東京の「科学教材社」には7年ほど前に行ったことがある、
その後、その店舗のビルは取り壊しとなり近くのビルの一室で営業されていた、
4年ほど前にそこを訪ねてみたが、あいにくと社長さんは留守でパートの女性が店番をされていた、
それ以来訪ねてはいないので、今はどのようになっているのかわからない、
子供の頃、「科学教材社」は僕が行ってみたい模型店であった、しかし、地方にいた僕は東京までは行くことが
できなかった、今でこそ簡単に日本中どこでも行けるが東京は修学旅行でないと行くことができない憧れの大
都市であった、その東京にある「科学教材社」は僕の憧れの模型のデパートであった、
これらは、戦時中に「科学教材社」が発行していた「日本理科少年」という科学模型工作雑誌で、昭和16年3
月号から昭和17年6月号までのもの、
「科学教材社」の歴史は古い、数年前にもすでに紹介しているが、もう一度繰り返すと、
昭和16年9月頃に出版社の誠文堂の代理部から分離して設立された、
そう、国策としての模型工作奨励のための工作材料供給会社として設立された、
その頃は、金属類の素材については制限され「金属類回収令」などにより一般家庭からも金属類は国に放出
することになっていたことは知っている、玩具類もブリキなど使用できなくなり紙、木製類しか使用できなかっ
た、ただ、例外があった、その例外が模型飛行機などの模型の部品などは金属が使用できた、なぜなら、国
策として模型工作の教育を奨励していたからであった、
それも戦況が激しくなってくると無制限に供給することはやめ、金属類の部品を購入する時は「発注証明証」
が必要になった、誰がそれを証明するのかというと、上記の画像をよく見ると校長先生になっている、
実際にどのように運用していたのかは僕にもわからない、生徒から申請があれば適当にすべて証明証を出し
たのか、それとも厳格に調べて証明証を出していたのか、90歳以上のお方ならご記憶にあるかもしれない、
今の子供とは違ってその頃は化学実験、昆虫採集、植物採集も盛んであったようである、
さて、その「科学教材社」は今はどのようになっているのだろうか。