完成品収納箱を、
プラモデルを組み立てるとその保管に困ってしまう、そう、箱なら積み上げることができるが、完成品はそうはいかない、平面にしか置けないのでスペースをとってしまう、今回は、ニチモの水陸両用車バロンの収納箱を作った、ボロイ箱があったのでそれを利用して作ってみた、これで持ち運びも楽になる、そう、展示会などで車に積んで運搬する際もプチプチの梱包材にくるむこともなく段ボール箱の中にもこのまま積み込むことができる、押...
View Articleにしき屋の木製洋上模型
艦船の洋上模型といえば渥美産業だけでなく、にしき屋にもあった、たしか木製のものがあったはずと押し入れの中から取り出してみると、あった、プラ製の前の木製のものである、教材物はガサガサとこのように入れているものだから、どこに保管していたのか忘れてしまう、にしき屋の豆軽巡神通、あまり聞きなれない軽巡の名前、縮尺は1/791...
View ArticleルノーFT戦車
僕が持っている一番古い戦車模型がこのルノーFT戦車、 ルノーFT戦車で間違いないだろう、もうこれ以上古い戦車模型は持ってない、紙製の当時の雑誌の組み立て付録である、 コロコロと転がして遊んだのだろう、具体的に昭和何年何月の付録だったのかはわからない、昭和一桁の初期の時代であったことは間違いないだろう、戦前、戦時中はこのような紙模型がずいぶんと流行った。
View Articleハセガワ ウォーカーブルドッグ
実は、ヘンなサイトを誤ってクリックしたところ、突然パソコン画面中央に現れた、そう、アダルトサイトの画面である(笑)、そう、入会登録されたので料金を振り込め、と、これはヤバイとその画面を消したところ、消しても消しても数分おきに現れてくる、シマッタ!!...
View Articleハセガワ M41ウォーカーブルドッグ
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72227916.html の続き、ハセガワのモーターライズ戦車プラモは意外と数が少ない、おそらく生産数も少なかったのだろう、さて、このハセガワの「M41ウォーカーブルドッグ」はいつ頃発売されたのか、日本模型新聞の記事によると、 (昭和39年2月25日 日本模型新聞...
View Articleハセガワ M41 フラックワゴンの箱絵
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72231845.html の続き、ところで、収集家のお方からハセガワのM41ウォーカーブルドッグ...
View Article戦前の艦船模型は、
木製キットでさえまだ少なかった頃、当時の青少年達は自分で木製の材料を揃えて作るしかなかった、これは、昭和10年の艦船模型の作り方と設計図が記載されている、当時多くの青少年達が購読していた「子供の科学」が編集したもの、これは、空母加賀、まだ三段式飛行甲板の頃の写真である、艦橋がなく煙突が最後尾に連なって煙を吐いている、作り方が書いてあるが、まあ今これに基づいて作るとしてもかなり難しい、木製の材料を揃え...
View Article走行音で一番好きな、
僕が今まで作って遊んだプラモで、走行音がいいのはなんだろう、いろいろと思い出してみたが、僕としては清水模型の「宇宙水陸両用車ストレンジャー」である、まあ、人それぞれ好みの問題だろう、浮袋代わりのキャタピラは空気を入れても10分くらいで抜けてしまう、これは地上走行用にゴムキャタピラを自作したもので意外にもスリップすることもなくちゃんと走ってくれる、もう一度、その走行音をお聞きいただきたい、何と言っても...
View Article終戦間近で物資も乏しくなると、
終戦間近で物資が乏しくなると出版物も極端に薄くなり紙質も荒くなってくる、これらは昭和20年、1月号、2,3月号である、もう色刷りはできなくなる、紙質も極端に悪くなってくる、この頃になるとすでに敗戦は確定的であり、日本軍の戦況についてはほとんどその記事はない、そう、負け戦の記事なんて書けるわけがない、その代わり記事の中心は秘密兵器、未来兵器のものががぜん多くなってくる、それらの記事の一部を載せてみると...
View Article幻の東京オリンピックの頃、
阪神淡路大震災から23年、昨日のようにも思えるし、もう23年も経ってしまったのか、とも思う、その瞬間は、僕は須磨海岸を走る電車の中であったが電車はその直撃を受け激しい振動とともに大きく左右にローリングしながら走り無事に緊急停車することができた、幸いなことに脱線転覆することなく停車できたことは今思うと奇跡に近かったのかもしれない、それとも僕の悪運が味方したのかもしれない、その頃、関西には地震は来ないと...
View Articleスケッチブック
僕らが中学生の頃、このようなスケッチブックがあった、これは小松崎画伯が描いた戦艦大和が表紙になったもの、当時は戦記物が流行っていたので小松崎画伯以外にも高荷義之画伯、梶田達二画伯、前村教綱画伯、伊藤展安画伯、等、の戦記物の絵であふれていた、これに色鉛筆で色を塗るようになっている、頁をめくってみると、僕が書いたものではない、おそらく今では60歳代後半になった方が子供の頃、小学高学年か中学生の頃書かれた...
View Articleベークライト製のトイガン
今回はプラスチック(合成樹脂)の一種であるベークライトのトイガンについて紹介しておこう、これは、増田屋の通称「コンドルガン」といわれていたトイガン、昭和34年には発売されているのを確認しているので実際にはそれ以前の製品である、僕も小学生の頃に少年雑誌の通信販売の広告に載っていて欲しかったトイガンの一つであった、ただお小遣いでは買えなかったので入手することはできなかった、弾倉に弾丸を装填する、照準器付...
View Article原子力空母エンタープライズ
そういえば、ちょうど50年前の昭和43年の今日、アメリカ初の原子力空母エンタープライズが佐世保港に入港した日であった、ITC社のプラモを取り出して撮影してみた。ITC社のエンタープライズの記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70078020.html
View Articleサンダーボーイの発売までの謎
今井科学のサンダーボーイは昭和37年11月に発売されたことになっている、まあ細かいことなのでどうでもいいが、正確に言うと12月年末に発売された、もっと正確に言うと、全国の小売店等に出回ったのは翌年の1月に入ってからであった、そのことについては過去の記事にも書いているとおりである、つまり今井科学がまだ未完成で完成もしていないサンダーボーイの発売を見切り発車して11月発売としたものであった、...
View Articleサンダーボーイの発売までの謎
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72240552.html の続き、 (昭和38年1月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)この昭和38年1月5日の広告を見ると、リモコンボックスは最終型のものとなっているので12月中旬から下旬には出来上がっていたものと思われる、...
View Article少年雑誌には戦記物の付録が
僕らの時代の少年雑誌には必ず戦記物の小冊子が付録として付いていた、月刊誌の「少年」にはこの「少年ゴールデンブック」という小冊子がシリーズものとして毎号付いていた、その裏表紙にはプラモデルの広告が必ず載っていて僕らはそれを情報源としていた、そして、通信販売として、「戦車の本」と、「零戦のすべて」という2冊の冊子が50円で販売されていた、そう、出版社の通信販売部に50円分の切手を送って購入するものだった...
View Article今井科学 接着剤マイボンド
今井科学はプラ用の接着剤として「マイボンド」という接着剤を50円で発売していた、その50円売りの接着剤は当時の模型店等でも見かけたことはない、今もって見つけたこともない、ただ、このケースだけ、...
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