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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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「和工樹脂」のダットサン1000セダンは、

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その前に、東京へは東京支部の相棒と二人で行ってきた、

話の内容を僕一人だけの頭では収まり切れない、それでバックアップの意味でも二人で行ってきた、

それと、実際に突き止めて会ってきたのか?、と疑い深い方々も多いので二人で行ってきた、

そして、そんな奇跡的な出会いなどあるわけない、宝くじの一等賞に当たるよりも難しい、

絶対にありえない!!

そんな話デッチ上げに決まっている、などと言われているに違いない、そう、そのスジの方々に、

まあ、とにかく「日本プラスチック」の件についても未だにデッチ上げだと騒いでいる方々もいるらしい、

そのような方々には、ある政治家の方が言ったように、丁寧な無視をしたらいいのだろう、

それでは本文に、

「和工樹脂」のメンバーは特にプラスチックという合成樹脂やプラモデルに関する知識などは皆無であった、

たった数人の素人集団であった、(そのメンバーなどのことについては後述する)

もちろん、インジェクション成形機、金型などの機械類もなかった、ただ、事務所と作業場があるだけであった、

そうであるとしたら、なぜあのような当時としては実車に忠実なプラモデルの車を開発し発売するまでになった

のか、

そして、その「ダットサン1000セダン」のプラモデルを開発し製造したのは誰だったのか、

そのことについて紹介してみよう、

その前に、今回奇跡的にお会いすることができたお方とは、

具体的にお名前などを今公表するとご迷惑がかかるので、そう、取材などが殺到したらご迷惑になるので、

東京のストウさん、現在80歳、

そう、当時の和工のメンバーの若者のお一人であった、

さてさて、ダットサンのプラモデルを開発して作ることになったキッカケとは、

ある日、関幸太郎さんが喫茶店に入った時に模型が飾ってあるのに気づいた、

それが、舶来物の完成したプラモデルであったという、

その頃、国産のプラモデルを見たことない関さんは非常に興味をもったという、

もちろん、「ステーションホビー」にも行ったことだろう、

これはいい!! よし! 俺も国産初のプラモデルを開発してみよう、

ただ、関さんはプラモデルそのものに興味はあまりなかった、とにかく新しい物、誰もやったことのないもの、

今までなかった物を作り出すことに興味を示したという、 いくつかの特許も所有していたという、(その特許の

一つが便所のあの下駄であった)

そこで、関さんが目指したのが国産車のプラモデルであった、

もちろん、プラモデルを開発するための資金などあるわけない、技術、専門的な知識などあるわけない、

そこで、関さんが車のプラモデルの開発企画を売り込んだ先が「日産自動車」であったという、
                                                    <続く>


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