そして、ついに力尽きて今井科学は昭和44年7月9日に八百万円の手形が落とせずに第一回目の不渡りを
出し、事実上倒産した、
これは、7月9日の約手決済額が八百万円だということで、中旬、下旬とその後約手の決済は回ってきたはず
である、その額は一体どれほどになったのかは資料等もなく僕はわからない、
倒産直後の問屋等の動きの記事があるのでその一部を載せてみよう、
ある問屋等は今井科学の製品を買いあさったとある、
続いて、今井科学社長と仲が良かったらしい問屋の「山本屋」も倒産、
同じ紙面には、今井科学側が財務諸表や資金の移動等を債権者から求められたが拒否したとある、
まあ、隠し事などいろいろと知られてはまずいことがあったのだろう、どのようなことがあったのかは僕もまった
くわからない、当時の今井科学の関係者の方々も固く口を閉ざされていらっしゃる、という、
そして最終的には、㈱バンダイが今井科学の更生に向けて支援に乗り出すことになった、
そのバンダイの支援の内容とは、 <続く>