フジミ模型 1/44 タイガータンク リモコン
http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70787095.htmlhttp://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70787555.html...
View Article(株)日本プラスチックは、
(株)日本プラスチックはマルサンよりも先にプラスチックモデルを開発し、流通ルートにのせて初売したことは先の記事でも書いた、それは日本模型新聞にも「ノーチラス号はマルサンよりも先に大阪の某メーカーが発売した」云々と記事にも載っている、そして、昭和36年にはすでに大阪の「火星人」なる方が日本模型新聞に、「プラスチックモデルの第一号はマルサンではなく、日本プラスチックである」と痛烈にマルサンを批判する記事...
View Articleこの一週間は、
いや~、この一週間は頭をフル回転?させてきた、起きている間は「(株)日本プラスチック」、いや正確には「(株)日本プラスチックス」と、スが余計に付く、の推理に頭をフル回転である、相当なボケ防止の効果があったに違いない、今朝もその影響か2時過ぎには起きてしまった、その「(株)日本プラスチックス」のことをなんとか調べてみようとは思っていたが、何と言っても60年近くも前の話であり、しかも残されている資料もほ...
View Article四国に行ったのは、
先週の金曜日に四国に行ったのはココ、http://www.asahi-tec1907.co.jp/index.php?mp=info四国とはいえ、僕の自宅からは行きは高速走って2時間ちょっと、帰りは一般道走って3時間30分ほどである、その朝日テックという会社は何度も紹介しているが、戦前の国内最大手の模型玩具メーカーであった朝日科学玩具の流れを受け継ぐ会社である、http://blogs.yahoo....
View Article今日は大阪市立図書館へ、
このところ、日本プラスチックスで頭を使い過ぎたので昨日はゴロゴロと食っては寝、食っては寝であった、そう、昨日は休止状態、昔の該当場所に行って日本プラスチックスのことを聞きまわってもそれは無駄なこと、元々、日本プラスチックスは存在していなかったのだから(この言い方が正しいのか間違いなのかは判断に迷うが)、会社の建物も事務所も元々ない、それらの理由等については、これからのブログで少しづつ解明していく、...
View Article日本プラスチックの謎に迫る
前日等の記事やコメント欄でもわかるように、昨日、その日本プラスチックスの全体像はどうにか解明することができた、ただ、日本プラスチックスの動きというものの詳細等の調査は困難であり、これからも解明されることはないだろう、永遠に、なんと言っても当時の関係者のほとんどが亡くなられているであろうし、仮にそのご家族に会っても当時のことがわかるはずがない、当時はまだ生まれていないだろうし、仮に生まれていても幼児の...
View Articleいろいろな資料を揃え過去のことから
模型の歴史を調べるためにはいろいろな資料を揃えなければならない、模型に直接関係のある資料だけを集めても、ハッキリ言って僕に言わせればお粗末な結果しか出てこない、そしてただ単に人様の受け売りの結果しかでてこない、いろんな資料を揃えて、その時の時代背景だとか、風習、どのような物の考え方だったのか、それらのことも知らないと、とんでもない結果が出てしまう、まあ、なんどもしつこく言っているが、だから模型の歴史...
View Articleちょうどその頃、業界では、
日本プラスチックスの続を書く前に気になっていたことを書いておこう、ニチモがゴム動力の伊号潜水艦を発売したのが昭和34年の2月頃、続いて日本文化教材(株)がゴム動力のノーチラス号を発売したのが同じ頃、ただそのノーチラス号のプラモデルが日本プラスチックスのノーチラス号そのものであることは皆がご存じのとおりだろう、その日本文化教材が発売したノーチラス号についてはhttp://www5e.biglobe.n...
View Article日本プラスチックの謎に迫る、
その前に、実は日本プラスチックスの関係者の電話番号まで特定できた、その秘密工場であった所の社長さんの電話番号である、ただ、すでに時遅し、7,8年ほど遅かった、その電話番号は、2,007年のデータだったのでもう亡くなられたのだろう、そうだろう、お元気であれば少なくとも100歳近くにはなられるはずなので、かけてみたら当然のことながら「現在は使われていません」のアナウンスが、あと数年早かったらご本人と連絡...
View Articleついに突き止めた、日本プラスチックスの創業者を、
事件の捜査でも、歴史の謎を解く時もある仮説を立てて推理していく必要がある、そしてそれを一つ一つ潰してウラをとり追いつめていかなければならない、そして、人間はある瞬間にヒラメキというのがある、そう、テレビでもよくその場面が出てくる、ある一言の言葉を聞いた時、ある物を見た時、そして、ある事がある事へと繋がって見えた瞬間等々、まあ、その現象が起こるためには四六時中その事が頭の中にないとそれは起こらない、と...
View Articleそこは秘密工場だったのか、
「大阪化学研究所」がはたして秘密工場なのか特定させるために大阪市立図書館へ飛んだのであった、その「大阪化学研究所」が布施市長堂2-90 の住所で電話番号が72-7637 であればそこが秘密工場だと特定していいだろう、大阪市立図書館といえど、古い電話番号簿が何冊も揃っているわけではない、その中で一番年代が近い昭和39年の電話番号簿で調べる、あった!!、 (資)大阪化学研究所、住所が合ってる、ありゃ~、...
View Article(株)日本プラスチックスの創業者は、
昨日の記事でも言ったように、(株)日本プラスチックスの創業者は突き止めることができた、が、その件ついては後日紹介する、それにしても、その正体のお方については驚きであった、特に組織があるメーカーでもなく、タダの一個人であった、一体どのようにして研究開発していったのだろう、しかも一体どのようにして機械等を導入していたのだろう、謎は益々深まるばかりである、おそらく、東大阪近辺では多くのゼロ戦やノーチラス号...
View Articleそこは秘密工場だった、
電話番号が違っている、しかし、絶対にここが秘密工場であるはずだ、実は前日に次の情報を、あうとぱあんさんから、いただいていた、特に目新しい情報はないように見えた、しかし、よ~く見て欲しい、電話番号が、72-0290...
View Articleその大阪化学研究所は、
さあて、秘密工場であった所が、当時の「大阪化学研究所」であることは判明した、なので、今度はまたまた東大阪の法務局へ飛んでその謄本をとったのであった、もちろん、今はこの会社は消滅している、住所は東大阪市長堂2-90 と同じなので間違いない、ヴィスコイド応用製品といわれても僕はよくわからない、後に2番以降の業務を追加登記したのだろう、長堂2-90...
View Article日本プラスチックスの社長の正体は、
毎日、毎日、日本プラスチックスのことについて書き連ねているが、まだまだ続くのでご承知おきいただきたい、昨日も現地へ飛んで調査を重ねた結果、また新しい情報を手に入れた、そう、捜査にいき詰まったら現場へ戻れ、というアレである、初めて現場へ立ってみた、現場とは「大阪化学研究所」のことである、もちろん、大阪化学研究所は今はもうない、関係者も誰もその近辺にも住んではいない、しかし、、また重要な情報を手ににした...
View Article日本プラスチックスの社長の正体は、
前頁からの続きの前に、今の調査結果を知らせておこう、実は最後の生き証人とも言える方までたどり着くことができた、あとは、その方と連絡が付くかどうかの段階に入っている、おそらくその方は、あの時のものがまさか日本初に開発されたプラスチックモデルということはご存じなかったことだろう、その方は、合成樹脂関連についてはエキスパート中のエキスパートである、今はただその方と連絡が付くかどうか、ジッと待っている状態で...
View Article「東京堂模型店」の店主が濱田さんだった、
そこで、その「東京堂模型店」の店主は誰だったのか知るために、当時の業者名簿で調べてみたのである、すると、あった~!!住所も同じ、東京堂模型店が載っている、しかも店主が濱田さん、そう、日本プラスチックスの社長は「東京堂模型店」の店主の濱田さんだったのである、おそらく、濱田さんと例の火星模型店の多田さんは同じ業者仲間の友人だったのだろう、...
View Article現場へ行き、現場に立つ、
続きの前に、現在の状況を、最後の生き証人の方に辿りついたが、なかなか連絡先を知るのが困難な状況となっている、ここまで辿りついたのに、う~ん、まあ、昔ならすぐに判明するところであるが、今は個人情報だのなんだのと、それといろいろと問題があって ・ ・ ・...
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