金型使い回しの戦艦長門、
金型の使い回しはよくあること、今回は、戦艦長門の使い回しについて、上から順に、三和模型、大滝製作所、童友社、の戦艦長門、これらは同じ金型の使い回し、上が三和模型、下が大滝製作所、三和は穴が開いているが、大滝のはボッチに、三和はボッチが、大滝にはない、そしてNAGATO...
View Article文春、「日本プラモデル60年史」で
今までの指摘のように、発売年代についてはその多くがデタラメ、一つ一つチェックするのも疲れてきた、今日は、「ガメラとバルゴン」の記述の部分について、この赤線の部分、ガメラは昭和41年7月となっている、これは正解、ただ、「バルゴン」のことが書かれていない、とにかく中途半端、おそらく、「ガメラ」も「バルゴン」も一緒に発売されたのだろうと適当に流したのだろう、そこまでチェックする読者はいないだろうと、ところ...
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まあ、細かくチェックしてみると、いろいろとデタラメが見つかってしまう、今回は、昭和42年10月に発売されたタミヤのキングタイガーについて、その1/35...
View Article渥美産業は、
渥美産業(大州模型)は去年春、60数年の歴史に幕を閉じた、この店舗はその後取り壊され今は跡形もない、昭和40年3月までは模型メーカーとして、その後は「大州模型」と名を変え問屋として活動した、しかし、その渥美産業についての詳しい実態はほとんど語られてはいない、そのほとんどが、艦船モデルの「洋上模型」くらいである、この日本最古のロボット模型キットやロボット型貯金箱についてもその存在さえ知られてはいなかっ...
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そもそも、模型に関する書籍の出版というものは著者自身が模型が大好きで、実際に原体験などがないと書けない、この本の表紙の帯の「僕たちはプラモデルが大好きだった!」という表現は白々しい、この著者の方はハッキリ言って、模型にはあまり興味がなく、子供の頃も遊んではいなかったのでは、とにかく、出版して(なぜ出版しなければならなかったのかは、もう読者の方はおわかりだろう)、それと、印税の小銭を稼ぎたかっただけの...
View Article東京プラモ リトルタンク
どちらかというと、駄玩具系といえる東京プラモの「リトルタンク」シリーズのプラモがあった、10種類あったようで、 (昭和35年9月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)そう、実は三和模型のHOサイズ 「マイクロプラスケールモデル」と同じもの、あちこちと接着剤の跡が、おそらく、オバちゃん達が接着剤でくっ付けて組み立てた後パック詰めしたのだろう、...
View Article科学教材社はその後、
東京の「科学教材社」には7年ほど前に行ったことがある、その後、その店舗のビルは取り壊しとなり近くのビルの一室で営業されていた、4年ほど前にそこを訪ねてみたが、あいにくと社長さんは留守でパートの女性が店番をされていた、それ以来訪ねてはいないので、今はどのようになっているのかわからない、子供の頃、「科学教材社」は僕が行ってみたい模型店であった、しかし、地方にいた僕は東京までは行くことができなかった、今で...
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今度は、静岡模型教材協同組合の設立について、赤線の箇所で、昭和30年7月には静岡教材社、 五社が集まり、というところ、違います、正解は、昭和30年8月に、業界人11人が集まり、です、次の日本教材新聞にそのことについて記事が載っている、 (昭和30年8月10日...
View Article注意!!宇宙戦車アトラス
ありゃ~!!、また、皆が騙されている、もう何回目だろうか、https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g325863464質問欄で警告したが、回答はもちろん返答ありません、ありゃ~!!最終的に41,600円とは、物が届いて箱を開けて、やられた~!!、
View Articleロボット模型第2号は、
さて、すでに紹介しているように日本最古のロボット模型は渥美産業の木製のロボットであった、 (昭和31年4月10日 日本教材新聞)その発売時期を具体的に特定はできないが、この広告が一番古い、なので、昭和31年4月頃ではないかと推測される、ところで、その次の2番手はとなると、 (昭和31年11月10日...
View Article文春、「日本プラモデル60年史」で
今までそのデタラメ部分を指摘してきたのは200頁の内のまだ86頁だけ、まだ半分にも満たない、たったそれだけでもいろいろとデタラメぶりが出るわ、出るわ、もうキリがない、あとどれだけ出るかわからない、もうこれ以上やっても時間の無駄なのでとりあえずはやめた、これで、「日本プラモデル60年史」という書籍がいかにデタラメ本であることが少しは日本全国?に伝わったことだろう(笑)、もちろん、巻末の模型歴史の年表に...
View Articleアマゾンでの「日本プラモデル60年史」に、
すぐに削除されるかと思っていたが、https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E5%85%AD%E3%80%87%E5%B9%B4%E5%8F%B2-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E6...
View Article文春、「日本プラモデル60年史」で
今回の、「日本プラモデル60年史」について僕はいろいろと過激に?批判してきました、もちろん、その言動は見方によってはなんとも大人げないことでもあり、このような言動の僕が気の毒な人間に見えるかもしれません、まあ、その見方は人によって様々でしょう、そのようなことは充分にわかっており、覚悟のうえで書いてきました、その覚悟がないとここまで書けないでしょう、また僕自身いまだかってこのように具体的に過激に書いて...
View Article過激な人間なもので、
もうおわかりのように僕の言動は過激であり、いろいろと問題もあります、わざわざ指摘されなくてもそのようなこと充分にわかっております(笑)、なぜそうなのかは、昨日に書いたとおりであります、あれでも差し支えない程度に書いております、ですから、人様にご迷惑をお掛けしないように気を付けていることがあります、そうです、僕と関わってご迷惑をお掛けしたらいけないからです、例えば、模型に関することで資料などの提供依頼...
View Articleもう2年以上に、「ジョイハウス」の小川さんが、
「ジョイハウス」の小川さんが亡くなったのは11月3日、もう、2年以上も経ってしまった、つい数か月前のような気がしてならない、月日が経つのは早い、小川さんと僕は同じ歳、たった一か月の違い、僕が一か月早かった、2年ほど前の記事にも書いたように、小川さんから亡くなる日の4日ほど前に突然電話がかかってきた、それは、1年ぶりの電話であった、それまで特に電話もなかったので病気も回復され元気なのだろうと思っていた...
View Article渥美産業の「スポーツ機」
すでに紹介している日東科学のスタントプレーン ゼロ戦日東科学 スタントプレーン 零戦実は、このような模型は木製模型時代の頃にはすでに発売されていた、 (昭和32年1月10日 日本教材新聞)そう、この渥美産業の「リモートコントロール...
View Article文春、「日本プラモデル60年史」で
このようなデタラメの本はアマゾンに返却しようかとしたが、赤線などで汚してしまったのでそれは無理、保管していても目障りなので今日、ゴミとして捨てた、ただ、皆さんは模型雑誌出版史上最悪の書籍の記念として保存しておいていただきたい、この模型の趣味の世界に入ってから僕も随分とこのように性格が悪くなってしまった、僕が模型の趣味にはまり出したのは阪神淡路大震災の前くらいだから、まだ24年くらい、その頃はまだ性格...
View Articleゼンマイ式の船外モーター
「戦艦比叡」が発見されたらしい、「戦艦比叡」はかつて天皇陛下の御召艦であった、僕が戦艦比叡のプラモの箱絵で一番好きなものがフジミのプラモ、戦艦比叡それから、次の渥美産業で発売されていたゼンマイ式の船外モーターで、これを取り付けていた模型を探していたらその完成写真があった、
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