昭和34年12月、今井商店は今井科学㈱へと会社組織に変更した、
フジミ模型社からの分離後の今井商店から6年後のことであった、
まだこの頃も木製品の艦船模型を出している、
すでに、マルサン、ニチモ、三和模型、三共模型、相原模型、等々の東京勢が続々とプラモに参入し、1年以
上経っていたが、今井科学等の静岡勢はまだまだ木製時代は続くと見ていた、
この頃はまだ今井商店時代のロゴマーク、
急激なプラ模型の普及に静岡勢もいよいよプラ製品に本腰を入れることになる、
そしてついに、今井科学としては初のプラモデルを発売することとなる、
その今井科学初となるプラモデルが戦艦の榛名、金剛、霧島の3種類であった、
その発売予定としては7月中旬頃までには一斉に発売することとなった、
しかし、それでもなお木製模型に未練があり木製模型も並行して生産していく、
その一番手が戦艦榛名であった、
しかし、7月中旬どころか、8月下旬になっても発売されることはなかった、毎号のごとくこの広告が日本模型
新聞に掲載されている、
そして、やっと一番手の戦艦榛名の発売広告が出ている、この間には模型新聞にも発売したという記事も広
告も出ていない、おそらく、9月に発売されたのだろう、
なぜ発売が遅れたのかはわからない、考えられることは、金型の制作が遅れたか、またこの昭和35年も物凄
く木製模型が売れ生産が追い付かなかったのも事実であり、先走ってまだ生産などもしていなく開発段階にお
いても近日中に発売などと称して先行予告するのが常套手段でもあった、
それともう一つ、今井科学では密かに開発していたプラモデルがあった、
それは、模型界においてもまだ誰も手を付けていない分野のプラモデルでもあった、
<続く>