「火星模型店」の店主であった火星人の多田さんは、タダの模型店店主だったのだろうか、
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( 昭和45年5月18日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)
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(昭和45年6月22日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)
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(昭和45年6月8日 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)
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(昭和45年新年号 日本模型新聞 (株)ジートッププレス監修済み)
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いや、実はそうではない、すでに何度も記事に書いているように、日本模型新聞には毎号記事を
書いている、それも、メーカーにたいしての批判や、新製品の紹介、過去の模型の歴史、模型店
への取材、等々、多方面にわたる、まさに当時としてはまさに火星人の多田さんがいなければ
日本模型新聞は成り立たなかったと言っても過言ではない、
これらも全部火星人の多田さんの記事、
模型から玩具までの新製品の紹介記事も、
10年前の模型の歴史のことも、
模型店の取材記事も、そう、多田さんは西日本全域の模型店を担当し取材に駆け回っていた、
そして、なんと業界人を交えての座談会のことも、
司会役までも務めていたのである、もうまさに多田さんがいなければ模型新聞の発行は無理とも
いえるほどの活躍をなされている、これが毎号のことだから凄い、
本業の模型店のほうは大丈夫だったのかと心配になってくるほどである、
ついでに、この昭和45年の新春号にはすでに東大阪の「東京堂模型店」の名前はない、
さて、以上のように日本模型新聞にとってなくてはならない火星人の多田さんはこの日本模型新
聞社とはどのような関係だったのだろうか、 実は火星人の多田さんは、 <続く>
それから、「東京堂模型店」の濱田さんは戦後すぐに模型店を開業されたことが判明した、
なぜそう言えるのか、それは16日の記事にて、