ナカムラ模型 ボクサー アタックシリーズ
ナカムラ模型のアタックシリーズのゼンマイ式の「ボクサー」、組み立ては簡単、ボディーの中はゼンマイのギアボックスだけ、組立説明図も簡単なものとなっている、ハッキリ言って、組み立てるのも面白みはない、とくにどうってことない何の特徴もないプラモとなっている、しょーもないプラモとわかっていても、一応は作ってみないことには「しょーもないプラモ」と言えないので作ってみた、箱絵は素晴らしいが、もちろん、その箱絵に...
View Article日本ホビー 61式戦車 5アクション
日本ホビーの戦車プラモはギミックが多くて走らせても楽しく遊べる、その最高のギミックを誇るのが1/20の61式戦車であった、http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70420774.html...
View Article毎日、毎日、プラモを動かして遊び
いまさら言うまでもなく、 毎日、時間があればプラモと遊んでいる、おそらく毎日プラモで遊んでいる高齢者、いや高齢者だけでなく、日本全国広しといえ毎日毎日、プラモを動かして遊んでいるのはひょっとしたら僕だけかもしれない、ま、しょーもないが、それだけは自慢できる、しょーもないことでも一番になれば自慢できる、これだけ頭?と手先を使っていればボケることはないと思うが、それと、「...
View Article渥美産業のロボットは、
過去の記事にも書いたように、確認している限りでは戦後初のロボット模型は次の渥美産業が発売したロボットである、 (昭和31年4月号 日本教材新聞)ただ、発売時期、誰が考案したロボットなのかはわからない、昭和31年の4月に存在していたことは間違いない、ま、おそらく、この頃発売した可能性が高い、...
View Articleトヨペット クラウン 3丁目の夕日
数年前の3丁目の夕日のクラウンを取り出してみた、タカラトミー製造でセブンイレブンの景品のラジコンのクラウンである、そのまま放り込んでいたので、初めて動かしてみた、そう、モーター類が固まらないように動かしてやらないといけない、単3電池を入れて、アンテナを立てて走らせるようになっているが、立てなくても2メートルの範囲なら電波は届くので狭い部屋なら十分に走らせることができる、結構スムーズに走ってくれる、や...
View Articleいよいよ最終局面へ
日本プラスチックスの追跡調査は最終局面へ入ろうとしている、先日の記事でも書いたとおり、その後の日本プラスチックスについても辿りつけることができた、そう、突然に、なかなか辿りつけることができなかったのに突然に辿りつけることができた、ハマライト化学研究所まで辿りつけたのが1月の下旬、その後の追跡が困難になっていた、もう、これ以上は無理と半ばあきらめかけていたが、先日突然に突き止めることができた、実は、濱...
View Articleメイドインホンコンの水陸両用車
水陸両用車といえば、ニチモの「バロン」だろう、その水陸両用車の舶来の玩具でメイドインホンコンのものがある、この水陸両用車、商品名もメーカーもわからない、ただ、メイドインホンコンとのこと、ワイパーは僕が自作して取り付けたもの、単2電池3本を入れて、浮き輪のツマミがスイッチ、ヘッドライトも点灯、スクリューのピ二オンギアが噛み合っていない時は陸上走行のみ、スクリューを回す時は、レバーにてピ二オンギアを噛み...
View Article三和模型 B-25D ミッチエル
三和模型の倒産の要因は一言でいうと、粗造乱売によるものだった、一時期にあまりにも多くのキットを発売したものだから、金型も粗悪でその出来はあまりにも悪いものであった、だから、次第に売れ行きが悪くなり資金の回収もままならず倒産となったものであった、三和模型といえば業界初のモーターライズの戦車プラモを発売したメーカーでもあった、その三和模型の中で僕が好きなプラモが次のもの、http://blogs.yah...
View Article今度の日曜日は大阪の「スーパーフェスティバル」
実は8日頃から風邪気味で病院で診察してもらったら「インフルエンザB」であった、咳、鼻水は出るし寝ると息苦しい、うちの誰かさんが1週間前にインフルエンザにかかって回復したところであった、できるだけ、誰かさんの体等に接触しないように(もちろん、普段から接触するようなことはやってないが)していたが、それでもうつってしまったようである、もちろん、ブログの毎日の更新は怠らずに、なぜなら毎日楽しみ?に読んでいた...
View Article来週も、
今日はこれから「スーパーフェスティバル大阪」に行ってくる、8時には会場に入り、今日はそこで1日遊んで終わり、月曜日からは更にパワーアップさせて動かなければならないだろう、そう、「日本プラスチック」の件についても更に深く解明しなければならない、その「日本プラスチック」も日本初のプラスチックモデルを開発し発売したということだけでなく、更に知られざる驚愕?の真実が判明するだろう、残念ながら濱田さんは10年...
View Article大阪化学研究所の内田さんと、
いよいよ、大阪化学研究所の内田さんと4月1日にお会いすることとなった、場所はプラスチックモデルの発祥の現場となった大阪化学研究所である、お会いするその内田さんは当時濱田さんに指導されていた内田〇〇さんのお孫さんである、大手化学メーカー〇〇〇の技術部長までされた合成樹脂の専門家であり、濱田さんらが〇〇さんの技術指導を受けながらプラスチックモデルの開発にとりかかり、ゼロ戦のプラスチックモデルを発売した頃...
View Articleミツワのエスコンを、
昨日の「スーパーフェスエスティバル大阪」ではいい出物はまったくなし、少々期待外れであった、やっぱり東京には負ける、その中で一つだけ買い物したのがミツワのエスコンシリーズの車のプラモである、リモコンボックスで前後左右に操縦できる「エスコンシリーズ」の外車の「ブイック リベラ」と、「フォード サンダーバード」である、「ブイック...
View Article電話でお聞きしただけでも驚愕の、
昨日、濱田さんが創業された某会社へ電話をして少しだけお聞きしてみた、その某会社とは、まだまだ会社名は公開できないが(「プラモ講座の時には説明するので、記事にするのはその後)、驚愕の事実が出てくる、出てくる、面白いほど、 ただしかし、ちょっとマズイ?話もでてきた(笑)...
View Article段々と人物像がわかってきた、
段々と濱田さんの人物像がわかってきた、僕が描いていた濱田さんよりも濱田さんは偉大であった、なぜ、プラスチックモデルの開発に目を付けたのか、なぜ途中でプラスチックモデルから撤退したのか、段々とわかるようになってきた、そう、なぜ自社の物件を持たず間借り等をしていたのか、なぜ、派手に広告PRを行わなかったのか、なぜ、昭和31年10月の日本模型新聞にゼロ戦の予告発売を掲載しながら、その後ピタッと発売したとい...
View Article日本初のゼロ戦金型は、
濱田さんが昭和35年に創業した会社は今までに何回かNHK等のテレビでも放映されているので、ひょっとしたらその会社名等をご存じの方もいらっしゃるかもしれない、合成樹脂関連はもとより薬品関連にまで及んでいる、だから、模型メーカーから薬品メーカーまでその取引先は数百社にも及んでいる、テレビで放映されたのはその中でもアレルギー対策用の薬品や健康食品の製品で、それらの研究開発費として国からも予算が支給されてい...
View Articleゼロ戦の金型は、
寄贈されたゼロ戦の金型は、「大阪市立電気科学館」であった、しかもゼロ戦だけでなく、戦艦大和の金型も(一体どのような戦艦大和のプラモだったのだろうか)、その「大阪市立電気科学館」は平成元年に閉鎖され、今は「大阪市立科学館」に引き継がれている、そこで、昨日その「大阪市立科学館」の学芸員の方に問い合わせてみた、結果は、引き継いだものにはなし、リストにもなし、当時は展示しても5年位で展示物の入れ替えを行いそ...
View Article去年の11月からとりかかり、
去年の11月に本気で日本プラスチックの追跡調査にとりかかり、今回ついにその流れを受け継ぐ会社に辿りつくことができた、まだまだ終わりではなく、これからが本番となる、知りたいこと、知られざる真実が多く眠っていることだろう、当初は日本プラスチックの存在が確認できればいい、大体の概要が判明すればいい、くらいのつもりでいた、それが段々と欲が出てきて今回まで至ってしまった、まあ、よく言われるように、たかが模型の...
View Article