日本プラスチックのノーチラス号のことで大事なことを忘れていた、
そう、今更言うまでもなく、昭和32年春に発売された日本プラスチックのノーチラス号は射出成型である、
知っている人は部品を見ればすぐにわかることである、
なぜ射出成型と言えるのか、それは部品がライナーに付いているからである、
そう、それは射出成型しかあり得ない製法だからである、
射出成型は僕が資料等で調べた限りでは戦前から存在していた、戦時中もレーダーの製造のために射出成
型した合成樹脂が使われていたらしい、
戦後は昭和20年代後期にはすでに射出成型は全国の業者に広く普及していた、そのことについては過去の
記事でも僕が証明しているとおりである、つまり、射出成型なるものはその頃は特に珍しい製法ではなかっ
た、あのマルサンの伝説(笑)の金型職人のお方が証言なさっていることは僕が何度も言うように真っ赤な嘘
であった、いやそれだけではない、当時の全ての証言が嘘だったと断言してもいい、まあ、いろいろなことを隠
されているようである、たかがプラモデルの歴史といえどそれを悪意でもって捏造して作り上げてしまったその
マルサンの責任は大きい、またそれをネタにビジネスにしてしまった責任も大きい、それが今後崩れたらどうな
さるのだろう、おそらく、マルサン関係者は当時はそのようなことは想定しなかったのだろう、そんなことバレる
はずがないと、しかし、それは考えが甘い、
これももう今更言うまでもなく、日本プラスチックのノーチラス号を箱だけを変えてNBKブランド(日本文化教
材)で発売したもの、これだともっとよくわかる、ライナー付きの部品が、
このNBKのノーチラス号は昭和34年2月頃発売されたことは過去の記事にも書いたとおりである、
なぜ、中身が日本プラスチックのノーチラス号で箱だけ変えて発売したと言えるのか、
実は、これをNBKが発売した当初は中身も組み立て説明書もそのまま日本プラスチックのものを使用していた
のである、その後、説明図はロゴマークをNBKのマークに変えただけでそのまま使用していたのである、
おそらく、日本プラスチックのノーチラス号もNBKブランドのノーチラス号も今現在何個も現存しているものと思
われる、僕が知っている限りでも6個ある、もちろん、所有されていてもその正体を知らない方がいらっしゃる
だろう、実際、知らなかった方もいらっしゃった、おそらく、マルサンのノーチラス号以上の数が現存しているも
のと僕は推測している、つまり、日本プラスチックのノーチラス号は当時でも市場に相当数流通していたという
ことである、
日本プラスチックのことがこの僕のブログだけでなく、世に知れ渡ったら、「アレッ、俺それ持ってるよ」という
方々が出てくることだろう、ひょっとしたら、「今まで正体がわからなかったがゼロ戦もあるよ」 と、
そうそう、そのゼロ戦は一体どの製法でやったのだろうか、おそらくゼロ戦も射出成型だったのだろう、
なぜなら、ゼロ戦の発売が昭和31年10月頃、その数か月後の32年春にノーチラス号は発売されたからであ
る、数々の証言ではゼロ戦の出来は悪かったという、どのような出来だったのか、確認するにも未だその現物
は確認されてはいない、まあ一つくらいはどこかに眠っているとは思うが、
※ 射出成型が普及していた証拠としていろいろなものがある、その一つとして次の書籍がある、
(もちろん、過去の記事でも当時の電話番号簿等で証明はしているが、)
プラスチックの成型等に関する書籍は当時はすでに一般向けにも出版されていた、
その中の1冊である、マルサンがノーチラス号の開発を始めた昭和32年当時は成型方法も金型製法もプ
ラスチックという素材もまだ未知の世界だったというあの金型職人のお方の証言は真っ赤な嘘で捏造さ
れたものである、実際に当時日本プラスチックがあった布施市(現東大阪)にはプラスチック成型加工会
社等が多数存在していた、実は当時国内でのプラスチック製造の7割は大阪であった、その中の一つが
戦前から町工場が多数存在していた東大阪である、しかも東大阪は空襲の被害がほとんどなかった、
だから今も東大阪には古い町並みや国内でも有数の町工場が存在しているのである、
この書籍は昭和32年出版のもの
ちゃんと、いろいろな成型法が解説してある、もうとっくの昔に射出成型も普及していたのである、
だから、メーカーでもなんでもないタダの模型店店主だった模型飛行機好きの素人の濱田さんがプラスチック
モデルを開発できたのだろう、そう、模型というものにプラスチックなる素材にいち早く目を付けたのであった、
ただ、機械類を調達できてもプラスチックという合成樹脂に関する知識、技術を持ち合わせていなかった、
その技術指導にあたったのが大阪化学研究所の内田義勇さんであった、だからその工場を間借りしてそこで
プラスチックモデルの開発を行ったということである。
そうそう、ついでに、まあ僕が言うまでもないが、ごく当たり前のことだが、
〇 まず総論を勉強し理解せよ、
僕に言わせれば、「総論を理解せずして各論を語るな」 ということである、
最近は各論ばかり語って総論をまったく理解していない、
例えば、プラモデルの歴史を勉強するためにはまずプラスチックという歴史から勉強しなければならない、
そう、合成樹脂のことや金型、その成型方法からそれらに関する事柄から始めなければならない、
プラモデルの歴史というものはプラスチックの歴史の中の一部の事柄である、
つまり、プラスチックという歴史を理解しないと各論であるプラモデルの歴史の誤りに気が付かないということ
である、
要は、総論であるプラスチックの歴史をちゃんと理解していればマルサン物語の嘘もすぐわかるはず、というこ
と、マルサン物語の中の嘘で捏造したものなどすぐに気が付くはずである、そう、あのような苦労話などありえ
ないと、プラスチックの成型などはすでに確立していたのに、あのような苦労話はありえないと、
それと、その当時の時代背景、社会風潮等も理解していないといけない、今の時代の感覚で考えるから気が
付かないのである、まあ、実際に当時を生きていないとわからないだろう、
そのようなことを総合的に判断すると、マルサン関係者の証言もありえないと、何か怪しい、となるはずであ
る、プラスチックという合成樹脂の歴史そのものから捏造するマルサンなどまったく信用できるはずがないだろ
う、
これらの本によると、その頃はプラスチックの成型や金型はまだ未知の世界だったと、もう笑ってしまう、
いやそれどころか、プラスチックという素材自体がまだ未知の世界であったと、馬鹿なことを書いている、
実際あなた方もその当時はすでに家庭用品、ラジオ、オモチャ等のプラ製を使ってたではないか、
「未知の開発に挑んだ男たち」とタイトル等に書いてあるが、大笑い、もう救いようがない、
その頃にはすでに昭和20年代後期にはプラスチックの成型、金型はすでに確立して普及していました、
そんなこと同じ玩具業界のマルサンが知らないはずがない、
驚くべきは、大学の学術論文のプラモデルの歴史においてもこの書籍を参考にしている、参考文献としてこれ
らの書籍を記している、だからその内容も受け売りの内容、大学の教授でもこんなレベルなのか、ちゃんと勉
強せよ、研究調査せよ、論文にするくらいならプラスチックの歴史くらい勉強せよ、ちょっと図書館へいけばプ
ラスチックの歴史などすぐわかる、
マルサンは自分の都合のいいように捏造して真実の歴史を書き換えた、書き換えたその責任は大きい、
何といってもまだ日本プラスチックのゼロ戦の現物は発見されていないものの、昭和32年春に発売され
たゴム動力のノーチラス号の現物は上記の画像のように何個も確認されている、これが揺るぎようのない物
的証拠だろう、
また、その日本プラスチックのノーチラス号が昭和32年春頃に発売されたという証拠も過去の記事で証明し
ている、
まあ、各論しか語らない方々はまったく気がつかないだろう、そう、総論を理解していないと各論も見えて
こない、
これは企業の職場の中でも同じこと、全体がまったく見えずに自分のことだけ的外れなことを一生懸命?仕事
をするお馬鹿さん、そして、「自分はこんなに一生懸命頑張って仕事しているのに評価されない」と嘆く馬鹿、
それとまったく同じこと、もう一度念を押すと、 各論を語るにはまず総論を理解すること、そうでないとタダの
馬鹿の一つ覚えになるということである。