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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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民間の組織ではすぐに破綻する

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http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71466263.html の続き、

今話題の豊洲市場や東京都都庁の組織の中で、誰がいつ何を決めたのかという調査結果を昨日小池知事が

記者会見で発表した、僕はすでに上記の記事で、その犯人探しは不可能、無理であると僕は書いた、

そのとおり、結果的には誰が責任者で誰が決定したのか全て不明であった、

なぜ僕が最初から無理だと言い切れたのか、それは8年間そのような組織、つまり役人の組織の中で働いて

いたからである、これは実際にその組織の中で働かないと絶対に理解できない、

そう、普通の常識の人間では絶対に理解できない、実際にその組織の中で働いてこそ理解できるのである、

テレビのコメンテーターの方々もまったく理解できない、普通なら、民間の会社ではすぐに破綻でしょ、と驚い

ていたが、まさにその通りで普通の会社の組織ではまあ一日は持っても2、3日で破綻、潰れてしまう、

まあ、普通の常識の頭では卒倒してしまうくらいで、僕らの非常識が彼らの常識で、彼らの非常識が僕らの常

識なのである、そう、まったくの逆転してしまっているのである、

ましてや、組織改革など絶対に出来ない、できるわけない、

あるとしたら、それはただ一つだけ、全員民間の人間に変えるしか方法はない、

まあ、わかりやすく具体的に事例をもって説明してみよう、

今から書くことは特に企業秘密でもないのであらかじめお断りしておく、ただ、皆が知らないだけ、

まづ、僕は銀行を定年退職した後、銀行の斡旋でUR都市再生機構の関連組織に再就職した、

もちろん、職場も一緒、都市再生機構の職員と混ぜこぜで働くし、当時は都市再生機構の職員も出向の形で

僕らの関連組織で働いていた、わかりやすく言うと、当時は天下り先となっていた、今は違う、徐々に民間に委

託してきている、

UR都市再生機構といえば、その前が都市整備公団、その前が日本住宅公団、つまり国家公務員、当時は理

事長ではなく日銀と同じ「総裁」と呼んでいた、

今でこそ、独立行政法人となっているが、それでもみなし公務員であり、賄賂を貰うと当然のこと逮捕される、

まあ、業者から賄賂もらうのも常識となっていたが、今は知らない、が変わっていないだろう、変わるはずがな

い、(もちろん、僕は貰っていないし、貰うべき立場にはない)

僕は嘱託の1年更新契約、銀行から来た者はすべて一緒、銀行に文句は言えない、断れば「ああ~、そうで

すか、もう貴方の再就職先はありませんから」 と脅迫されてしまう、もちろん、何の権限もなく部下もいない、

まあ気楽な稼業ときたもんだ、

業務は団地の管理業務、具体的には住人が退去する際の「空き家査定」、つまり住人が退去するさい部屋の

理費を査定し請求すること、クレーム処理、相談、巡回、一言でいうと現場の雑用係ということ、

まあ、ここで遺品整理やら、安否確認やら、で誰も経験できないような仕事を習得?したことは以前の記事で

も紹介したとおりである、

では、その組織であるが、これはもう皆知っているように職員は役人なので完全な縦割り組織となっている、

縦割りと言っても実際はどのようになっているのかは普通の人ではわからないだろう、

それでは具体的にまづ一つの仕事を事例として説明しよう、まあ普通の人なら笑ってしまうだろう、

しかし、彼らはそれを少しの疑問を持つことなくやっている、

まあ、笑わないで読んでいただきたい、いや、最後には怒りが込み上げてくるかも、

何といっても、ここには僕らの税金が投入されているわけだから、   

では、具体的にその一事例を、        <続く>

                                     



プロとド素人の違い、

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今日も我慢してお読み下さい、僕の挑発的で学のない文を、

僕の挑発的、かつ攻撃的な文を心配なさる方々もいらっしゃる、おいおい、大丈夫かよ、と、

ただ、挑発的、攻撃的に書くとなぜか書きやすい、スラスラと文が出てきてしまう、

もちろん、最悪の事態のことも考慮して、そう、訴えられた?場合のことも考えて、

さて、本題に戻って、

プロよりもド素人のほうがレベルは上である、

素人はアホなこと、ショーもないこと、どうでもいいことを一生懸命やる、そこまでやるかということまでやる、

プロは実になること、金になること、身内のためになることしかやらない、そこまでやるか、やらない、

プロとド素人の根本的な違いはそこだろう、

だから、ド素人はプロとは比べものにならないほど一生懸命やる、素人でも同じことを10年研究すれば学者

になれる? とも言われるが、僕は日本プラスチックの研究を始めてからはまだ1年は経っていない、まもなく

1年になろうとしているが、だからまだ学者にはなっていない、あと9年かかる、しかし、プロの方々はほとんど

研究はしてこなかっただろう、あれだけ日本初のプラモデルは何か?、と騒がれてきたのに、

それは、プロの方々にその能力がなかったのが事実だろう、そしてマルサンを一番にしたかったのも事実であ

ろう、だからプロはダメなのである、

調査方法すら知らない、どのように突き止めていけばいいのかということも知らない、

日本プラスチックの存在さえ証明できなかった、証明するためには登記簿謄本をとればいいことさえ知らなか

った、こんなこと素人でも知っている、現に日本プラスチックの存在を調べるためにわざわざ現地で登記簿謄

本をとって調べた素人の方を僕は2人知っている、しかし、その方法さえプロは知らなかったようである、その

日本プラスチックという会社の存在も確認しないで、今頃になって日本プラスチックのゼロ戦は流通しなかっ

たと、存在さえ否定されていた日本プラスチックである、仮にそうであったら、もっと昔に発表すべきだろう、そ

う証拠を出して、その証拠を僕が出したら、今度は流通しなかったと、何度も言うように流通しなかったという

証明は不可能、その証明はできない、

逆に言えば証拠がないのでこれほど都合のいい証言?はない、

だから、ド素人の僕は流通したという複数の証言を得た、ところが今度は全国的に流通していないので流通し

たとは言えないという、全国的に流通させたのはマルサンであるからマルサンが一番手であるという、まあ、

勝手に言いなさい、というしかない、

ド素人でも本気でやればできる、プロは本気でやってもできない、これがド素人とプロの能力の差でもある、

自分で言うのも気がひけてしまうが(笑)、今回それを僕が証明した、ド素人でもほんとうに本気でやればプロ

なんてメじゃない、プロがいかにいい加減かは今回の件でも判明した、

逆に言うと、僕がプロならアホなことも、どうでもいいことはやらない、実になること、金になることしかやらな

い、当ったり前のこと、立場が変わればどうにでも変わる、コレは世間のジョーシキ、

だから、僕がプロだったら出来なかっただろう、そんな金にならないことは絶対にやらない、自分の都合のいい

ように捏造してしまうだろう、

僕はド素人なのでお分かりのように、アホなこと、ショーもないこと、をそこまでやるかというくらいやっている、

まあ、正直な話、時間を持て余しているからでもある、

プロがそこまでやらないことまでやっている、プロのようにどこにも利害関係がないので自由に暴くこともでき

る、業界の都合が悪いことを揉み消すこともなく、むしろそれを暴くことが趣味となっている、

「タダのド素人の糞ジジイが何を今更グタグタ言って、模型業界をかき回しているのだ、いい迷惑な話だ、一体

何が目的なんだ、ええ加減にしろ、バ~カ、」と陰で言われているのも承知している、

しかし、それは負け犬の遠吠えだろう、このようになったのも、ハッキリ言って僕の責任ではない、

それは、あなた方のような模型業界、それに利害関係のあるプロの関係者の責任である、そしてその原因を

そもそも作ったのもあなた方であるのを忘れてはならない、

最近、安倍総理が国会答弁でいいことを言った、「百の批判よりも一つの結果である」 と。

僕に言わせると、 「百の捏造よりも一つの真実である」。

まあしかし、いくらこんなことを僕が言っても、最終的に判断するのは皆さん方なのである。

〇今のところ、僕の真実の説には一か所も間違いはないようである、途中で間違いを指摘されたようだが、
その指摘は根本から破綻している、「発売されていない」「流通していない」と証言?されてもそれを証明することはできない、「発売された」「流通した」ということを証明することはできる、
それらの証拠等を探すために調査研究するのが研究の基本、コレ研究する上での常識、基本、
なかったということを研究する感覚がわからない、何の進歩もない、存在したと仮定して研究するのが常識、
   
   プラモデルでも同じこと、だから日本プラスチックの存在さえプロは掴めなかった、
   そう、存在したことを前提にしていないから、ゼロ戦が存在したことを前提にしていないから、
   それは、その存在が確認証明されると、マルサンの嘘がバレるから(笑) まあ、コレが事実だろう、

   アッ、それから、「まだ確認されていない」という言葉も都合のいい言葉である、
   僕に言わせるなら、「それはアナタが確認していないだけ」
   
   僕の真説を打ち砕くまともな反論、事実等は今のところ1件もない、当ったり前の話、

〇 話は変わって、

※ 実は、某メーカーにメールで問い合わせを行った、
  もちろん、匿名ではない、僕の住所、電話番号、本名を入れて、
  内容は、今回の研究結果を発表した場合に御社はなにか影響があるかどうか、ということを、
  興味がなければ無視して、本メールは破棄して下さい、と、
  はたして、無視されてしまうか、それとも返事がくるか、

上田毅八郎先生追悼展開催中

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新聞紙上等でも報道されているように、只今、静岡ホビースクェエアにて、「上田毅八郎追悼展」を昨日から9

日まで開催中!!  http://hobbysquare.jp/

お近くの方はぜひご来場あれ、

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玉川屋/「模型探偵団」東京支部からは次の物を展示中!!

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この展示キットがいかほどの物なのか、わかる人にはわかる。

17年ぶりに開けてみた、

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もう17年くらい箱を開けていないのがある、入手以来1度だけ箱を開けたが中身をチラ見しただけでその後ま

ったく開けてないのがある、

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その内の一つがコレ、なにしろちゃんと整理しないで押し入れ等の奥に突っ込んだままなので開けることがな

い、たまには陰干し?しないと、と思い開けてみた、


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箱の中から取り出すのは初めて、もう、部品はライナーから外れてバラバラ、

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ギアボックス等は特に異常なし、リモコンのビニールコードが少し硬化し始めている、

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リモコンボックスも異常なし、このプラスチックはモロイのでよく欠ける、

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ゴムキャタピラは少し硬くなっているが、ひび割れもなくまだまだ実用には問題なさそう、

これを組み立てるつもりはない、走る以外にギミックがないので、小松崎画伯の箱絵を楽しんだらいいのでは

ないだろうか。

横の繋がりは完璧にない、

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http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71480182.html の続き、

では、役人の縦割り組織がいかに完璧なのか、その仕事の事例を紹介してみよう、

そう、横の繋がりが完璧なほどにないことを、

以前の記事でも紹介しているように、これは企業秘密でもない、いくらなんでも企業秘密を僕がここで書くわけ

ない、知っている人は知っている、だからそれを知っているワルはうまいことそれを利用すのである、

皆があまり知らないだけ、一言で言うと、家賃をタダ?で住む方法である、

簡単にどういうことなのか説明しよう、

〇 家賃を払わないと当然のことながら督促状が来る、

〇 それでも払わないと〇か月ほど経過すると職員が直接訪問のうえ督促する、

〇 その〇か月後ほどそれでも払わないと裁判所に提訴の手続きを開始、

〇 その後〇か月ほど払わないと、強制執行の手続き、

〇 それでも払わないといよいよ〇月〇日、強制執行の実行、

まあ、この間、大体が8か月から10か月、 要するにこの間家賃タダで住むことになる、

問題はこの後、

〇 強制執行で退去させられた住人は別の名義(家族名義でもなんでもいい、例えば妻の名義でもいい)で

  新規に他の住居の申し込みを行う、

〇 入居申し込みの書類がそろっていれば入居OK、となる、

その繰り返しが可能であること、

ま、簡単に説明するとこのようになる、

まあ、普通の頭の持ち主であれば、エッ!!そんな馬鹿なことありえないでしょ、となるが、

そんなことはどうでもいいのである、

民間では絶対にありえない、当たり前の話、そんなことやってたら会社は潰れてしまう、

この話を銀行で例えるなら、貸し倒れになった先が今度は妻の名義で融資の申し込みを行ったとしよう、

銀行は絶対に謝絶する、コレ当たり前の話、小学生でもわかる話、

なぜこのような漫画みたいなことが行われているかというと、もちろん組織が完全に縦割りになっているから、

家賃滞納督促、強制執行、を行う部署と、新規に入居申し込みを行う部署が別個の組織だからである、

いやしかし、いくらなんでも部署が違っても家賃滞納者のリストくらいは回るでしょ、いや回りません、

自分の部署以外他の部署のことは関係ありません、興味ありません、

当然のことながら、僕は普通の頭の持ち主だから、これは明らかにオカシイ、改善してほしい、と言っても、

残念ながら僕にはそのような発言、権限は一切ないので、無視される、

強制執行を受けた家族の者が新規に申し込みに来ているとわかっていても、入居OK,

その担当者が言うには、「書類が揃っているので断る理由がない」 と、

だから、これを知っているワルは有効に利用してタダ同然で住んでいるのである、これ企業秘密でもなんでも

ありません、

強制執行を行うと1回あたりおおよそ1百万円かかる、家財道具等を回収するので運送トラックの手配やら、

裁判所の執行官やらの報酬やらでかかってしまう、

これもあまり知られていないが、裁判所の執行官は裁判所の直属の職員ではない、裁判所の管轄下におか

れた国家公務員である、独立した例えは悪いが自営業みたいなもの、だから給料は出ない、出来高払いによ

って収入が上下する、つまり、強制執行の仕事が増えると収入も上がる、ということ、家賃滞納が増えれば増

えるほど執行官の収入は増えるということ、滞納が増えれば執行官が喜ぶという図式、

強制執行1回当たりナンボ、ということ、

さて、次は、   <続く>





    

発売したという広告、記事がないので、

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今日も我慢して僕の記事をお読み下さい、僕はシツコイので、

叩くのまだまだ終わらない、

ハッキリ言って、高い場所から見ると僕のやっていることは本当に小さなことである、このようなことをやって模

型の歴史がどうであっても社会的には何にもまったく影響はない、自分がアホに見えてもくる、しかし、そんな

と言い出したら何にもできない、僕の趣味がなくなってしまう、すぐにボケてしまう、

まあ、我慢して付き合っていただきたい、そこで、本題に入って、

日本プラスチックの件でその全てを否定なさっている方々の論理はこうである、

発売予告しかなく発売したという広告がない、発売されたという記事が模型新聞に載ってない、だから、発売さ

れ流通したとは判断できない、販売されても全国的に流通したという痕跡がないので流通したとは判断できな

い、まあ、要約するとそのようなことだろう、しかし、僕に言わせれば自らその研究、調査を放棄したものと同じ

である、その研究から自ら逃げてしまったに等しい、またそれらの方々の間違った嘘で捏造された定説がまか

り通っていることが悲しい、

冷静に考えてみよう、例えばプラモデルの新製品を発売したからといっても自動的に日本模型新聞が記事に

できるわけがない、また自動的にその広告を載せることもできない、コレ当ったり前のこと、

なぜなら、そのようなこと模型新聞社にわかるはずがない、

模型新聞に載せてもらうにはメーカーがその記事の掲載依頼をしなければならない、広告を載せるには掲載

料を払わなければならない、だから、記事にない広告がないから発売していない、という論理は根本的に破綻

しているのである、模型の世界にはいまだにどこのメーカーが発売したものか、一体いつ発売したものなのか

依然として不明なプラモデルは山ほど存在している、それは広告が載ってない、記事が載ってないからだろ

う、だから、世のマニアの方々は僅かな限られた資料等でもって研究調査しているのである、

それから、「発売広告、発売したという記事がないから、その記事が見当たらないから流通したとはいえな

い、」 というこの論理、僕から言わせると、それこそ、「おい、おい、大丈夫かよ」と言いたくなってしまう、

記事にないから、広告がないから、でただ終わるのでは研究でも何ものでもない、ただの通読にしかない、

そもそも、日本模型新聞をちゃんとご覧になられたのだろうか、ちゃんと読まれたのだろうか、

ちゃ~んと、記事に書いてあります、「マルサンのノーチラス号の発売前にはすでに大阪の某メーカーがノーチ

ラス号を発売した」 と記事に書いてある、ちゃんと探すように、ちゃんと研究するように

たしかに日本プラスチックがノーチラス号を発売したという記事や広告は載ってはいない、、が、隅から隅まで

んでいくと上記のように記事が載っている、そして尚且つ、火星人さんが昭和32年に模型店を開店するさ

松屋町の問屋で日本プラスチックのゼロ戦とノーチラス号を仕入れて店頭に並べて発売した、という証言

ている、まあ、この証言も嘘でも記憶違いでないことはすでに僕は証明している、そして、そのノーチラス

現物も何個も存在している、まあ、これで完璧に日本プラスチックが日本初であることは間違いないとい

のである、

ところで、その上記の大阪の某メーカーがノーチラス号を発売、という記事でその某メーカーというのが気にな

る、なぜ日本プラスチックと具体的な名で書いてないのか、実はこれにはある理由がある、

そう、その記事を書かれた方の表面に出すことのできない、心の中に秘められた、心の奥に仕舞われたその

真意というものを解き明かさなければならない、そこまでやってこそ研究というものである、

それについてはまた2、3日中に紹介しよう  <続く>

※ 僕の調査はプロの方のような薄っぺらい研究?とか、人からの受け売りではない、このブログでは書けな

いようなともいろいろとある、取材等も数人の方々にもやっている、当時からマルサンではないとご存じの方

もいらっる、ただそれをここで書くと迷惑をお掛けするので書かないだけの話、(そう、同じ業界の方なの

で)、僕がここまで断定して書いているのは僕が調査をした結果だけでなく、それなりのことがあるわけで、そ

れは今は書けないということ。

只今、社員募集中!!OS工業㈱

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OS工業㈱では社員募集中!!http://www.os-kougyo.jp/publics/index/8/

事業内容
合成樹脂着色原料の設計開発から製造販売 
再生プラスチック原料の設計開発から製造販売 
ブラックマスターバッチの設計開発から製造販売 
カラーマスターバッチの設計開発から製造販売 
顔料の調色から製造販売 
原料販売、他

もの作りが好き、手先が器用で、働く意欲が旺盛の若者がいらっしゃったらぜひ問い合わせを、

初代社長の濱田貞雄さんは、プラスチックモデルを日本で初めて開発し発売した会社の日本プラスチックを立

ち上げた方で、その精神、技術の流れを受け継ぐ会社です、奥様は会長です。


パンサータンク リモコン

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先日紹介したリモコン タイガータンクと同様に長いこと箱は開けたことにないものにリモコンのパンサータンク

がある、


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これも1回開けたっきりで今回17年くらいぶりに開けてみた、

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リモコンタイガータンクは茶色いっぽい色をしていたが、これは緑っぽい色をしている、

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ゴムキャタピラは少し癖が付いているものの、ひび割れ等はない、多少癖が付いているもののまだまだ充分に

使用可能、これも今のところ組み立てる予定はない、まあ箱絵を楽しむ程度である。

平成9年10月に出版されたモデルアートの

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昨日、読者の方に教えていただいた次の書籍で、

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そう、この平成9年10月に出版されたモデルアート10月臨時増刊号は当時購入していたが、写真だけ見て

中身の文はじっくりとは読んでいなかった、平成9年といえば今から19年前、う~ん、もう20年近くも経ってし

まった、僕がそろそろ子供の頃のプラモデルに目覚めた頃である、その頃はまだ日本初のプラモデルは何か

ということにはほとんど関心はなかった、それからいろいろな書籍等を読んでいくうちに日本プラスチックの存

在というものに気が付いたという次第であった、

もう今となってはこれに書かれていることについてどうこう言うことはない、

マルサンが日本初としたいきさつというか理由について書かれているので、僕が言っていることと比較できる

のではないかと思うので参考になるだろう、

ここに書かれていることで一つ面白いなと思ったのは例の「プラモデルの商標権」のことである、

東京の百貨店が領収書の品名に「プラモデル」と書いたので、マルサンの特許事務所から商標権侵害として

内容証明を送付された、とある、まあ笑ってしまうような話である、

まあ、これが事実ならその特許事務所は商標権の意味も知らないお馬鹿だったのか、あるいは拡大解釈をし

て権利を行使しようとしたのか、どちらかにしろその特許事務所はお馬鹿だったのだろう、

この事例に限らず、僕が聞いた話では神戸地区の模型店でもそのような事例があったらしい、

マルサンの社員が模型店を巡回して、店内に「プラモデル」という表示がしてあるものを見つけると片っ端から

剥がしていったという、模型店側も商標権ということを聞いただけでビビったのだろう、

だから、火星人が日本模型新聞紙上でマルサンを批判したことはすでに紹介したとおりである、

まあ、そのお馬鹿ぶりは今も模型業界、並びに日本プラスチック工業協同組合にキッチリと受け継がれている

(笑)ことは、以前の記事でもシツコイくらいに書いているので「プラモデルという商標は」の項目をご参照あ

れ。

火星人も書けなかった、

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http://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70045978.html 去年1月15日の記事(この当時はまだ日本プラスチックのことはまだ調べていないので)

なぜこの日本模型新聞の記事で、「今はなき大阪の某メーカー」と書いたのだろうか、なぜ日本プラスチック
        (昭和47年3月6日付けの記事)
と具体的に名を出さなかったのだろうか、その頃はまだ謎だった、あの頃(昭和36年10月)の日本模型

新聞では火星人は「プラモデルの一番手はマルサンではなく、日本プラスチックである」と痛烈に批判をしてい

たのに、なぜなのだろうか、

模型業界のご意見番としてその名を関西だけでなく、東京地区にも轟かせていた火星人であった、

マブチモーターを痛烈に批判し、各メーカーの製品一つ一つについてきめ細かく調査し言うべきところは容赦

なく批判、言いたいことをそのまま模型新聞紙上に書いていた、

しかし、意外にもマルサンを批判したのは、僕が確認した限りではその記事だけである、他には一件も見当た

らない、なぜだろうか、あれだけいいたいことを言い、いろいろなメーカー、製品のことを容赦なく批判している

のに、なぜだろうか、

そして火星人はその後、プラモデルの一番手はマルサンという姿勢で記事を書いている、

火星人が日本模型新聞の社友となり記事を書き始めたのは昭和34年の夏ごろからである、

その当初から火星人はプラモデルの一番手はマルサンという姿勢で記事を書いている、

ところが、突然、昭和36年10月にマルサンを批判した、その後はマルサンが一番手という姿勢で書いてい

る、そして、昭和47年3月6日に上記のように「大阪の某メーカーがマルサンより前に」と過去を振り返って書

いている、

ここから書くことは僕の推測も少し入っている、

マルサンが昭和33年12月にノーチラス号を日本初と大々的に広告宣伝し発売した、すでにこの時にマルサ

ンが日本で初めてプラモデルを発売したという認識が世に広まり定着したのである、まあ当時は嘘でもなんで

も先に言ったもん勝ちの世の中であった、今でこそ誰が一番かということが重要であるが、当時はそんなことは
大して重要なことではなかった、仮に中小のメーカーが「俺のところが一番だ」と言ったところで、最大手のマル

サンには太刀打ちできなかっただろう、あれだけの豊富な資金力でもって派手に広告宣伝すればマルサンが

一番だと、それこそ今でいう皆が洗脳されてしまう、

火星人が日本模型新聞の社友となり記事を書き始めたのが昭和34年の夏頃、すでにマルサンが日本初とい

うことは業界にも定着していた、火星人は昭和32年の模型店開店の際に問屋で日本プラスチックのゼロ戦と

ノーチラス号を仕入れているので、当然のことながらマルサンが一番ではないとわかっている、

しかし、当初からマルサンが一番手という姿勢で記事を書いている、つまり書けなかったのである、

何といっても日本模型新聞は広告収入がないと困る、マルサンを敵に回すわけにはいかない、

しかも当時は業界最大手である、火星人は書きたくても書けなかったのである、

しかし、ついにマルサンの横暴にぶち切れして昭和36年10月にあのような記事を書いたのであろう、

当然のことながら印刷に回す前には校正も入る、社長も了承していたに違いない、

なぜ社長も了承したのか、それは今となってはわからない、

その後、火星人はマルサンが一番手という姿勢で記事を書き続けている、

おそらく、火星人は書きたかったに違いない、マルサンではないと、しかし書けなかった、

そして、昭和47年3月6日の記事で過去を振り返って、「大阪の某メーカーがマルサンより前に」と、遠慮気味

に書いている、まあ、火星人らしくない、

その昭和47年というと、すでにマルサンは消滅している、だから書いても業界にはさほど影響はない、本当は

日本プラスチックと具体的に書きたかったが、あえて遠慮気味に今はなき某メーカーと書いたのだろう、

おそらく火星人はずっとそのことが気がかりだったのだろう、真実が隠れたまま埋もれてしまったことが、

それは、「火星模型店」を閉店してからも同じ思いであった、

だから、遺言?の一つとして「マルサンの定説を覆しなさい」と僕に託されたのではないだろうか、

しかし、今となってはその真意を確かめることができなくなってしまった。







ニチモの伊号潜水艦の特許公報

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別に自分のことを自慢するわけではないが(いや、本当は自慢したい)、ニチモの伊号潜水艦の特許公報を日

本で初めて公開したのも僕だろう、今まで他には見たことない、

以前の記事でも何度も紹介はしているが、ここであらためてシツコク載せておこう、

まあ、これも僕が素人だからできたこと、

この特許公報で、ニチモの伊号潜水艦のことがいろいろと推測できるだろう、


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今は、特許庁のホームページが変更になってこのニチモの特許公報をヒットさせるのは僕でも不可能、

これは10年くらい前に偶然に、奇跡的にヒットさせたもの。

戦時中の模型飛行機の設計図

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戦時中の模型の設計図が好きなのでつい集めてしまう、

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「ユーヒ研究室」とあるが一体どのようなメーカー?

戦前には中小あわせて多くの模型メーカーが存在していた、メーカーとはいってもそれこそ模型店に毛の生え

たようなものである、戦前の模型メーカーのことを調べるのは極めて困難、

しかも、そのほとんどが空襲等で消滅している、資料も少なく研究するのはほとんど不可能な状態である、

僕が今まで突き止めたのはただ一つ、以前にも紹介している「朝日科学玩具」という当時では国内最大の模

型玩具メーカーだけだった、

有名なのは戦時中に科学模型教育振興のために国策で設立された日本文化教材(現ブンカ)であるが、今と

なってはほとんどが自社の歴史もまったく知らない無関心の方々が社員のようで、時代も変わったものであ

る、自分が今働いている会社がどのような会社なのか何も知らないなんて、そう、当事者よりもまったく関係の

ない素人がよく知っているなんて、何かヘンな時代になってきたものだ。

それは時間切れ寸前の奇跡であった、

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本題に入る前に、ご存じのように?僕は弱い者を叩いたり、いじめたりすることは絶対にない、それは現役の

頃からずっとそう、だから会社からも要注意人物として警戒されてきた(笑)、そう、僕はなぜか弱い人には弱

いのである、媚を売ることなどまづありえない、僕より強い立場にある人を叩くのが好き、そのほうが断然いい

、そう徹底的に叩くのが好きである、今更言うことでもないが、

まあそれを不快に思う方は僕のブログをご覧にならなければいいことである、

それでは本題に入って、

それは、業者名簿、電話番号簿から始まった、

これがなかったら、調査は不可能であった、

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そう、僕に与えられた物は、この東京の電話番号簿と業者名簿だけであった、最初はこの4点の資料のみで

始まった、普通に考えたらたったこの4点のみの資料だけで日本プラスチックの全容を解明するのは絶対に不

可能、どんなに僕の能力が優れている?としても絶対に不可能、奇跡が起きても不可能、まあ、無謀ともいえ

ることだっただろう、僕自身、絶対に不可能だと思っていた、せいぜい日本プラスチックの存在だけでも証明で

きればいいと思っていた、ところがもう奇跡としかいいようがない、そしてまさに時間切れの状況であった、

あと4か月調査が遅れていたら、もう永遠に日本プラスチックのことは葬り去られるところであった、

嘘の「マルサン伝説」が永遠に語り継がれるところであった、

その僕に言わせれば奇跡ともいえる数々を紹介すると、

〇その東京の電話番号簿は11年ほど前にヤフオクで落札したもの、入手した理由は日本プラスチックの東   
 京営業所の存在を確認するため、もちろん、日本プラスチックの名前は記載されていなかった、

 (兄の濱田亨さんの電話番号が記載、ハマライト化学研究所の電話番号が記載)、

 だから、当初はその電話番号簿は何にも役立たづ、

 その後、このような東京の電話番号簿はみかけない、国会図書館にも蔵書なし、

 しかも、この電話番号簿は調査するにはまさにピッタリの年度のものであった、これより早い年度でもダメ、

 遅い年度のものでもダメ、これが11年前に入手できていたということが奇跡、

〇「業者名簿」で日本プラスチックの電話番号が判明した、それで東京の濱田亨さんの住所、電話番号を突き

  止めることができた、つまり、それが東京営業所の電話番号であった、

  そして、濱田貞雄さんが「東京堂模型店」の店主だったことが判明、

  この「業者名簿」は〇〇さんからの提供を受けたもの、この出所は渥美産業さんからのもの、

  このような「業者名簿」が現存していたことが奇跡、

〇「東京堂模型店」、「大阪化学研究所」の場所を特定できたのが奇跡

 その業者名簿の住所で「東京堂模型店」、「大阪化学研究所」の場所を特定したが、その際に利用したのが

 「吉田地図」という」会社の住宅地図、大阪府下については昭和34年頃からの住宅地図のデータが残って

 いる、これはほとんど知られていない、実はこの「吉田地図」は今となってはどんな会社なのか知ることは不

 可能、実はある理由ですでに会社のホームページは削除されて出てこない、同じ名前で「吉田地図」という

 会社があるが、それはまったく関係ない別の会社、

 実は、僕が日本プラスチックを調べ始めた時はまだホームページが残っていて、そこで昭和の古い住宅地図

 のデータがあることを知った、その4か月後くらい後にそのホームページが削除されてない、

 つまり、あと4か月僕が遅かったら日本プラスチックの調査は不可能であったということ、これも奇跡?

〇あと4か月遅かったら出会えなかった、火星人さんと出会えたことも奇跡、

 あと4か月遅かったら火星人さんとも出会えることはなかった、最後の生き証人と出会えることがなかった、

〇 OS工業㈱さんが新たにホームページを開設なさった、

  濱田さんが創業したOS工業㈱さんが今年の2月8日にホームページを新たに開設なさった、

  このホームページの開設により僕は濱田さんを突き止めることができた、

  このホームページの開設がなければ永遠に突き止めることはできなかった、そうハマライトの東京の電話

  番号までは突き止めたが、2月に入ってからその後の行方を突き止めるのが不可能な状況になっていた、

  そのホームページを開設なさったのが2月8日、実はこの日は濱田貞雄さんの誕生日なのだという、

  社長さんも当初はそのことにはまったく気が付かづ、たまたま開設したのが2月8日だったという、

  う~ん、これも何といっていいのか、何か不思議な、

  実は僕の父の命日も2月8日であった、(これはあまり関係ないか)

  まあ、いずれにしても奇跡に感じてしまう、

ざっとあげても以上のとおりである、

まさに時間切れ寸前の、奇跡中の奇跡が起きたとしかいいようがなかったのである、

  
それでは最後に、日本プラスチックの全てを否定されている方へ、日本プラスチックのゼロ戦は模型とは言え

ず問屋でもまったく相手にされず試作段階で頓挫し製品とはならず、流通はしていない、日本プラスチック

のノーチラス号はニチモの伊号潜水艦の箱絵をパクってその後に発売したものだ、と否定なさっている方、

もう、なにがなんでも日本プラスチックの存在を否定したい方、

それではアナタは、日本プラスチックの一体何をご存じだというのですか、日本プラスチックの何を調査、研究

をなさったと言うのですか?。


9日~11日まで休み、

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9日~11日まではあちこちと出かけ家を空けるのでブログは休み。

静岡へ行ってきた、

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静岡へ行ってきた、車を飛ばして行ってきた、今回は下の道ではなく往復とも高速を飛ばして行ってきた、

何しに行ってきたかというと、

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行った場所がココ、

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そう、模型の聖地、静岡が誇る施設「静岡ホビースクェア」である、http://hobbysquare.jp/

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そこの3階にあるのが「サウスポット静岡」である、

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その入り口を入ってすぐ右にあるこの常設展示室、展示ショーケースが見える、

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その展示ケースの中には、

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このケースの展示は「模型探偵団」のものではなくまた別のお方のもの、


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わざわざスペースを空けてもらって、いまや幻の業界紙となってしまったご当地出版の「日本教材新聞」を展

示、そう、懐かしいご当地静岡の模型会社の風景が表紙に載っているので展示させていただいた、

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実は横のこの展示ケースに模型探偵団の木製戦車模型の完成品を展示させていただいた、

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タミヤの歴史館にもないタミヤ初の戦車模型の完成品、そう、アレには載っている、明石小五郎ではなく僕の

本名で、

もう今更説明するまでもない、すでにブログで紹介している動く木製戦車模型の数々である、

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「模型探偵団」と控えめ?に名前を表示、

そう、「模型探偵団」の悪名は全国に轟き渡り、マルサン風に言うとその名は全国に流通しているので?、小さ

く控えめにしている、もはや、その名を知らぬ方はモグリしかない、

これに、「明石小五郎」などと書き加えたりしたらあまりにも刺激が強すぎるだろう、

プロの方々は拒否反応を起こしてしまうだろう、

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その中でただ一つ、あえて模型探偵団東京支部からはタミヤの超レアな木製航空母艦模型の「翔鶴」を展示、

そして、それに関する当時の日本教材新聞の該当記事のページを開いて展示している、この記事の中ではタ

ミヤ初の空母が「プリストン」である、という記事とそれ以外にも興味深い記事も載っている、  

来館された方はこの新聞の記事をよ~く読んでいただきたい、

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もう「模型探偵団」フアンの方々ならご存じの動く木製戦車模型ばかりである、

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何といっても無料なので、

お近くの方も遠い方も、ぜひ「静岡ホビースクェア」の「静岡サウスポット」の3階へご来館あれ。











1か月ぶりに神戸へ

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今年は晴れた日が少ない、特に9月は台風等の影響もあって晴れた日は数えるほどしかなかった、

しかも晴れても風が強かったたりして自転車のペダルを漕ぐには適していなかった、

そこで、およそ1か月ぶりに自転車で神戸まで往復した、

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もう今更言うまでもなく、ここは大蔵海岸の住宅展示場の西側の場所、今はイワシ、アジがよく釣れる、

僕が静岡に行っている間に孫達がここで魚釣りをしたらしく200匹くらい釣れたらしい、

サビキ釣りで投げ込んだらすぐに食いつくといった感じで、大いに楽しんで帰ったらしい、

その釣れたイワシ、アジ等は冷凍にしてある、

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JR舞子駅前の2号線、

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以前ほど中国人は来なくなった、前は泉ナンバーのバスで大挙して押し寄せてきたが、今は少数となってい

る、

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ここでもアジ、イワシ、は釣れる、休日ともなれば大勢の家族が魚釣りを楽しむ、

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前方に見えるのはアウトレットの「神戸マリンピア」、休日ともなると大阪、奈良あたりからもやってくる、

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塩屋駅付近のJR線と上が山陽電車の線路、この付近は昔は外国人の別荘が多く今も洋館が残っている、


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これは山陽電車、右が2号線、その右がJR線となる、

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塩屋を過ぎるとここは須磨浦ロープウェイ、

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須磨浦公園当たりは一の谷の合戦場で、源義経が馬に乗って山から駆け下り平氏を討取ったとされるが

とてもそのようなことは不可能、馬に乗ってあの険しい山から駆け下りられるはずがない、

おそらく、コソッと降りてきて後方から不意打ちをしたに違いない、

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ここは須磨海水浴場、

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長田駅前の鉄人28号、

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ずっと前の記事であの高層住宅の部屋から鉄人を上から撮影して、ヘリコプターから撮影したかのようなこと

を記事に載せたことがあった、実はあの高層住宅は僕の担当住宅だったので出入りが自由であった、

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ここは、川崎重工の工場への入り口付近、右側のこだま号は化粧直し中、

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川崎重工工場内、ここで新幹線等も製造している、前方には線路が横切っている、

もちろん、この道路は一般車も通行事由、

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川崎重工工場を抜けると、ここは兵庫運河、

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兵庫突堤、廃墟と化したクレーン、

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兵庫突堤から見た景色、

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三菱重工のドック、

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神戸ハーバーランド、

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ハーバーランドから見た川崎重工のドック、潜水艦はドック入りしていなかった、

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ここもハーバーランド、平日は大体がガランとしている、最近は中国人も少ない、

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ここはメリケンパークにある震災跡、あえて修復しないでそのままの状態で保存されている、

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このあたりがメリケンパークの東の端っこ、前方には海上保安庁の巡視船等が多く停泊している、

以上がいつものサイクリングの一つのコースとなっている、片道2時間ほど、往復4時間、

1回往復すると体重は今の季節で1キロ以上、夏だと1、5キロ以上は減る、

ただし、翌日には元に戻っている(笑)、毎日実行すると確実に落とせるのだろう。


灰皿をゲット

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静岡に行った時にゲットしたのがこの灰皿である、

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そう、この灰皿をいただいてきた、まあ、このような物は僕しか欲しがらない、

その僕をよくご存じの方からいただいてきた、

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昭和27年10月5日の日付入り、そう、日本模型新聞創刊3周年記念の灰皿である、

これが何の記載もなければタダの灰皿、何の価値もない、

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もう一つの灰皿と言えばこの緑商会の灰皿、2つ並べて撮ってみた、

日本模型新聞の灰皿が出てきたので、ついでにもう一つ日本プラスチックのことを確認しておこう、

日本プラスチックがプラスチックモデルの一番手であることはすでに昭和36年10月に業界内でも確定して

いたと言えるだろう、何が証拠で言うのかと問われれば、もうシツコイと言われても再度確認しておこう、

例の昭和36年10月の日本模型新聞で火星人さんが「プラモデルの一番手はマルサンではなく、日本プラス

チックである」という記事を載せたことはすでに紹介しているとおりである、そこでよ~く考えてみよう、日本模

型新聞社が何の根拠もなく無責任でそのような記事を掲載するわけがない、つまり日本模型新聞社はそれな

りの根拠、事実等を知っているからこそあえて記事を掲載したのである、

これほどの確実な証拠もないだろう、日本模型新聞社がマルサンではなく、日本プラスチックであるとその昭

和36年10月に断定しているわけである、相手はマルサンである、それなりの覚悟等はしていただろう、

が、その後、マルサンがどのような反応を示したのかわからない、まあ何らかの反応をしたのは間違いないだ

ろう、そしてその後、火星人さんはプラモデルの一番手はマルサンという姿勢で記事を書いている、

まあ、何があったのか僕が推測で書くわけにはいかない、皆さんに推測していただければいい。

※日本模型新聞社の創業者の田村さんと濱田さんは知り合いであったはずである、

 濱田さんが模型飛行機を飛ばしあっていた飛行機大会の様子などは常に田村さんが取材等で訪れ模型新

 聞で記事にしている。


初めて読んでみたが、

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今回の日本プラスチックの件では僕は多くの敵を作ってしまった、まあ僕に面と向かってどうのこうのとハッキ

リと仰る方はいらっしゃらない、そんなことできるわけがない、そんなことしても何の得にもならない、タダのジ

ジイと関わっても何の得にもならないし、かえってマイナスになるだけの話である、

敵を作ったといっても、それはプロの方のこと、ここで僕がプロと言っているのは模型業界、出版業界等に関

わっている方、及びそれらの太鼓持ちの方々のことを言う、つまり、利害関係のある方々のこと、

実際に、それらのプロの方々から一切やりとりが途絶えてしまったのも事実である、

そう、急に態度が変われば変わるものである、だから、僕はクラブ、同好会等には入らない、基本的に一人で

チマチマと遊ぶことにしている、今更集団行動はとらない、組織的行動はとらない、もうそんなことはとっくに卒

業してしまった、タダの人になったらもう好き勝手なことができる、媚を売ることもない、自分が大将である、

そこで次にまた好き勝手なことを書かせていただこう、

今まで読んでいなかったが人に勧められて?いやいや読んでみた、


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そう、この本、「艦船模型大全」という書籍である、初めて読んでみた、

ところが、この本では日本プラスチックの日の字も出てこない、

あれほど詳しく?日本プラスチックのことを否定されたお方なのに、よ~くご存じのはずなのに、

日本プラスチックのノーチラス号のことも一切載ってない、エッ、どういうこと、よ~くご存じのはずなのに、

あれほど詳しく、日本プラスチックのノーチラス号はニチモの伊号潜水艦の箱絵をパクって後に発売されたも

のだと否定されたお方なのに、これも、よ~くご存じのはずなのに、

この本に載っているのは、

日本プラスチックのノーチラス号の金型でもって発売されたNBKのノーチラス号の写真が一つ載っているだ

け、価格が260円と載っているだけ、これも、よ~くご存じのはずなのに、何の解説も載ってない、どういうこと

だろう、

あれほど日本プラスチックのことを否定されて詳しくご存じのはずだが、一体日本プラスチックの何をご存じだ

ったのだろうか、一番重要な部分なのに、不思議でならない、早い話がまったくご存じないのである、

最初からマルサンのノーチラス号が初だということを前提に書かれている、それも今までの受け売りと同じよう

な内容となっている、

つまり、今更日本プラスチックのことが出てくると非常に都合が悪いのである、そう、自分らの研究?をしてき

ことが否定されてしまうから、そう、プロの方々が口裏を合わせてきた嘘がバレてしまうからだろう、

だから、プロはダメなのである、今頃になってド素人の僕に嘘を暴露されたらそれこそ迷惑な話なのである、

だから、日本プラスチックのプラモは流通しなかったなどと慌てて、口先だけのトークショーで発表なさっ

たのだろう、まあそれを信じるか信じないかは皆さんが判断すればいい。

まあ、悔しいのだろうな~、ド素人のタダのジジイに暴かれて、

アッ、それから、素人のマニアの方々によればこの本には他の箇所にも何か所か間違いがあるらしい、

僕も一か所見~っけたぞ~、

それから、なぜか、「マブチモーター物語」も載っている、もちろんマブチモーターの太鼓持ちのような内容とな

っている、まあ、これも僕のブログを読んでいる方はその真実はおわかりのはずである。

ぜひ皆さんも「艦船模型大全」をご購入あれ!!(今ならアマゾンで911円で購入できます)

そうそう、この本には一か所だけ非常に興味深いことが載っている。

※ 最近は非常に便利になった、昔だったらこのように素人が全国に発信できることは不可能であった、

  プロの方々の一方的な発信で終わっていた、プロの方々の書籍による一方的な嘘の発信で終わってい

  た、それらが信じられていた、しかし、今は違う、素人でもネットで発信できるようになった、

  ネットの威力は凄い、もはや今までの概念は通用しなくなったのである。

  それから、ド素人を馬鹿にしてはいけない、ド素人は業界とは何の利害関係がないということも忘れてはな

  らない。

  

戦時中の木製模型 高射砲

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どのような部品が入っているのか気になるので袋を開けてみた、

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そう、戦時中の木製模型キットの高射砲の組み立て模型である、

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部品の木片は全然劣化、そり、割れ等は見られない、当時の状態のまま、

「日本理教芸能教材業組合」なるもの、いったいどのような組合だったのかわからない、

戦前の模型業界の資料は今となってはまず残っていないので、調査は不可能な状況となっている。

さて、今日は神戸の「ポートターミナル」で陸軍の戦闘機「飛燕」が展示されているので見学に行ってこなくては

マルサンのノーチラス号発売時の謎

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どなたかご存じの方は教えてほしい、

僕が未だに謎でどうしてもわからないことがある、

マルサンがノーチラス号を発売した時のことである、その時はプラモデルは4点同時発売した、

それは皆ご存じのとおり、ノーチラス号、ダットサン、哨戒水雷艇、ボーイングB-47、の4点となっている、

ノーチラス号はいいとして、ダットサンも「和工」でいいとして、それでは哨戒水雷艇とボーイングB-47はどな

が金型を作ったのだろう、

あの伝説?の金型職人のお方、ノーチラス号の金型作りの苦労話ばかりで、その哨戒水雷艇とボーイングB

-47 はお作りにならなかったのだろうか、証言の話の中では一つも出てこない、ノーチラス号のことばかり、

ノーチラス号より哨戒水雷艇のほうが金型が複雑で難しいはずだが、4点同時発売なので当然のことながらノ

ーチラス号と哨戒水雷艇とボーイングB-47は一緒に並行して製作しておられたはずと思うのだが、

伝説の金型職人のお方の証言話では一切出てこない、ノーチラス号の苦労話ばかり、哨戒水雷艇のほうが金

型が複雑(広告にそのように書かれている)なので苦労したはずだが、なぜそれが出てこないのだろう、

「マルサン物語」等でも一切そのような話は出てこない、これについては世のプロの研究家の方々は説明がで

きるのだろうか、

「国産初のノーチラス号」と大々的に宣伝したものの、いつのまにかダットサン、哨戒水雷艇、ボーイングB-4

7 も同時発売などと、わけがわからないが、なぜ、ノーチラス号だけを大々的に宣伝したのだろうか、どう

も僕の学のない頭ではわからない、ひょっとしたら、他の方が製作したの?(笑)、

誰か、教えて!!。

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                  (昭和33年12月25日 日本模型新聞)

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                    (昭和34年1月5日 日本模型新聞)

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この広告には哨戒水雷艇はノーチラス号より細部の表現はノーチラス号より数段優れている、と書かれてい

る、エッ、ということはあの伝説の金型職人がお作りになったのではないということ?

なぜなら、あの伝説の金型職人のお方はノーチラス号の金型のことしか証言されていない、

マルサン物語等にも一切哨戒艇のことは書かれていない、

ノーチラス号と同時発売なので、ノーチラス号の金型と同時並行して作られていたはず、

しかも、ノーチラス号より難しいはずなので苦労話はノーチラス号ではなく、哨戒艇のはずだが、

プロのマルサン研究家の方々もそれらについては一切触れられてはいない、なぜだろうか?

何か不都合なことでもあるのだろうか?   このような疑問を持つのは僕だけかなあ~、

ああ~、素人の僕の頭ではわからない、どなたか教えて!!

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               (昭和34年1月5日 日本模型新聞)
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