阪神淡路大震災から23年、昨日のようにも思えるし、もう23年も経ってしまったのか、とも思う、
その瞬間は、僕は須磨海岸を走る電車の中であったが電車はその直撃を受け激しい振動とともに大きく左右
にローリングしながら走り無事に緊急停車することができた、幸いなことに脱線転覆することなく停車できたこ
とは今思うと奇跡に近かったのかもしれない、それとも僕の悪運が味方したのかもしれない、
その頃、関西には地震は来ないというのが定説?となっていた、誰も神戸に地震が来るなど想定すらしなかっ
た、そう地震学者でもわからなかった、まさに神のみぞ知る、である、
しかし、その神もそれを教えてくれることはない、 この世に神は存在するのか、それさえも疑ってしまいたくな
る。
阪神淡路大震災からの20数年という歳月は世の中を大きく変えてしまった、当時僕はまだ40歳代前半でま
だまだ若かった、ちょうど今の趣味に目覚めた?頃だった、今のようにのめり込むなど思いもよらなかった、
そう、20年という歳月は人間でさえ大きく変えてしまう、
さて話は代わって、2,020年には東京オリンピックが開催されることになっている、
実は、東京オリンピックの開催が決定されたのは今度で3回目である、今回が3度目、昭和39年の東京オリ
ンピックが2度目、そして1度目が昭和15年であった、しかし、それは支那事変等の影響で幻の東京オリンピ
ックとなってしまった、それからその20年後、再びアジアでの有色人種の国初の東京での開催が決定した、
その20年の間、日本はまさに激動の時代であった、戦争、終戦、終戦からの復興、
日本は大きく変わった、そう、20年もあれば世の中は大きく変わってしまう、
その幻の東京オリンピックが決定したのは昭和11年のこと、
決定してすぐに東京オリンピックに関する書籍は出版された、
昭和11年9月出版となっている、決定が7月末なので直ぐに出版されたのだろう、
あの実況アナウンサーが絶叫したというあの名セリフ?「前畑頑張れ!!前畑頑張れ!!」の前畑選手の当
時の写真が載っている、
大日本体育協会専務理事が、陸軍中将というのがその時代を物語っている、
その頃は、東京オリンピック決定を祝うように5輪の旗が使われている、
模型のカタログの表紙にも、
もちろん、このカタログも開催決定が決まった昭和11年のもの、「にしき屋飛行機店」のもの、
カタログの一部を紹介すると、
この頃にはマグネット模型モーターもすでに発売されている、
この時代において、その数年後に世界大戦が始まり日本が徹底的に打ちのめされ焦土と化すことは誰が予
想しただろうか、
そして、その焦土化された日本が急速に復興し、15年もたたずして東京オリンピックが決定し昭和39年に開
催されるということは終戦当時は誰が予想しただろうか、
3度目の東京オリンピックはあと2年後となった、 今どれくらいの進捗状況なのかは最近のメディアはほとん
ど報道してくれないのでわからない、まあ、皆が興味をひくようなバラエティー、しょうもない芸能ニュース、今
の政権だけを批判する反日メディア、ばかりが主流を占めている、
まあ僕の妄想で「お前アホか」、と言われそうだが、無事に東京オリンピックは開催できるのか、
もちろん国内的には特に問題はないが、外的な要因、そう、中国がちょっかいを出してくるような気がしてなら
ないのである、
仮に僕が中国だったら開催の前年の年にちょっかいを出したくなる(笑)
そう、尖閣に、今の政権ならそのことは当然想定のうえ対策等は考えているとは思うが、
昭和15年の幻の東京オリンピックにならないことを願うばかりである。