ピストル型映写機 シネコルト
すでに紹介しているピストル型映写機「シネコルト」、この歴史は古い、この2つの「シネコルト」は別々の模型店から発掘したもの、そう、玩具店からではなく模型店からであった、おそらく、当時は主に模型問屋ルートから流通していたのではないのだろうか、その模型問屋ルートの根拠としては、当時の日本模型新聞の広告にもよく載っているからである、そこで、一番古い広告を探してみると手持ちの資料では次の広告が一番古い、...
View Article戦前の模型飛行機空き箱
これは、戦前の模型飛行機の箱、手の平サイズの小さな模型、専売特許、となっている、箱絵は空想兵器の空中軍艦のような飛行機、「空中軍艦」の組み立て付録ユニバーサル木工部、となっているが、そのような当時のメーカーは知らない、おそらく、何かの木製模型類を製造販売していたのだろう、ネットで調べてみたら同じ名前で京都に戦前からの古い模型店があるらしい、そこではないと思うが、中身が入っていない空き箱、10何種類か...
View Article昭和49年7月静岡では集中豪雨で、
次の日本模型新聞の記事で、そう、梅雨の季節になったので紹介してみよう、 (昭和49年7月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)これは、昭和49年7月7日の静岡地区での集中豪雨のお見舞いお礼の記事、...
View Article海岸沿いをサイクリング
昨日は天気もよく、サイクリングにはもってこいだったので海岸沿いを往復3時間ほどペダルを漕いできた、汗拭きには三和模型のタオルを籠に入れて、まず大蔵海岸へ、海開きに備えて今は砂浜を整備中、キャタピラ式のダンプカー、平日なので釣り人は少ない、日曜日になると家族連れで一杯になる、ここが僕が遊ぶ場所、そう、キングシャークもここで遊んだ、左の建物は明石市役所、昼時になると職員の方々はよくここで弁当を食べる、こ...
View Articleプラホビーと呼んでいた頃、
かつて、プラスチックモデルのことを「プラホビー」と呼んでいた時代をご存知だろうか、そう言う僕もそのような時代があったことなど知らないし記憶もない、しかし、プラスチックモデルではなく「プラホビー」と呼んでいた時代があった、次の日本模型新聞の記事をご覧いただこう、 (昭和49年3月15日 日本模型新聞...
View Articleランチボックス
ランチボックスをアメリカから取り寄せた、ブリキ製の宇宙家族ロビンソンのランチボックス、オリジナルは高いので、これは20年くらい前に発売された復刻版のもの、もっと大きい物かと思っていたが小さめ、櫻子が持つにはちょうどいいかも、マルサンのスペースタンクも入らない、これでは弁当も入らない、ランチボックスとは言うものの何を入れよう。マルサン スペースタンク 宇宙家族ロビンソンフライデー 宇宙家族ロビンソン
View ArticleマジンガーZが流行った頃
マジンガーZ が流行ったのは昭和40年代の後期、もちろん、僕はすでに社会人でありその頃はまったくプラモデルからは遠ざかっていた、なので、その頃のプラモデルのことはまったくわからない、当時のことを知るとしたら、今となっては日本模型新聞などで知るしかない、バンダイは、当時はテレビでも宣伝していたらしいが僕はまったく観た記憶がない、 (昭和49年9月15日 日本模型新聞...
View Article透明プラは変形する?
昨日、スペースタンクを取り出した時にふと思ったのが、透明プラモは年月が経つと変形したり縮むのだろうか、と言うこと、例えばこの透明プラは、前面の透明プラが歪んでいる、そう、この前面だけでなく、全体的に微妙に歪んでいるのでピッタリと合わなくなってきた、この永大の007...
View Articleプラモの残骸を、
東京支部よりプラモの残骸などが送られてきたのでそれらを紹介してみよう、ゴリラのブリキ玩具やら潜水艦のプラモの残骸やら、大滝製作所のM41ブルドッグ戦車、もっとも大滝はM41ではなく「M3ブルドッグ戦車」としていた、大滝製作所...
View ArticleNBK「原子力潜水艦 ノーチラス号」
プラモの残骸を、 の続き、NBKのこの「原子力潜水艦ノーチラス号」のジャンク品を完全な形に組んでみた、半世紀以上前のグリスは真っ黒に、そしてスクリューがない、モーターもスイッチも欠落している、実は、もう一つNBKのジャンクものを持っていた、このモーターとスクリューが使えるので、 スイッチも付いている、モーターをもぎ取り、スクリューを取り外し、...
View Articleミステリーバンク
数年前に「ミステリーバンク」を紹介した、そう、このサンキット社の「ミステリーバンク」サンキット ミステリーバンクそのサンキット社の流れについても紹介してきた、栄工社 → 三和模型 → 東京プラモ →...
View Article真相を追い求めるのは不可能?
今更言うまでもなく、今現在もプラモデルの歴史の謎については追跡調査を行っている、そう、諦めるのではなくトコトン行っている、ところが、最近の某模型雑誌では、「プラモデルの始まりに関しては諸説あり、今となってはその真相を追い求めるのは不可能に‥‥‥ 」と書いてあるのを読んで驚いてしまったえええ~!! 何を今さらそんなことを!!...
View Article「和工樹脂」の場所は、
「和工樹脂」の場所さえ不明だったのには理由があった、そう、おそらく当時でさえ初めて訪れる方はその住所を訪ねて行ってもわからなかったかも知れない、 (猫が洞さんからの画像)https://orange.ap.teacup.com/nekogahoraki43/731.htmlこの工場の住所、...
View Article「和工」ブランドで、
決して「和工樹脂」のことは語らなかった、 の続き、さて、和工樹脂はマルサン商店にダットサンを納入し、マルサンはそれにマルサンのロゴマークのシールを貼って、ノーチラス号、哨戒水雷艇など合わせて4点をほぼ同時発売した、そう、ノーチラス号を1番にしたいがために、ここまでは、今までの資料等で明らかなこと、 (昭和34年6月15日 日本模型新聞...
View Article