プラスチックモデルの開発は難しいものではなかった、
マルサン物語等ではプラモデルの開発が日本で初めての試みでプラスチックという素材自体がまだ未知の世界であったと、いかにも苦労したかのような嘘を書いているが、そもそもプラスチックモデルの開発自体がそれほど難しいものではなかった、過去の記事にも書いているように何度も繰り返すが、昭和29年の東京の電話帳を見ても数えきれないほどのプラスチック業者、金型成型業者が載っている、もちろん、その頃には射出成型機もある...
View Article小川さんの死、
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72001874.html の続き、翌日から車でまず病院へ行って小川さんを見舞う、「小川さ~ん、来ましたよ~、」「明石さん、ありがとう」 と、弱弱しい声で小川さんはうなずく、ご兄弟4人も交代で24時間付き添っているという、「あともっても、1、2日くらいでしょう」...
View Articleプラスチックの材料屋は儲かった、
日本プラスチックの濱田さんは当時プラスチックの原材料も販売し大きな利益を上げていたという、おそらく昭和28年頃には始めていたものと思われる、そう、阪大の応用化学を専攻しその道のエキスパートであった大阪化学研究所の内田義勇さんの工場を間借りして始めたのであった、奥様の証言によれば原材料の仕入れは四日市の業者から仕入れていたという、そのプラスチックの世界に入り込んだキッカケは、それは先日記事にも書いてい...
View Articleお知らせ、
あらためてお知らせを、真実のプラスチックモデルの歴史については、某雑誌社より来年の「プラモデル60周年」に合わせて来年その記事が掲載されることになっているので、とりあえずお知らせしておきたい、どういう形でどなたが執筆されるかは今のことろ詳しくは言えません、「アッ、と驚くタメゴロー」になるかも。※ 「プラモデル60周年」というのは模型業界が言うところのマルサン説から60周年ということ。
View Articleレベル社のプラモデルを生産か、
すでに読まれた方もいらっしゃるとは思うが、岸川靖さんの著書で「日本懐かしプラモデル大全」という本がある、僕も大分前に読ませてもらっているが、その中で次のようなくだりがある、「昭和28年、東大阪の町工場でレベル社のキット生産を開始していた、・ ・ ・ ・ ・...
View Article業界初の米国視察団
取材した〇〇〇〇工業さんは静岡のT社の社長に誘われて渡米したという、業界初の米国視察団であった、それで、それを確認するために日本模型新聞の当時の記事を探した、 昭和41年2月7日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)これはその時の募集記事である、...
View Article業界初の米国視察団
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72020633.html の続き、さて、業界初の米国視察団は何人ほど集まったのだろうか、 (昭和41年2月28日 日本模型新聞...
View Article今までの仕事の中で一番恐ろしかったこと、
暑いので少しばかり涼しい?話を、模型の話ではない、そう、僕が今までの仕事の中で一番恐ろしかった出来事である、過去の記事で書いたかもしれないが、僕は多くの遺体を見てきた、...
View Article目障りな存在となり、
模型業界にとって僕らの存在は非常に目障りで要注意人物であることはすでに何度も書いているとおりである、そう、特に静岡の模型業界にとっては目障りな存在になっているのはあらためて言うまでもないだろう、また次のことも今更言うまでもないが言っておこう、実はその模型業界だけでなく、そのスジの業界人?の方々からも目障りな存在として嫌われている、そう、素人でその他大勢の部類の僕らがその方々の領域を荒らすものだから嫌...
View Article昔は合本が流行って
これは一見昔の辞典のように見えるが辞典類ではない、雑誌を合本製本したものである、1年分とか6か月分とかの月刊雑誌をまとめて製本したもの、今でも合本製本してくれるところもあるが、月刊誌をそこまでして保管する方はあまりいないだろう、戦前は出版社のほうで合本製本して発売するのが結構流行っていた、合本製本して保管すると外側の表紙は傷んでも中身の本自体は綺麗に保たれる、昭和初期の6、7、8年頃のものでも中身は...
View Article共存共栄はありえないのか、
この趣味の世界に入って22年ほどになる、もうそろそろこの世界から足を洗ったほうがいいのかも、と思っている、そう、目的を達したら足を洗おうと思っている、その目的を達したらというのは、もちろん、真実のプラスチックの歴史というものが活字になり本となって世に出回ることである、模型の趣味の世界に入り込んだ頃はチマチマと自分ひとりで気に入った古いプラモデルを入手し組み立てて動かして遊んでいた、そしてブログなるも...
View Article戦時中の業界紙
これは戦時中の玩具業界の業界紙である、郵便で受け取ったまま読まれなかったのだろう、この状態で残っているのは非常に珍しい、約束郵便となっている、今で言う料金後納郵便のことだろう、「大阪玩具新報」となっている、発行は昭和18年10月号となっている、これは、同年11月号、なんとたった1か月でカラー刷りから白黒になっている、これは戦局の急激な悪化を示すものだろう、ただ、戦時中でもこのような業界紙が発行されて...
View Article米国視察団の土産話
https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72020768.html の続き、さて、その米国視察団の土産話が日本模型新聞に記載されている、そのうちのお一人の大滝製作所の社長さんの話が載っているので紹介しておこう、 (昭和41年4月4日 日本模型新聞...
View Article戦後すぐの業界紙
さて、今度は戦後まもない昭和23年の業界紙である、当時の日本玩具商工業協同組合が発行した「玩具界」という冊子である、まだこの頃は資材の調達に苦労していたようである、そう、まだ占領下にありGHQが管理調整していた、まだこの頃は、マルサンのマの字も出てこない、広告等もまったくなし、そう、この後すぐに急激にマルサンは台頭してくる、商才には秀でていたらしい、マルサンの基本姿勢は人に作らせて自分が売る、という...
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