マルサン物語等を読むといろいろな矛盾が出てきてしまう、
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(昭和33年12月25日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)
とても書ききれないが、その中の一つで必ず出てくるのが当時のノーチラス号の売り込みの場面
である、そう、ノーチラス号は部品がバラバラで残骸のようだといって問屋がまったく相手にしてく
れなくて売り込みに苦労したというくだりである、
そんなことはないだろう、そうだとしたら当時の木製キットはもっと部品がバラバラで残骸の塊であ
る、部品が揃っているかどうかもわからないし、ちゃんと完成させられるかもわからない、
じゃあ、木製キットは売れなかったのかというとそうではないだろう、当時は木製キットが当たり前
の時代である、プラスチックモデルは部品はライナーにくっ付いているし、揃っているかもわか
る、それに木製キットに比べて綺麗、組立も簡単、完成時の様子もわかる、
それと、当時はすでに舶来物のプラスチックモデルは発売されている、問屋も初めてプラスチック
モデルをみるわけではない、
それが、玄関払いされたというのはオカシイだろう、
よっぽど、セールス能力に欠けていたとみえる、一体どのようにセールスしていたのだろう(笑)
当時の模型新聞等を見てもそのようなことは書いてない、むしろプラスチックモデルの出現を歓迎
している、そしてプラスチックモデルの出現に脅威を感じていた、
まあ、下手な脚色をしたものである、もっとましなバレナイような脚色をすればいいものを、
そしてなによりも矛盾しているのは、そんなにプラスチックモデルの発売に不安があり売り込みに
苦労していたならば、あのような殿様商売的な条件を付けて問屋に卸すことはないはずである、
このように、発売開始と同時にややこしい条件をつけるはずがない、
それから、当時は電話帳を片手に売り込みに歩き回ったとある、
アレッ、マルサンにも電話帳はあったらしい、それなら世間の様子もわかっていたはずだろう、
そう、電話帳片手に有能な職人も安価な機械もプラスチックに精通した技術者等も、有り余る資金
でもって引き抜きできたはずである、
ただ、一つだけマルサンの功績?がある、
そう、いち早く「プラモデル」という名称を勝手に商標登録、その名称を独占し、有り余る資金でも
って広告宣伝し、「プラモデル」という名を市場に知らしめたということだろう、(アッ、これはどこか
の模型モーターと同じような手口)
マルサン信者はこのことをもって「プラモデル」の第一号はマルサンだと言っているに過ぎない。