これは戦時中の玩具業界の業界紙である、郵便で受け取ったまま読まれなかったのだろう、
この状態で残っているのは非常に珍しい、
約束郵便となっている、今で言う料金後納郵便のことだろう、
「大阪玩具新報」となっている、
発行は昭和18年10月号となっている、
これは、同年11月号、なんとたった1か月でカラー刷りから白黒になっている、
これは戦局の急激な悪化を示すものだろう、
ただ、戦時中でもこのような業界紙が発行されていた、
布施市長堂2丁目59 となっている、あの大阪化学研究所のすぐ近くである、
もちろん、これらの模型の素材は木製と紙製、
当時の日本玩具統制協会の理事長が倉持商店の倉持福雄さんであった、そう、製品の審査、材料の配給を
調整する団体であった、
その倉持商店がその頃発売した戦車模型キットが、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71936703.html
当時は国策で模型飛行機教育が奨励されていたことは過去の記事にも書いたとおりである、
そうそう、先日取材に行った〇〇〇〇工業さんもこの頃はライトプレーンの竹ひご、リブ等を製造し、戦後は
ゴム屋さんになったのである、
これは、日本玩具統制協会が発行していた機関紙、
随分と勇ましいことが書いてある、
このような当時の業界紙等を読むと当時の業界内のことがよくわかり面白い。