これまでも言ってきたように、日本プラスチックの追跡調査は電話帳がなければ成り立たなかった、
そう、過去の存在を確認するには電話帳は非常に重要であった、
ところで、今まで静岡の電話帳は持ってなかったが、今回静岡地区の電話帳を入手することができた、
これで静岡地区の模型業界のことはある程度までは調査することが可能になった、
例えば、この「日本教材新聞」はもう今となっては幻の?業界紙となってしまった、同じ業界紙でも日本模型新
聞は閲覧したければ国会図書館へ行けば閲覧できる、しかし、この日本教材新聞はほとんど現存はしていな
い、他には見たこともなければ持っているという情報も聞いたことがない、
しかも、この日本教材新聞に関してはほとんど情報がない、はたしていつ頃まで発行されていたのかもさえ不
明である、模型の歴史を研究調査するうえでは日本模型新聞と並んで重要な業界紙である、
さて、日本教材新聞はいつ頃まで発行されていたのだろうか、昭和40年代のものは見たこともない、
これは、昭和40年発行のもの、これで探してみると「日本教材新聞社」というのは載ってない、
これは、日本教材新聞社が発行した業者名簿、
電話番号は2-4775
これと同じ住所、同じ電話番号で探してみると、山本〇〇さんになっている、
そう、日本教材新聞社ではなく、個人名になっている、この山本〇〇さんは日本教材新聞社の社長名ではなく
実は社長は山本△△さんである、おそらく〇〇さんはご家族の方だろう、
つまり、日本教材新聞社は昭和40年には存在していなかった、昭和39年までには廃業なさっていたというこ
とだろう、
これは、昭和45年のもの、よ~く見ると、大州模型㈲、なるほど、〇〇産業は昭和45年には会社名を変更し
ていたのか、
これは昭和42年のもの、う~ん、この頃はまだ〇〇産業、
そう、昭和43,4年頃に会社名が変更されていた、何のことかおわかりかな、
まあ、まさに電話帳は僕にとっては欠かせない模型グッズなのである。