前日等の記事やコメント欄でもわかるように、昨日、その日本プラスチックスの全体像はどうにか
解明することができた、ただ、日本プラスチックスの動きというものの詳細等の調査は困難であ
り、これからも解明されることはないだろう、永遠に、なんと言っても当時の関係者のほとんどが亡
くなられているであろうし、仮にそのご家族に会っても当時のことがわかるはずがない、
当時はまだ生まれていないだろうし、仮に生まれていても幼児の頃だろう、それはそれは無理な
話である、
そう、日本プラスチックスの活動は僅か4年前後であったはずだから、昭和31年から長くて35年
までの4年間であったと推測される、それは業者名簿の昭和36年版には載ってないからである、
ひょっとしたら、もっと短くてノーチラス号を発売後はすぐに活動をやめてしまった可能性が強いの
ではないだろうか、
本気で日本プラスチックスのことを調べようと思ったのが先月の月末頃、そして全体像が解明でき
たのが昨日なので5日間要したことになる、アッ、間に一日休止した(笑)この期間が短いのか長
いのかはわからない、まだ当時の関係者を探し出し(まだお元気な方が存在すれば)調査すれば
よいが、お元気でいらっしゃる可能性は極めて低いだろう、あとは東大阪地区当たりでゼロ戦のプ
ラスチックスモデルが突然出現することを祈るのみである、
それでは、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70792185.html からの続きを、
順を追って書いていこう、
この3冊で見ても見当たらない、
ない、ない、(株)日本プラスチックの名がない、それらしき会社もない、電話番号簿にも載ってない
のか、ついに、電話番号簿でも日本プラスチックの存在が確認できないのか、
しかし、ちょっと待て、今でこそ電話番号簿はほとんど使われることもなくなった、
が、昔の電話番号簿の存在というものは今とはまったく違っていた、そう、昔の電話番号簿は自分
の存在をPRする媒体でもあった、今とは違って個人情報がどうのこうのというややこしい時代で
はなかった、電話番号簿に載るということはある意味ステータスでもあった、個人でも商売してい
る所は別として、電話を設置している家庭は少なかった、そして電話局も契約している先について
は全てこの電話番号簿に載せていた、
だから、電話を設置していながら電話番号簿に載っていないということはまづありえないだろう、
ということは、あと考えられることとしては、そう、ひょっとしたら他の名義で電話を契約していたの
かもしれない、日本プラスチックの名ではなく、他の名義で、
それならば、再び昭和33年の電話番号簿で調べてみよう、
日本プラスチックの名ではなく、同じ住所、同じ電話番号のものが載ってないか、
一生懸命探していたら、アッタ!! 同じ住所、同じ電話番号のものが、そしてそれが個人名義
で、 なぜ日本プラスチックの名でなく個人名で契約してあったのか、それはわからない、
大阪の本社の電話も自社の電話ではなく、某会社の電話番号であったのである、 <続く>