実は、昨日ある書籍を読んでいたら大変な事実を掴んでしまった、
![イメージ 1]()
僕がすでに持っていたある書籍を念のために読んでいたら、そう、ひょっとしたら東京で濱田さん
兄弟が立ち上げた「ハマライト化学研究所」のことが載っていないかと、ひょっとしたら載ってるか
もと、 すると、アッタ~!!、当たり~!!「ハマライト」のことが載っていた、
疑惑だけではなかった、濱田さんのハマライト化学は某模型メーカーがプラモデル業界に新規に
参入する際に深く関わっていたのである、 ちょうどその時期に、
そして、そのプラモデルとは ・ ・ ・ ・ ・ ・
そして、そして、
その某メーカーとは、う~ん、それは、まだまだ内緒にしておこう、(明石でのプラモ講座に来てい
ただいた方々はおわかりのはず、今回特定できたプラモデルは戦艦〇〇ではなく、〇〇ー〇〇〇
ー)
そして、そのことが書いてあるその書籍とは、それもまだ ヒ・ミ・ツ、
ヒントだけ言うと、その書籍はある方の伝記物、
おそらく、濱田さん兄弟は当時多くの模型メーカーや玩具メーカーと関わっていたのだろう、マル
サン以外のメーカーと(笑)、
つまり、金型設計製作、原材料調達、技術指導などで、
しかし、それにしてもまったくの素人の濱田さん兄弟が大阪化学研究所の内田さんから指導を受
け、プラスチックモデルの開発にとりかかったのが7、8年前ほどの昭和28,9年頃である、
その時、濱田さんは23、4歳の頃である、それがたった3年でゼロ戦のプラスチックモデルを開発
発売し、それからたった3年ほどで模型メーカーのプラモデル業界への参入のために深く関わっ
ていたとは、もう驚きとしか言いようがない、
一体、濱田さん兄弟はいかなる人物だったのだろうか、益々興味が湧いてくる、
その濱田さん兄弟を昭和28年頃から指導していた大阪化学研究所の内田さんのお孫さん(当時
中高校生だったという)には明後日の1日に東大阪の現地でお会いすることになっている。