昭和44年の日本模型新聞には、
昭和44年といえばアポロブームに湧いた、各メーカーがアポロ関連のプラモを発売した、そう、アームストロング船長らが月面に降り立った年であった、さて、その昭和44年の日本模型新聞紙上では火星人さんが興味深いことを書いている、 (昭和44年12月8日 日本模型新聞...
View Article三ツ星商店
マルサンがノーチラス号を発売した時に問屋との取引開始第一号が三ツ星商店だったらしいが、それより以前にその三ツ星商店と取引を行っていたのが日本プラスチックであったことはすでに紹介している、そう、あの日本プラスチックのノーチラス号も三ツ星商店では取り扱っていた、その証拠が三ツ星商店の広告にはマルサンのノーチラス号ではなく、なぜか日本プラスチックのノーチラス号が載っている、だから日本プラスチックのノーチラ...
View Article昭和34年に発売したNBKの、
昨日の、昭和44年の日本模型新聞には、この記事の中で、火星人さんが昭和34年2月にNBKがゴム動力のノーチラス号、4月に50円売りのゼロ戦、隼、ユンカース等を発売したとある、このシリーズは断定はできないが、ゼロ戦、隼、雷電、フォッケウルフ、メッサ―シュミット、ユンカース、スピットファイヤ、があったようである、その中のシリーズの、隼、雷電、メッサ―シュミット、の現物の画像をコレクターの方からいただいた...
View Article模型店をグーグルで、
実は暇な時は、模型店をグーグルで見るのが面白い、というのは、古い模型店名簿等で今もその模型店が存在しているのかネットで検索し、存在していたらグーグルで今の店舗の様子を見るのである、 (昭和44年新年号 日本模型新聞...
View Article昭和29年布施市で模型飛行機大会
昭和29年に大阪布施市で模型飛行機大会が開催された記事が載っている、「大会祝辞飛行機」から投下、とあるが、何を投下したのだろうか、そのことはこの記事には書かれていないが、そういえば、小学生の頃、大売出しの宣伝ビラ等をセスナ機からばらまいていた、空からヒラヒラと舞い落ちてくるビラを追いかけて手で掴んだことがあった、それがパラシュートのオモチャの時もあった、今ではとても考えられない宣伝方法であった、この...
View Articleハセガワ模型とにしき屋のトラブルとは、
「にしき屋」と静岡のメーカーとのパクり物でのトラブルについてはいくつかすでに紹介した、 (昭和30年2月10日 日本教材新聞)これは、日本教材新聞社とメーカーとの対談記事、Aメーカー、B...
View Articleニチモは5年前に廃業したが、
ニチモがプラモデル部門を廃業してもう5年になる、今の状況はよく知らないが、プラ製の家庭用品等を製造しているらしい、噂によると、○○○○○ドの〇〇〇イスも製造しているとのことであるが、その真偽のほどはわからない、そのニチモもかつては世界初の?プラモデル展示館を建設していたことは過去の記事でも紹介している、それは、昭和53年のことであった、ただ、その昭和53年頃といえばプラモデルの全盛時代を過ぎた頃、そ...
View Article昨日は三宮まで、
昨日は久しぶりに自転車で三宮まで往復してきた、冬の間は寒くて自転車など乗れない、実に3か月ぶりだろう、何しに三宮まで、モーターを買いに、モーター一つ買うにも三宮まで行かなくてはならない、まあ、通るのはいつものコース、すでにここらへんも中国人ばかり、あの前方の集団も全て中国人の観光客、そう、あの観光バスでやってくる、悪名高き和泉ナンバー、それから、なにわナンバーばかり、関空からやってくるのだろう、JR...
View Articleこのマイティ号は、
実にショーもないことに気が付いた、当時の100円プラモのこのマイティ号は、そう、この「マイティジャック秘密基地」のマイティ号と同じ金型のものだった、マイティジャック秘密基地別にどうでもいいことであるが、一応念のために。
View Article一昨日は静岡へ、
一昨日はいろいろと急用があり静岡へ行ってきた、もちろん、行きは一般道で、そう、明石から静岡まで一般道をヒタヒタと、10時間を要した(笑)、夜中の12時過ぎに出て静岡に着いたのが10時頃、真夜中でも結構トラック便で混んでいる、途中トイレ休憩が2回、15分くらい休んで直ぐに出発、まだまだ、10時間くらいは運転も大丈夫、それが出来なくなったら、もう僕はお終い、あとは死ぬしかない、帰りも一般道でと思ったが(...
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