今日は明石にて「昭和のプラモ講座」開催
さて、今日は明石にて冒頭の第二回「昭和のプラモ講座」を開催する、テーマは冒頭に書いているように、「昭和のロボットプラモ」と「日本初のプラスチックモデルを開発した幻のメーカーとその後」 となっている、日本プラスチックのことについては本邦初のことであり、まだ公表できないような、いろいろなことも話してみたいと思っているのでお近くの方はぜひご来場を。
View Article昨日は「昭和のプラモ講座」にお出でいただき、
昨日は明石での「昭和のプラモ講座」にお出でいただき、まことにありがとうございました、遠くは東京、名古屋、九州、和歌山、泉州等からわざわざお出でいただき、そしてお土産や貴重な旧イマイのプラモデルまでいただき本当にありがとうございました、「まんだらけ」の妄想で書いたリリパットロボットのことや、戦後初のロボット模型のことやら、そして、日本プラスチックのことやら、ド素人の僕の話をお聞きいただき厚くお礼申し上...
View Article趣味感覚で、
濱田貞雄さんは、趣味程度の感覚でプラスチックモデルの開発を行っていた、金型も自分でおこして製作していた、そう、趣味感覚でやっていたらしい、まあ、そう言われればそれで今までの経緯について納得がいく、そう、大阪化学研究所等を間借りして機械類をあちこちから持ち込んでやっていたことも、電話もあちこちの電話番号を使用していたことも、特に宣伝することもなく、ほとんど表舞台に現れなかったことも、そして、あっさりと...
View Article段々と深みに、
段々と深みにハマっていく、まさか当初はここまで深みにハマっていくことは想像だにしなかった、何度も言うように、当初はせいぜい日本プラスチックの存在と概要が解明できればいいくらいに考えていた、そして、いろいろなお方とも知り合うことができ、好意的に対応していただいた、しかも、関係者の方々には非常に喜んでいただいた、そう、関係者でもまったく知らなかった遠い過去の歴史のことをよくぞ調べてもらったと、そのような...
View Article20年前、よく利用していた、
20年ほど前、まだインターネットが流行り出す前、よく利用してしていたのが通販だろう、その中で、模型雑誌ホビージャパンの広告でお馴染みのものがあった、そう、「ジョイハウス」であった、おそらく多くの絶版プラモ好きの方々が利用されていたのではないだろうか、もちろん、僕もその中の一人であった、もちろん、今はこの住所には存在しない、廃業なさっている、20年前当時は格安だった、大滝の煙を吐く走るロッキードなど一...
View Articleニチモの伊号潜水艦はロングセラーだった、
ニチモがプラモデル事業を廃業してからまもなく3年が経とうとしている、あの地元では衝撃的?なニュースがその原因だとは思わないが(笑)さて、先の記事にも書いたようにニチモの最初のプラモデルは伊号潜水艦であり昭和34年2月のことであった、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70045667.htmlもっと正確に言うと、その2年前の昭和32年にこの広告のフライングヘリ...
View Article火星人は「モデル大賞」の、
昨日、本屋で26日発売の模型雑誌モデルアートを立ち読みした、そう、火星人の記事を読みたくて、もちろん、僕のネタは一切入ってないし、記事を書かれた編集の方のことも一切僕は知らないい、おそらく、僕のブログ等から火星人さんがまだお元気だということを知り、その思い出話を書いていらっしゃるのだろう、昔、その「火星模型店」に通っていた方々はそのモデルアートの火星人の記事を読まれてはいかがろうか、ただ、その火星人...
View ArticleNBK ノーチラス号の残骸
http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71107299.html の続き、mas*k*zu_c*nem*...
View Article日立キドカラー号 飛行船
再び「日立キドカラー号」の話題を、戦後初めて日本の上空を飛んだ飛行船が「日立キドカラー号」であった、時は、昭和43年9月1日であった、その前に飛んだのが昭和4年の8月のこと、そう、この「ツエベリン伯号」以来のことであった、 (昭和44年1月1日...
View Articleハマライト化学研究所は某模型メーカーと
実は、昨日ある書籍を読んでいたら大変な事実を掴んでしまった、僕がすでに持っていたある書籍を念のために読んでいたら、そう、ひょっとしたら東京で濱田さん兄弟が立ち上げた「ハマライト化学研究所」のことが載っていないかと、ひょっとしたら載ってるかもと、...
View Article濱田さんは模型業界の、
すでに某模型メーカーのことなどもバレバレになってしまったが、おそらく調査を重ねるごとにこれからも驚くべき事実が出てくることだろう、ただ残念なことはすでに濱田さんらは10年ほど前にお亡くなりになられていることである、直接ご本人に当時のことをお聞きすることができたなら、それこそ驚愕の事実が判明したに違いないだろう、最後の鍵は90歳になられるお姉さまである、来月の下旬に東京まで行ってお会いする予定となって...
View Article明石にて「生範義 展」
明石が生んだ、スターウォーズ、ゴジラを描いた巨匠 「生範義 展」が開催される、 場所 明石市立文化博物館 4月16日~5月29日 http://www.akashibunpaku.com
View Article駄玩具みたいな有井の建設シリーズ
駄玩具みたいな、グリコのオマケを大きくしたようなプラモに有井製作所の建設シリーズがある、その建設シリーズの中の「ハシゴ車」と「ロードローラー」である、ずっと前に組み立てていたので取り出してみた、接着剤は不要、パズル式ではめ込めとなっている、ハシゴ車はゼンマイ式、ロードローラーはゴム動力となっている、ハシゴもこのように伸ばすことが出来る、とても可愛らしいプラモデルとなっている。
View Article昨日は大阪化学研究所の内田さんに
昨日は東大阪の大阪化学研究所で内田さんにお会いしてきた、近鉄の布施駅から歩いて5、6分、あのマンションが建っているところが当時の敷地、このマンションと消防署の向こう側が当時の敷地、あの3階建てのビルが今の大阪化学研究所のビル、今は空きビルとなっている、大阪化学研究所のプレートも掲げられている、昭和28年頃から濱田さん兄弟はこの大阪化学研究所の工場内に機械類を持ち込んでプラスチックモデルの開発等を行っ...
View Articleプラスチック玩具のピストルを、
ハマライト時代の濱田さんはプラスチック玩具のピストルも製造していたらしいので、念のために調べてみた、取り出したのは昭和35年に作成された某資料、日本全国の当時ピストル玩具を製造していたメーカー、玩具問屋等のリストが載っている、もちろん、布施市内でピストル玩具を製造していた業者も載っている、しかし、この資料の中には濱田さんは載ってない、濱田さんは一体どこのメーカーのピストル玩具を製造していたのだろう。
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