財務諸表や資金の移動等を債権者から求められたが拒否したとある、

まあ、隠し事などいろいろと知られてはまずいことがあったのだろう、どのようなことがあったのかは僕もまった

くわからない、当時の今井科学の関係者の方々も固く口を閉ざされていらっしゃる、という、

イメージ 5


そして最終的には、㈱バンダイが今井科学の更生に向けて支援に乗り出すことになった、

イメージ 6
             (昭和44年11月10日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

そのバンダイの支援の内容とは、      <続く>

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