プラモデルが世に現れる前は今で言う銀玉鉄砲で遊んでいたことは過去の記事でも書いたとおりである、
その元祖である初代のマジックコルトについても紹介している、
そして、そのマジックコルトをきっかけに銀玉鉄砲は全国的に爆発的に子供たちの間でヒットした、
このマジックコルトで遊んだ方は今では60歳代後半の方だろう、
ところで、ヒットすれば当然のことながらそのパクり物が出回るのは世のつれである、
この中で本物のマジックコルトはどれかというと、左のものが本物、
これがその本物のマジックコルト、昭和34年に発売された、
これはそのパクり物、なんとその箱は本物の写真が、そう、この箱の中にそのパクり物が入っていた、
本物と合わせても大きさはピッタリ、
まさに本物を撮った写真である、
その箱の中にこのパクリ物が、箱にはメーカー名の表示等はない、
これをみたら誰でも本物と思って購入するだろう、当時はこのようなものが売られていたことはまったく記憶に
はない、
本物と違っている部分はこの銀玉を入れる箇所、本物は後部の扉を開けて弾を装填、パクり物は蓋をスライド
させて弾を装填する、試し撃ちしてみると本物がよく飛ぶ、
もう一つのパクり物がこの青の透明プラのもの、もちろん、メーカー名もわからない、
しかし、僕はこのパクり物は結構気に入っている、
何と言っても透き通って内部が見えるところがいい、そう、中の構造がよくわかる、
実は僕が言うまでもなく、プラモデルでも透明プラのものは凄く人気がある、
幻の透明プラと言えば、日本ホビーの最初の戦車プラモであるマンモス戦車「M41快速戦車」は透明プラの企
画があったらしい、そう、ある程度まとまって仕入れてくれた模型店にはその透明プラのM41快速戦車を宣伝
用として進呈する計画があったらしい、が、なかなか模型店にはその透明プラのM41戦車はこなかったという
話がある、実際にその透明プラのM41快速戦車が存在していたかどうかは不明である、
それと、噂によると今井科学のサンダーボーイロボットの試作品として透明プラのものが作られて、それをどな
たかが今でも所有されている?というが、その真偽のほどはわからない、
話を戻して、
ところで、そのマジックコルトが発売されたのが昭和34年、それより以前に僕が小学低学年の頃ピストル玩具
で遊んでいたのが次のピストル玩具である、
そう、プラスチック製のピストル玩具、銀玉鉄砲のマジックコルトが発売される前に遊んでいたもの、
ん、ん、ん、東京のマルサンとなっている、
マルサンの古いロゴマークが、
さて、あの伝説の金型職人のお方の証言によると、ノーチラス号を開発し始めた頃はまだプラスチックという素
材自体がまだ未知の世界だったと証言なさっている、プラスチック製のものはなかったと、となると、このピスト
ル玩具は一体何?(笑)、いろいろとボロは出てくる、嘘はいずれバレる、まあ、このようなことを今まで誰も指
摘してこなかったことも問題であるが。
ちなみに、国内ではプラスチック製の玩具は昭和25年頃にはボチボチと現れていたことは過去の記事でも紹
介しているとおりである。