例のマルサンを業界紙で痛烈に批判した「火星模型店」の多田さんはもういない、
その代わりに今度は僕が多田さんの代わりに痛烈に批判してあげよう、
今まであまり読む気にならなかったが、怖いもの見たさでアマゾンで中古本を購入し読んでみた、
そう、新品の本で読むほどではない、もったいないので中古本で充分である、
読んでみて、もう、笑ってしまうしかない、
マルサンの本等を読むと、マルサンがプラスチックモデルの開発に取り掛かるまで業界ではプラ
スチックの成型等に関してはまだ未知の世界であり、マルサンはその未知の世界に初めて挑
戦したかのようなことを書いてあるが、勝手に自分らの都合のいいようにプラスチックの歴史を書
き換えてはいけないだろう、これが勉強不足によるものなのか、意図的なものかわからないが、
これが仮に勉強不足であるならば、もっと資料等を調べてよ~く勉強してから書くべきだろう、
いや、特に勉強しなくても当時の資料をほんの少しだけ見ればすぐにわかることであるが、
以前の記事でも書いているように、当時の戦後すぐの昭和20年代の電話帳を見てもすぐにわか
ることである、もう数えきれないほどのプラスチック加工業者、金型業者等が載っている、
例えば、次の資料を見てもすぐにわかる、
これは、昭和25年のプラスチックのことを書いた雑誌である、
ざっと、その一部を載せてみよう、
プラスチックが未知の世界のものであるどころか、原料から製造、成型までの詳しいことまで説明
してある、すでに生活用品の一部として普及していた、
そして次は、昭和24年発行の「少年工作」、
ここでも、プラスチック製の玩具等までが書かれている、
このようにプラスチックの歴史は古く、戦後すぐに今ほどの普及はないとしても、特に珍しいもので
はなかった、ただ、当時としては他の素材に比べて高価であったというこである、
むしろ、プラスチックモデルの登場が遅かったくらいである、
そして、マルサンのようにドイツからわざわざ超高価な機械を導入するまでもなく、日本国内にも
沢山あったのである、金型職人も大勢いたのである、が、マルサンにだけは職人がいなかったの
である、
その証拠に、名もない、金もない、技術もない、ないないずくしの無名の「模型店主らとそのなかま
たち」が、日本で最初にプラスチックモデルを開発し、発売したのがその証拠である、
次回は、当時から金型職人は大勢いたことを当時の電話帳から証明しよう、
マルサン、及びマルサン信者への批判はまだまだ続ける。