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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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濱田さんは模型業界の、

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すでに某模型メーカーのことなどもバレバレになってしまったが、おそらく調査を重ねるごとにこれ

からも驚くべき事実が出てくることだろう、ただ残念なことはすでに濱田さんらは10年ほど前にお

亡くなりになられていることである、直接ご本人に当時のことをお聞きすることができたなら、それ

こそ驚愕の事実が判明したに違いないだろう、最後の鍵は90歳になられるお姉さまである、来月

の下旬に京まで行ってお会いする予定となっている、

濱田さんは生前、当時のことなどはほとんど話されることはなかったという、もちろん、日本で初め

てプラスチックモデルを開発したことなども自慢したり、話されることもなかったという、

あのマルサンの金型職人とはエライ違いだろう、格が違いすぎる、

だから、甥っ子さんも(濱田さんが設立された今の会社の社長)も当時プラモデルの金型を作った

り、プラモデルやら玩具やらを作っていたのはご存じであったが、まさか、日本で初めてプラスチッ

クモデルを開発されたことなどはご存じではなく、ただ、ただ驚かれた、

濱田さんは日本で初めてプラスチックモデルを開発されただけでなく、それこそ、当時の模型業界

におけるプラモデル産業発展の最大の功労者であったと僕は思っている、

もし、濱田さんが当時いなかったら今の某模型メーカーも存在しなかったかもしれないし、プラモ

デル産業の発展も数年遅れていたかもしれない、

しかし、日本プラスチックという会社が模型歴史の表舞台に現れることはなかった、歴史の片隅に

埋もれてしまっていた、それはなぜか、それは表だって特に宣伝も何もしなかったからである、

そして、濱田さんは模型メーカーに発展させる気はなく、あくまでも趣味的な遊び的な感覚であっ

たという、だから、あえて宣伝する必要もなかったのだろう、

後年になってその歴史を調べるには残っている資料、記録でしか調べる術はない、

その資料、記録、現物がほとんど残っていないわけだからその存在を知るのが難しい、

だから、マルサンのように捏造したものであっても派手に宣伝広告したものがもてはやされ、それ

がいつのまにか本物になってしまうのである、一言で言うと、一番に言ったもん勝ちということであ

る、しかし、そのマルサン伝説とやらはもうすっかり崩壊してしまったので、あとは日本プラスチッ

ク、濱田さんも模型歴史の表舞台に現われていただかないといけない、いや、もう一人いた、

その濱田さんらを指導していたプラスチックモデルの生みの親ともいえる大阪化学研究所の内田

さんである。

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