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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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昭和44年の日本模型新聞には、

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昭和44年といえばアポロブームに湧いた、各メーカーがアポロ関連のプラモを発売した、

そう、アームストロング船長らが月面に降り立った年であった、

さて、その昭和44年の日本模型新聞紙上では火星人さんが興味深いことを書いている、

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        (昭和44年12月8日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

10年前の昭和34年に発売されたプラモデルのことである、

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このNBKの記事の中で、同年2月(2年は2月の印刷ミス)にはゴム動力のノーチラス号を発売したとある、

そのNBKのノーチラス号とは、日本プラスチックのノーチラス号の金型で製造したもの、日本プラスチックのノーチラス号は射出成型

つまり、昭和34年2月にNBKは日本プラスチックが製造したノーチラス号を自社ブランドとして発売した、

だから、、マルサンの次はニチモの伊号潜水艦ではなく、NBK(日本文化教材)のノーチラス号、次がニチモ

の伊号潜水艦である、もっと正確に言うと、ニチモの伊号潜水艦は2月の発売ではなく、3月11日であるこ

とは過去の記事でも紹介しているとおりである、(いいかげんな公式の定説では発売が2月になっている)

2枚目の模型新聞の画像をよく読んでいくと、さすが火星人さん、ちゃんと正確にニチモは3月に伊号潜水艦

を発売したことを書かれている、

それと、上記の火星人さんの記事ではNBKは4月には50円売りの隼、ゼロ戦、ユンカース等を発売したと

ある、そして、8月には1/580 戦艦大和を発売とある。



三ツ星商店

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マルサンがノーチラス号を発売した時に問屋との取引開始第一号が三ツ星商店だったらしいが、それより以

前にその三ツ星商店と取引を行っていたのが日本プラスチックであったことはすでに紹介している、

そう、あの日本プラスチックのノーチラス号も三ツ星商店では取り扱っていた、その証拠が三ツ星商店の広告

にはマルサンのノーチラス号ではなく、なぜか日本プラスチックのノーチラス号が載っている、だから日本プラ

スチックのノーチラス号が一部の地域だけで流通していたのではなく、全国的に流通していた証でもある、

また、そのノーチラス号の現物が今もコレクターの方々の間でも数個確認されている、

しかし、残念ながらその三ツ星商店も10数年前に消滅してしまった、

日本教材新聞には昭和30年頃の店舗の写真が載っていたので紹介してみよう、


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                      (昭和30年新年号  日本教材新聞)

そして、昭和44年頃の写真も日本模型新聞に載っているので紹介してみよう、

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        (昭和44年新年号 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)


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今井科学のサンダーバードの看板が素晴らしい、さて、店頭に積み上げられてプラモデルの箱は何だろうか。

昭和34年に発売したNBKの、

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昨日の、昭和44年の日本模型新聞には、この記事の中で、


火星人さんが昭和34年2月にNBKがゴム動力のノーチラス号、4月に50円売りのゼロ戦、隼、ユンカース等

を発売したとある、このシリーズは断定はできないが、ゼロ戦、隼、雷電、フォッケウルフ、メッサ―シュミット、

ユンカース、スピットファイヤ、があったようである、

その中のシリーズの、隼、雷電、メッサ―シュミット、の現物の画像をコレクターの方からいただいたので、

紹介したい、

「ぷらもったさん」のブログでも、https://blogs.yahoo.co.jp/winkplamotta2011/10614922.html



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もちろん、僕も生まれて初めて見る、まあ見たことのある方はほとんどいらっしゃらないだろう、


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この鳩の羽のようなマークと、「チューオウ ショーコウ?」というのはどのような意味が?

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ここに、NBK のロゴマークがある、そう、このロゴマークは極々初期のマーク、

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NBKのプラモデルには不明なことが多い、NBK初のノーチラス号(日本プラスチック製)も、このシリーズの

ことも一切広告、記事等はみかけない、

ブンカの社史にもプラモデルのことは一切その記述がない、

元々が問屋でプラモデルの金型、成型等は全て下請け工場でやり企画設計だけをやっていたのであまり

プラモデルそのものに思い入れがなかったのかもしれない、

さて、そうなると、その50円売りのシリーズものはどこで製造したものか、実は、NBKはその頃大阪支店開設

のために営業活動を強化していた、そして昭和33年6月に大阪支店を開設している、その頃、日本プラスチッ

クの濱田さんと接触したのだろう、その根拠は日本プラスチックのノーチラス号を昭和34年2月に自社ブラン

ドで発売しているからである、となると、そのシリーズものもひょっとしたら、・ ・ ・ ・ ・

アッ、それは僕の妄想である、

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数年前に本社にその社史について問い合わせしたが、「当社には社史など存在しない」と言われてしまった。


昔は批判記事があったが、

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日本教材新聞に、田宮模型の創業当時のことが載っているので紹介しておきたい、

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                (昭和33年3月10日 日本教材新聞)
まあ別にこの記事はどうってことない、

田宮模型についてはその昔、いろいろとあったことはいくつか今までも紹介している、まあまだここではとても

書けないようなこともあったようである、それらを証明できるものが今のところないのでまだ秘密にしておこう、

そう、僕は証拠を示して公表するのが基本姿勢なので、それらを掴むためにこれからも活動していく、

それが今の僕の原動力ともなっている(笑)

さて、次の記事は静岡の模型メーカーに対しての批判がなされている、

昭和35年9月の記事である、

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                  (昭和35年9月10日 日本教材新聞)

昔の新聞は具体的にメーカー名は出さづとも堂々と批判記事を出している、まあ、日本模型新聞の火星人さ

んは具体的にメーカー名を出して僕のように過激に批判されていた、

例えば、「TKKマブチモーターに告ぐ!!」、「マルサンに告ぐ!!」とか、

まあ、いまやったらそれこそ大変なことになるかも、そう、広告掲載打ち切り、になってしまう、

とにかくメーカーに対しては弱い、それはある面、仕方のないことかもしれない、

それにしても、今の方々にはメーカーの太鼓持ちが多いこと、もう見ていて見苦しい、

皆その太鼓持ちに合わせようと必死になっている、仲間外れにされないように、ご苦労様、

〇〇〇信者ならまだ可愛いもの、もうそれを超越?して〇〇〇亡者になっている、亡者になったらお終い、

さてさて、上の新聞記事の中で次の記事の部分、


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さて、そのB社というのは、一体どこのことだろうか、僕はわからないが(笑)。

模型店をグーグルで、

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実は暇な時は、模型店をグーグルで見るのが面白い、

というのは、古い模型店名簿等で今もその模型店が存在しているのかネットで検索し、存在していたらグーグ

ルで今の店舗の様子を見るのである、

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         (昭和44年新年号 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

例えば、この広告のように、

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八千代市のサトウ模型店とある、それでネットで検索して存在していたらグーグルで今はどのような店舗にな

っているのか見てみるのである、

当時のこの「サトウ模型店」、検索してみたら、それらしき模型店は存在している、

グーグルで見てみると、う~ん、シャッターは降りている、看板等の文字も消えかかっているような、

1、2年前に閉店なさったのかもしれない、

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ところで、そのサトウ模型店が1,000冊も注文された「大和、武蔵のすべて」というのが、コレ、


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日本ホビーは当時の関係者に直接取材を行って忠実?に再現することにこだわっていた、

しかし、この翌年には廃業するに至ったのである、

アッ、そうそう、今までグーグルでくぐって一番古い当時からの店舗が「東京堂模型店」である、

「東京堂模型店」とはいっても、日本プラスチックの濱田さんの東京堂模型店ではなく、長野の「東京堂模型

店」 である。


にしき屋飛行機店

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         (昭和44年9月8日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

「戦艦大和」のソリッドモデルといったら「にしき屋飛行機店」だろう、

その大和のキット化をした動機等がこの記事に載っている、

また、その「にしき屋」の設計図等をパクった、いや失礼、参考?にしたタミヤのことは先日の記事でも書いた

おりである、

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その「にしき屋」で忘れてならないのが、日本初のSF模型キットを発売したことだろう、

そう、平田晋作のSF小説「新戦艦高千穂」である、昭和11年にそのSF艦船模型を発売したことが書かれてい

る、

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その「新戦艦高千穂」のキットはいまだ見たことも、持っているという方も知らない、

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ただ、この当時の「にしき屋」のカタログに載っていることは過去の記事でも紹介している、

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40センチ4連装の主砲と船首に電気砕氷機を装備し北極海を探検するために建造されたSF戦艦である、

いずれ、ロシア、中国が北極海の実効支配を狙ってくるのは間違いないだろう、

一説では、この新戦艦高千穂が宇宙戦艦ヤマトのモデルになったというが、その真偽はわからない、

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はたして、この「新戦艦高千穂」の模型キットは今もどこかに存在しているのだろうか、

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針金製飛行機の輸出という記事で、昭和26年に増田屋から輸出用に針金製絹張飛行機の注文が入った、と

ある、どのような模型飛行機だったかというと、次のもの、

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リブなどが針金製で翼が絹張りのキット、子供が外人の顔、英文なので輸出向けだったのだろう、

もちろん、日の丸ではなく★マークに変えて輸出したに違いない、

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さて、このロゴマークは一体どこのメーカーだったのだろうか。

日本文化教材(現ブンカ)

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日本文化教材(現 ブンカ)が戦時中に国策として設立された模型メーカーであることは今更言うまでもない、

その設立当時のことが日本教材新聞に載っているので紹介しておきたい、

何と言っても、今のブンカとしては自社の社史なるものがあったこともご存じないようなので、ご参考までにここ

に載せておきたい、

日本文化教材のことに関しては不明なことが多い、その理由の一つとして会社にはその資料等がまったく保

存されていなかったことが最大の理由であり、また自社ブランドで発売したものも他社に比べて少なかった

ので研究対象としては魅力がなかったのだろう、その社史にしても編集者の方は資料がほとんど残されてい

なかったので苦労されたとある、

そう、僕らが一番知りたいところのプラモデルに参入した頃の様子がまったく記されていない、

本来なら、プラモデル参入時の経緯などが書かれていなければならないのに、そのあたりがまったく不明であ

る、もう今となってはそれを解明するのは不可能だろう、


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                                    (昭和30年5月号 日本教材新聞)

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この日本教材新聞の記事で大体の設立当時の状況はおわかりになったのではないだろうか、

この記事が書かれた昭和30年当時の日本文化教材の模型はライトプレーン以外は二つしか持ってない、

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モーターボートのオートパイロット そうそう、これもあった。

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昭和29年布施市で模型飛行機大会

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昭和29年に大阪布施市で模型飛行機大会が開催された記事が載っている、

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「大会祝辞飛行機」から投下、とあるが、何を投下したのだろうか、そのことはこの記事には書かれていない

が、そういえば、小学生の頃、大売出しの宣伝ビラ等をセスナ機からばらまいていた、空からヒラヒラと舞い落

ちてくるビラを追いかけて手で掴んだことがあった、それがパラシュートのオモチャの時もあった、

今ではとても考えられない宣伝方法であった、


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この記事の中で「東京堂模型店」とあるのは日本プラスチックの濱田貞雄さんの模型店のことだろう、

奥様のお話では、その頃はよく飛行機大会を開催していたということだった、特に高松宮殿下をお招きして大

会を開催していたことなどもお話しされた、そのことは小川精機(OSエンジン)の社長さんもその自叙伝で証言

なさっているので間違いはない、奥様のご記憶は確かなものである、時に濱田貞雄さん24歳であった、

このことで僕は何を言いたいのか、それは、濱田さんの奥様のご記憶は今も鮮明だということ、

ということは、それでは当然あのことも、・ ・ ・ ・ ・    、


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竹岡模型店から素晴らしいモーターが発売されたとある、その中でマグネットモーターは10数年前、つまり戦

前には存在し目下5、60種類ものモーターがある、と記している、まあ、過去の記事でもマグネットモーターは

別にマブチモーターが開発したものでないことは紹介している、そう、マブチモーターの戦略?でもって他社の

模型モーターが淘汰されていった、その手口は過去の記事でも紹介している、(模型モーターの歴史の頁)

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さて、その竹岡模型店が発売した素晴らしい模型モーターとは、この広告のモーター、

もちろん、その現物はいまだ見たこともない。

ハセガワ模型とにしき屋のトラブルとは、

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「にしき屋」と静岡のメーカーとのパクり物でのトラブルについてはいくつかすでに紹介した、

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                   (昭和30年2月10日 日本教材新聞)

これは、日本教材新聞社とメーカーとの対談記事、Aメーカー、B 問屋、となっているのでどこのメーカーかは

わからない、


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ここまでは別に興味のある記事はない、

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この記事の中で、ハセガワ模型とにしき屋がトラブルを起こしているという記事がある、

まづは去年の4月というので昭和29年の4月のトラブルのことだろう、

ということは、「戦艦大和」のことだろうか、にしき屋の戦艦大和は昭和28年10月に発売している、

静岡協会会長の柴田氏というのは、静岡教材社の社長の柴田さんである、

そして、今回新たなトラブルというのは、おそらくソリッド航空機模型のことだろう、

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               (昭和29年2月号 日本教材新聞)

そう、「にしき屋」は昭和29年2月現在ではすでに30種類ものソリッド航空機、艦船模型を発売している、

具体的に、どのソリッド模型でトラブったのかはわからない、


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                (昭和28年9月10日 日本教材新聞)

この広告のとおり「にしき屋」は昭和28年10月にソリッド模型の「戦艦大和」を発売、


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               (昭和29年12月10日 日本教材新聞)

そして、その登録は昭和29年11月頃に正式に登録済みとなった、

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                (昭和30年8月10日 日本教材新聞)

まあとにかく、「にしき屋」はこのように片っ端から商標登録を行っていたようである、

ただ、木製キットには自信があったものの、その後のプラモデルの時流には乗ることができなかったのだろう。


ニチモは5年前に廃業したが、

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ニチモがプラモデル部門を廃業してもう5年になる、今の状況はよく知らないが、プラ製の家庭用品等を製造し

ているらしい、噂によると、○○○○○ドの〇〇〇イスも製造しているとのことであるが、その真偽のほどはわ

からない、

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そのニチモもかつては世界初の?プラモデル展示館を建設していたことは過去の記事でも紹介している、

それは、昭和53年のことであった、

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ただ、その昭和53年頃といえばプラモデルの全盛時代を過ぎた頃、その展示館もいつの間にか消滅してしま

った、その展示館にはどんな資料、プラモデルが展示してあったのだろうか、どなたか見学されたお方はいら

っしゃるだろうか、この展示館の落成式には県知事、政治家等も多く招かれ盛大に行われたらしい、

その様子も当時の日本模型新聞の記事には載っているのでそれはまたあらためて紹介したい、

その展示館を取り壊す時、展示されていた当時の資料、プラモデル等はどうなったのだろうか、

まあ、残っている可能性はないだろう、残念なことである、

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さて、今更言うまでもなく、ニチモのプラモデル第一号はゴム動力の「伊号潜水艦」である、

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特許の出願日は昭和33年12月4日、となっている、そう、マルサンがノーチラス号を発売する直前であった、

ここでもう一度繰り返すと、マルサンのノーチラス号の次はNBKのノーチラス号、その次がこのニチモの伊号

潜水艦である、もちろん、NBKのノーチラス号は日本プラスチックが製造したものであった、


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ニチモの伊号潜水艦はかなりのロングセラーだったらしく、この昭和43、4年頃のカタログにも載っている、

10年以上発売されていたのだろう、

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さて、その昭和43年頃にはこのようなリモコンの戦車も発売されている、

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その中の一つのセンチュリオン戦車、

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押しボタン式のリモコン、スピードは2段階、 ということは、片側のキャタピラだけを回して曲がるのではなく、

走りながらカーブを描いて曲がるということだろう、これを組み立てて走らせてみよう、    <続く>

昨日は三宮まで、

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昨日は久しぶりに自転車で三宮まで往復してきた、冬の間は寒くて自転車など乗れない、

実に3か月ぶりだろう、何しに三宮まで、モーターを買いに、モーター一つ買うにも三宮まで行かなくてはなら

ない、

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まあ、通るのはいつものコース、

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すでにここらへんも中国人ばかり、あの前方の集団も全て中国人の観光客、

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そう、あの観光バスでやってくる、悪名高き和泉ナンバー、それから、なにわナンバーばかり、

関空からやってくるのだろう、

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JR塩屋駅付近、そう、この海岸を走っている時に阪神淡路大震災の直撃を受けた、

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須磨浦公園の桜はまだ開いていない、今週末あたりが満開だろう、

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ハーバーランド前の川崎重工ドック横には潜水艦が二隻、

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これは一体何をやっているのだろう、


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コレは僕のチャリンコ、

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買ってから一度も掃除をしたことない、もう錆だたけ、そう、淡路島に行くものだから海水の飛沫を浴びてしま

う、パンクしても家でパンク修理してしまう、いや僕が修理するのではなくうちの誰かさんがやってしまう、

僕はパンク修理ができない、なぜかうちの誰かさんはパンク修理が上手い、

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メリケンパークも綺麗に整備された、

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ここは海上保安庁の巡視船のたまり場、ここを通り抜けて三宮ジョーシン電気へ、

RE-260モーターだけを買ってすぐに帰路につく、ゆっくり走って往復で5時間ほど、50キロ弱、

いつまで自転車で往復できるだろうか、できなくなったらもうお終い。

ニチモ 1/35 センチュリオン戦車 リモコン

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今回組み立てるのは、ニチモの1/35 センチュリオン戦車 リモコン である、

発売されたのは昭和43年、

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このリモコンの特徴は2スピード式になっているということ、押し釦が6個付いている、

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ゴムキャタピラは50年も経っているのに劣化は見られない、ただ、ネジレの癖がついてしまっている、

ギアボックスは金属製で頑丈、壊れる恐れもない、ギアの歯の噛み合いも良好、ギアの枚数も多いので相当

なパワーが出そうな感じがする、

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組み立ての順番を逆からすることにして、まづはリモコンボックスから始める、

すでに、接触金具等の配線はなされている、

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50年も経っているので、このようなプラ製の基盤は劣化が激しい、プラ板にハト目やら金属板が付いているの

でプラが脆くなって、あちこちにひび割れが発生し崩壊寸前、

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そしてこのようなプラ板の宿命ともいうべきの反りも発生、

これではスイッチの金具の接触がうまくいかない、

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反りを元に真っ平にするのはもはや不可能、反っている部分を強引に折って、水平にしてその割れ目の隙間

に瞬間接着剤を流し込み、樹脂で固める、ひび割れの部分にも樹脂で固める、

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まあしかし、ちゃんとスイッチの金具を接触させるのが大変、そう、押し釦が6個あるのでそれを全部接触させ

るのが大変、ボタンを押したら下の金具に接触し離したら上の金具に接触させなければならない、

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単2電池4本は無事に収納できた、なんとかスイッチの調整が完了、6個のボタンは全て作動、

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そう、カーブをえがきながら曲がることができる、      <続く>

このマイティ号は、

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実にショーもないことに気が付いた、

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当時の100円プラモのこのマイティ号は、

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そう、この「マイティジャック秘密基地」のマイティ号と同じ金型のものだった、

マイティジャック秘密基地

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別にどうでもいいことであるが、一応念のために。

ニチモ 1/35 センチュリオン戦車 リモコン

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シングルのボディーを使っているのだろう、スイッチの跡がある、

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なんと、仕切り版をもぎ取った跡も、

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RE-260マブチモーターを使用、

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金属製のギアボックスは頑丈にできている、噛み合いも良好、

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最大の問題点が誘導綸、

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誘導綸はプラで支えているので、ゴムキャタピラを架けるとその張力でプラがしなって誘導綸が斜めになって

しまう、そうなると、ゴムキャタピラが外れてしまう、

そこで、樹脂で固めてある、これで、しなることはない、

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色は塗らない、 いや、機銃だけ黒く塗ってみた、     <続く>

遠出のため31日、1日は休み、

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東京方面へ遠出のため31日、1日、のブログは休みです。

一昨日は静岡へ、

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一昨日はいろいろと急用があり静岡へ行ってきた、

もちろん、行きは一般道で、そう、明石から静岡まで一般道をヒタヒタと、10時間を要した(笑)、

夜中の12時過ぎに出て静岡に着いたのが10時頃、真夜中でも結構トラック便で混んでいる、途中トイレ休憩

が2回、15分くらい休んで直ぐに出発、まだまだ、10時間くらいは運転も大丈夫、

それが出来なくなったら、もう僕はお終い、あとは死ぬしかない、

帰りも一般道でと思ったが(笑)、高速道路で帰ってきた、

夜中に出る時、うちの誰かさんが寝ているうちにコソッ、と出たものだから、朝起きた時に僕がいない、

携帯に電話がかかってきた、「アンタッ、今日は帰ってくるの?」、何かいつも家には帰っていないように思わ

れるが勘違いしないで欲しい、まあ、そのような身分になってみたいと思ってはいるが、

ご飯の準備があるのでその確認である、

何のために静岡まで行ってきたのか、とりあえずは秘密にして、まあ小出しに出していこう、

そうそう、5月の静岡ホビーショーでのフリマの件、ある情報では、なぜか出店できる方向で動いているような

ので今回もいつもの場所でお会いできるだろう、今回はいろいろと面白い話が多い、

さてさて、次の写真で、

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さて、この写真のロボットの正体は?

これがわかる方は本当に凄い、アレッ、どこかで見たような、似ているような、もちろん、本邦初公開?である。    

                                                            <続く>




このロボットの写真のものは、

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さて、次の写真は、

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実は、この写真は渥美産業の木製のロボットの貯金箱である、

おそらく、日本初のロボット型貯金箱の模型だろう、

その現物が次のもの、

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絵は下手くそだが宇宙的なところがいい、おそらく、昭和31年9月に公開された「禁断の惑星」のロボットの

「ロビー」を真似たのだろう、もちろん、僕は小学2年生の時にその禁断の惑星は観ている、

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凄いことが書いてある、他人に絶対開かぬ二重鍵、耳を廻すと目を動かし口を開ける、とある、

そして、「お金を食べる」というキャッチフレーズ、ん、ん、ん、ひょっとしたら、これはあのマルサンもこれをパク

ったのかも、そう、あの「カネゴン」、 となると、このロボットは「カネロボ」、「ロボカネ」、とも言うべきだろうか、

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箱は禿げてボロ、開けてみると、

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組み立て説明書は虫食い状態、

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広げるたびにボロボロと崩れ落ちるので白い台紙に貼る、

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「モーターで歩くロボットもあるから、この貯金箱でお金を貯めて作ってみませう」などと書いてあるので、

あの日本初のロボット模型のすぐ後に発売されtのだろう、

ただ、その年月の特定がまだできていない、

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この科学教材社のカタログには載っている、

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そう、この110円のロボット貯金箱、ただ、このカタログには発行年月日が載ってない、だから、具体的な年月

が特定できない、

しかし、このカタログには日本初のSF宇宙探検車が載っている、それは昭和32年12月頃に発売された、

同じ渥美産業の日本初のロボット模型は昭和31年4月にはすでに発売されている、

つまり、昭和31年4月から32年12月までの間に発売されたということである、


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同じ渥美産業の例のロボットも230円の価格で載っている、

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さて、実はこの写真は、

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実は、この説明図に載せるために撮った写真だった、サイズもピッタリ、

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キットのまま、そのまま僕が放置するわけない、もちろん直ぐに組み立てる、  

まあ、このようなロボット模型は僕としては模型の歴史上貴重なものになるが、興味のない方々にとってはゴミ

みたいなもの 、何の価値もないことだろう、         <続く>

ニチモ 1/35 センチュリオン戦車 リモコン

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ニチモのセンチュリオン戦車が完成、

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機銃のみ黒で塗った、転写マークはハサミで切り抜いてボンドでペタッ、

可動部分は一切なし、ハッチも開かない、砲身も上下には動かない、砲塔を手で回すのみ、

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前進が低速、高速の2段スピード、後進は低速、特徴は、高速用と低速用のボタンを押すことにより円を描くよ

うに曲がる、

両手でリモコンを持って操縦するので動画が撮れない、

動画は後日に。

渥美産業 ロボット貯金箱

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さてさて、これも今となっては未だ誰も組み立てたことのない渥美産業のロボット貯金箱を作ってみよう、

まあ、これを組み立てて遊んで喜ぶアホは僕くらいしかいない、

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耳を廻すと目が動き口を開けるという仕掛けは、

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この耳を廻すと板が上下する、

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鍵がかかる仕掛けについては説明図を読んでもよくわからない、その仕掛けを理解するのに1時間も要してし

まった、

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ここまで塗って塗料がなくなった、また三宮まで行って買ってこなくては、

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鍵がかかる仕掛けについては完成後にまた説明することにしよう、     <続く>



渥美産業 ロボット貯金箱

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渥美産業のロボット貯金箱が完成した、日本初のロボット模型と並んでこれも日本初のロボット貯金箱といえ

るだろう、

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箱絵の「禁断の惑星」のロビーロボットに似せたものとはまったく違う、相澤ロボット博士のものに最も近いロボ

ットとなっている、

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当時の説明図に載せられた現写真と同じポーズで、

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お金を食べさせるには、耳を廻す、

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耳を廻すと白目になって口を開ける、

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お金をパクっ、 お腹に貯まったお金は絶対に他人には取り出せない、

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実にこの説明図ではわかりぬくい、どういう仕掛けになるのか理解するのに1時間以上を要した、

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半分に切った円形状の、そう上が平になった円形状のものが鍵となる、

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切込みがずれている、そう、左によっている、

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頭の部分に2本のレールを付けているのでそれを切込みに入れて、

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そう、このように頭が左にずれている、

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そのまま右にスライドさせる、

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そして、腕を好きなポーズにしたら鍵がかかって蓋がとれない、

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中では円形状の鍵はこのような形になってロックがかかる、という具合になる、

ロックを開錠するにはさきほどの状態のように右腕を前に出し、左腕を真上に上げなければいけない、

組み立てる際にその腕の角度は自由に決められるということ、なので、その角度を忘れてはならない、

まあ、組み立てた自分だけしか開けられない、

そうそう、ついでに少しだけ紹介しておくと、

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この日本教材新聞の広告は、

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この写真を載せたものである。





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