プラスチックの歴史は、
例のマルサンを業界紙で痛烈に批判した「火星模型店」の多田さんはもういない、その代わりに今度は僕が多田さんの代わりに痛烈に批判してあげよう、今まであまり読む気にならなかったが、怖いもの見たさでアマゾンで中古本を購入し読んでみた、そう、新品の本で読むほどではない、もったいないので中古本で充分である、読んでみて、もう、笑ってしまうしかない、マルサンの本等を読むと、マルサンがプラスチックモデルの開発に取り掛...
View Article石村さんちは確認したが、
一昨日、大阪の東住吉区の現地へ飛んでみた、石村さん宅を確認するためである、それともう一つ、直ぐ近くに同じ苗字の方が住宅地図で確認できたので、ひょっとしたらご家族かもしれないと思ったからである、その石村さんが住んでいた家、しかし、今は空き家となっている、近くの住人の方に聞いてみた、そう、間違いなく石村さんの息子さんが住んでいて、5年くらい前に引っ越されたとのこと、どこへ引越されたかはわからないと、もう...
View Article日本プラスチックスで重大な見落としがあった、
(株)日本プラスチックスで実は、重大な見落としがあった、もっと見直すべきだった、今まで、何度も資料等で調べていたが、何としたことだろう、何で今まで気がつかなかったのだろうか、何で今まで見落としていたのだろうか、う~ん、僕としたことが、やっぱり、何度も何度も資料は見るべきである、自分では見たつもりが実はよく見ていなかった、これで、益々、日本プラスチックスの謎が深まってきた、一体、この広告は何を意味する...
View Article当時はプラスチックは何も未知の世界ではなかった
マルサンの批判のついでにもう一つ痛烈な批判をしておこう、その前に、https://youtu.be/xcWsHti7Z20...
View Article「東京堂模型」という名の模型店は、
昔、地方に住んでいた人達は東京に憧れていた、何もかも東京からの発信であった、東京の人達は皆がハイカラに見えた、流行歌も東京を舞台にしたものが多かった、フランク永井さんの歌もそうであり、特に僕の記憶にあるのが、守屋浩さんの「僕は泣いちっち」であった、とは言っても、若い人たちには何のことやら、ということになるだろう、その中で、店名を付ける際にも「東京堂」と付けるものが流行った、そう、書店、模型店、時計店...
View Article昨日は天気もよかったので、
昨日は天気もよく、このところペダルを漕いでいなかったので、神戸までペダルを漕いできた、いつものように、ハーバーランドからメリケンパークまでの往復である、「アンパンマンミュージアム」の真向いの川崎重工ドッグ横にはデカイ船が、近くで撮るとカメラには収まらない、それと甲板がどのような状態なのかわからないので上空から見てみようと思って、上空へ昇って見る、何を運ぶ船だろう、帰り道で、長田で見っけた、人材不足で...
View Articleマルサンの功績?
マルサン物語等を読むといろいろな矛盾が出てきてしまう、とても書ききれないが、その中の一つで必ず出てくるのが当時のノーチラス号の売り込みの場面である、そう、ノーチラス号は部品がバラバラで残骸のようだといって問屋がまったく相手にしてくれなくて売り込みに苦労したというくだりである、そんなことはないだろう、そうだとしたら当時の木製キットはもっと部品がバラバラで残骸の塊である、部品が揃っているかどうかもわから...
View Articleフジミ模型の歴史
フジミ模型が表だってご当地の静岡で活動できなくなって久しい、その理由は噂でしか聞いたことがないので、よくはわからない、その理由がどうであれ、僕としては孤軍奮闘?している者に興味がある、組織から弾き出された?ものに魅かれるのでなぜか応援したくなってくる、もちろん、僕は今のプラモデルにはほとんど興味がないのでフジミ模型が今どのようなプラモデルを発売しているのか、詳しくはない、大体が、噂での評判でしか知ら...
View Article濱田さんに何があったのか、
「東京堂模型店」の濱田さんの名前が違っているということは先日の記事に書いたが、特に気にはしなかった、そう、この昭和35年の新春挨拶の広告欄、貞男でなく貞一になっていた、まあ、これはただの字体違いか印刷違いかに思っていた、が、ひょっとしたら、この貞一さんは濱田さんのご兄弟かもしれない、というのは、これは、昭和36年の新春挨拶広告、これも貞一さんになっている、もうこれは貞男さんの字体間違いではなく、貞一...
View Articleフジミ模型のプラ第一号「戦艦長門」は、
http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70877833.html の続き、フジミ模型はプラスチックモデル第一号の「戦艦長門」を発売する前に組織変更を行った、 (昭和36年4月15日 日本模型新聞...
View Article火星人の多田さんは日本模型新聞にとっては、
「火星模型店」の店主であった火星人の多田さんは、タダの模型店店主だったのだろうか、いや、実はそうではない、すでに何度も記事に書いているように、日本模型新聞には毎号記事を書いている、それも、メーカーにたいしての批判や、新製品の紹介、過去の模型の歴史、模型店への取材、等々、多方面にわたる、まさに当時としてはまさに火星人の多田さんがいなければ日本模型新聞は成り立たなかったと言っても過言ではない、...
View Article火星人は日本模型新聞社の社友だった、
日本模型新聞に毎号記事を書き、模型業界のご意見番として言いたいことを書き、そしてマルサンやマブチモーターのことを痛烈に批判した火星人こと「火星模型店」の多田さんは、日本模型新 (まあ、僕も多田さんに習って強烈にそれ以上に批判しているがそれは事実だから仕方ない)聞社の社友であった、社友とは今ではあまり聞かなくなったが、社員ではないが社員並みの待遇、社員と行動を共にする仲間だったということだろう、...
View Article初版はプラの薬莢?パットン戦車
火星人の多田さんが日本模型新聞で書いた記事の中で、気になる部分を見つけた、まあ、僕が知らなかっただけのことかもしれないが、この昭和38年6月の記事で (昭和38年6月25日 日本模型新聞...
View Article「日本の模型 業界75年史」は、
先の記事にも書いたとおり例の「日本の模型 業界75年史」http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70462245.html...
View Articleクリスマスといえば、緑商会のサンタクロース
去年は、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/68889938.htmlこの季節になると、必ず出回るのが緑商会のサンタクロースだろう、この組み立て説明書はとてもデカイ、それにしても、この転写マークは一体どこに貼れというのだろう、大きくてはみ出してどこにも貼ることはできない、目玉だけはくり抜いて貼り付けているが、ツリーの中に飾ってみた、http://blogs.y...
View Article火星人の多田さんを突き止めた、
ついに、火星人の多田さんを突き止めた、「よくぞ、私のところを突き止めてくれた、今まで誰も突き止めることはできなかった、貴方が初めてだ!!」ちょっとしたヒントから、火星人の多田さんの居所を突き止めることができた、そう、僕としては最後の生き証人みたいなお方である、マルサンの証人みたいな曖昧で嘘のような証言者とはわけが違う、実際に当時仕入れて販売した模型店主である、そして日本模型新聞の記事を25年間続けて...
View Article火星人の多田さんと電話で、
「突然の電話で申し訳ありません、自分で言うのもヘンですが、私は決して怪しい者ではありません、火星人の多田さんでしょうか?」「 ・ ・ ・ ・ ・ はい、そうですが、」...
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