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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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日本プラスチックスの社長の正体は、

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毎日、毎日、日本プラスチックスのことについて書き連ねているが、まだまだ続くのでご承知おき

いただきたい、昨日も現地へ飛んで調査を重ねた結果、また新しい情報を手に入れた、

そう、捜査にいき詰まったら現場へ戻れ、というアレである、初めて現場へ立ってみた、

現場とは「大阪化学研究所」のことである、もちろん、大阪化学研究所は今はもうない、

関係者も誰もその近辺にも住んではいない、

しかし、、また重要な情報を手ににしたのである、そしてこの場所で日本で初めてプラスチックモデ

ルを開発することができた理由がよくわかったような気がしたのである、

実は、その道の専門家だったのである、そう、合成樹脂関連の専門家であった、

おそらく、それが最後の砦?になるだろう、そこへ辿りつけばまづ全ての謎が解けるだろう、

辿りつけなければ謎を解明するのはもう不可能になるかもしれない、(これらの記事は後日)

そこで、前の記事からの続編に入ろう、

日本プラスチックスの社長、つまり創業者は一体どのような方だったのか、

謄本に記載されている、次の住所の当時の住宅地図を取り寄せて調べてみた、

イメージ 1

布施市下小坂693番地  である、

その当時の住宅地図がコレ、

イメージ 3

まあ、当時の地番はちゃんと連なっていない、もうあちこちへと飛んでいる、

693番地がどこなのかよくわからない、全体を一つ一つ「濱田」さんを潰していくも濱田さんの表

示はない、まあ、普通ならここで濱田さんが載ってないということで諦めるところだろうが、

ちょっと待て!!僕のヒラメキは同業者仲間であった、そう、おそらく個人名ではなく、住宅地図に

は店舗名で載っているのではないのかと、そう、模型店の名前で、

イメージ 2

ところが、その何々模型店というのはどこにも載ってない、

そこで、目を付けたのが、この「東京堂」という店の名、そう、昔は東京に憧れていたので模型店で

も時計店でも本屋でも、とにかく東京堂というのが流行った、

この地図は昭和34年のもの、よ~し、今度は昭和41年頃の地図をとりよせて調べてみようとなっ

たのである、推理に次ぐ推理である、     そうしたら、  <続く>

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