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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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ブリキのピストル玩具

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プラモデルが現れるまではよくピストル玩具で西部劇ゴッコなどをして遊んでいたので、古いピストル玩具があ

るとつい手を出してしまう、

今回紹介するのは次のピストル玩具、

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ブリキのピストル玩具としては出来がいい、撃鉄を起こし、弾倉に紙火薬を6発詰めて引き金を引くとパンと

火薬が炸裂する、撃鉄を起こすと自動的に弾倉が回転する優れものである、

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さて、どこのメーカー製かというと、富士6連発ピストルとなっている、

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この富士山のマーク、富士山をイメージした当時の玩具メーカーは数社あったがこの富士山のロゴマークは

「富士プレス工業」というメーカーのものである、マルサン、増田屋、米沢、万代等々の玩具メーカに隠れてあ

まり目立たないメーカーだったようだが、結構多くのブリキ玩具を発売していた、

もちろん、このピストル玩具も自社ではなく下請けの町工場で作らせていた、

では、どこの町工場で作らせていたかとなると、まあ、普通なら今更調べようと思っても不可能に近いだろう、

しかし、ダメモトで調べてみた、

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そう、この怪しげな「捜査資料 玩具用けん銃」というガリ版刷りの昭和35年の資料で調べてみると、

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ちゃんと載っている、富士6連発、製造は「金一金属工業所」、大阪市生野区猪飼野東4-12

やっぱり大阪の町工場で作らせていた、

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この「金一金属工業所」という町工場は富士プレス工業の下請けとして数種類のピストル玩具を作っていたよ

うである、 アレッ、金がいつの間にか山になっている、誤字だろう、

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アッ、これも山一金属工業所になっている、おそらく金一金属工業所が正解だろう、

その金一金属工業所がその後どうなったのかはわからない。

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TKKスーパー NO、0-Pモーター

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今回は、この東京科学工業(マブチモーター)のTKKスーパーマグネチックモーター NO 0-P の紹介をして

みよう、

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この日本教材新聞の広告によれば、発売は昭和32年7月となっている、

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箱の中には20個そのまま入っている、おそらく、模型店ではこのようにして売っていたのだろう、


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ところが、このモーターの外装はプラスチック製となっている、何度も言うようにマルサンの金型職人のお方の

証言によればこの頃はまだプラスチック製品は見たこともなかったと、まだプラスチックというものが未知の世

界だったという、(笑)

電池を繋いでみたが、シャフトが固まって指で摘まんで回してもなかなか回らない、

シャフトの軸受けに潤滑剤を吹き付けたらなんとか指で回せる、おそらく内部のブラシのところが汚れで固まっ

ているのだろう、この場合は接点復活剤を吹き付ければ治るが、その穴もない、


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そう、ピッタリと接着してあるので分解もできない、無理にこじ開けると割れてしまう、

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金属製なら爪を起こして外せるのに、全て接着してある、隙間にドライバーの先っちょを差し込んで剥がそうと

したが中々剥がせない、無理にやろうとすると割れてしまう、

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台座も接着してあるがこれがすぐに剥がれて取れてしまう、台座のビス止めの穴も貧弱でビス止めしたら割れ

てしまうだろう、これでは模型に取り付けてもダメだろう、やっぱり模型モーターは金属製でないといけない、

なぜこのようなプラスチック製のモーターを発売したのか理解に苦しむ、おそらく、あまり売れなかったのでは

ないだろうか、昭和32年と言うと僕が小学2年生、このモーターは買ったことはなく、まったく記憶にない。

静岡模型教材協同組合は、

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静岡の模型業界には「静岡模型教材協同組合」がある、

当時の設立時における資料等は今となってはないと思われるのでここに紹介しておこう、


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その設立は昭和30年7月であるが、上記の記事のように1年くらい前から準備されていたようである、

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この記事で昭和30年7月10日に県から正式に認可されたとある、

まあおそらく、このような資料は組合にも残ってないと思われるので参考にされたい、

話は変わって、次の大阪のマルク模型店の店舗の写真がいい、


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昭和29年当時の写真で、何と言っても看板絵師が描いたのだろう、その看板がたまらなくいい。

「艦船模型大全」の中で

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僕は昔ならともかく、今となってはどこの模型メーカーのフアンでもなんでもない、ましてや特定のメーカーの

太鼓持ちなど大嫌い、まあ今更言うまでもなく好き勝手なことを言っている、まあどちらかというと特定のメーカ

ーの悪口、批判をしている、と言ったほうがいいかもしれない、しかし、模型業界のPR等はしているつもりであ

る、特に静岡の模型業界については力を入れて行っているつもりである、

まあ、それが気にくわないという方々がいらっしゃるのも事実である、そう、ド素人のタダの人間だから、

それと、あまり知られていない闇?の歴史を調べているものだから余計に、である、

さて、「艦船模型大全」という書籍の中で次の記事が載っている、

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               (平成19年8月1日発行 著者 衣島尚一氏  艦船模型大全 26ページ)

この書籍の記事が具体的にどんなことを指しているのか、わからないお方がほとんどだっただろう、

本当にそのようなことがあったのか、まあ僕の趣味はそれが事実なのかどうかちゃんと証拠を掴むことなので

そのことを証明してみよう、

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この日本教材新聞に記事として載っている、この記事のとおりである。




渥美産業が発売したものには、

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渥美産業さん(現大州模型)は今も営業なさっている、意外と知られていないのが今でも当時の製品は販売さ

れているということ、そう、我が模型探偵団が展示している「静岡ホビースクェア」の売店である、

当時の在庫品の一部が販売されているので興味のある方は一度覗かれたらいかがだろう、

渥美産業さんと言えば、一番有名なのがすでき何度も紹介しているように洋上艦船模型である、またプラモデ

ルが現れるまではいろいろと木製模型も開発され発売されていた、

その一部を日本教材新聞の広告から採り上げたので紹介してみよう、

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                                           (昭和29年6月)

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                                                  (昭和29年10月)

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                                                   (昭和30年4月)

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                                                 (昭和30年12月)
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                                               (昭和31年4月)

渥美産業さんで一番注目すべきがこの木製ロボット模型だろう、何度も紹介しているように日本初のロボット

模型であった、またこのロボット模型は後のブリキロボット玩具等の原型モデルとなった、

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                                               (昭和31年8月)

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                                                   (昭和32年1月)

すでにこの頃には、リモートコントロール式の飛行機が開発されている、

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                                             (昭和33年1月)

これらの製品は今となってはほとんど知られていないので紹介してみた次第である、

もちろん、僕も未だに見たこともない。


1日は休み、

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遠出のため1日はブログは休みです。

遠出してきた、

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30日、1日、と遠出してきた、行先は山口方面へ、

例のごとく、行は高速ではなく一般道をひたすら走る、

途中で福山の「みろくの里」へ立ち寄る、昭和の街並みが再現されているという噂を聞いていたので、一体ど

のようなところなのかと興味があったので立ち寄ってみた、

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遊園地もある、結構広い、ジェットコースター、ゴーカート、海賊船、観覧車、幽霊屋敷、等々、思ったよりもい

ろんな乗り物も揃っている、遊園地で一番いいのは皆の顔が笑顔で楽しんでいる光景だろう、しかめっ面の顔

なんて誰もいない、


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興味があるのがこの「いつか来た道」、この中に入ってみた、

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写真を撮ってきたのでざっとご覧いただこう、

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一番気になったのがこの展示品、日が照ってるのに剥き出しで通りに展示してある、売り物ではない、

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剥き出しで展示してある、

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もう日に焼けて白くなっている、


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ああ~、緑商会の、これも剥き出しで展示、これも大分白くなって、

まあ、このテーマパークで2時間ほどゆっくり時間をつぶした、

この後はまた一般道で山口方面へひた走り、

徳山あたりで高速に乗る、そう、SAで寝るために、もちろん車中泊、僕はどこでも寝れる、

翌朝3時頃に起きて山口へ向かって走る、防府で降りて一般道で山口へ、ここからは20分もあれば山口へ着

いてしまう、山口へ行く目的は「山口フリーマーケット」である、5時ごろに到着、

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山口フリーマーケットは夜明け前からすでに始まっている、そう、皆懐中電灯を片手に持って掘り出し物を探し

回っている、

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まあ結局はこれといった物はなかった、しかし、わざわざ行ったからには何か買わなくては落ち着かない、

仕方なく買ってきたのが上記のもの、

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偏向報道お得意の朝日の社旗ではなく旭日旗、何と言っても戦前のものなので買ってきた、

左のものはただの古い木製のキット、


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そして、40年くらい前のナショナルの電動鉛筆削り器、これが500円、削り具合が調節でき削り終わると3色

のランプが点く、今でも綺麗に削りあがる、文房具でも電動であるとつい手を出して買ってしまう、

帰りはさすがに一般道では時間もかかるので高速を走り、帰宅したのが午後3時過ぎ、まだまだ運転免許証

返納は早すぎるだろう(笑)、

まあ、帰宅しても報道番組等は「希望の党」のことばかり、しかし、そのうち「絶望の党」になるような気がしてな

らない、


商標登録は上記のアドレスで検索するとよい、そう、希望の党と入力すると出てくる。


日本ホビーの戦車カタログ

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すでに過去の記事にも書いているように、日本ホビー初の戦車プラモは「M41快速戦車」であった、

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そう、この1/20の戦車プラモであった、そしてこれは大型戦車プラモの元祖でもあった、

そして、この戦車プラモはアメリカITC社のM41ベッツイタンクをそのままそっくりコピーしたものであったことは

すでに紹介している、

その後、これに刺激されて他のメーカーは続々と大型戦車プラモを発売するに至った、

発売日は定説のデータでは昭和37年9月となっているが、それは誤りで少々遅れたようである、僕の推測で

はおそらく11月前後ではなかったのではないかと思われる、そんな細かいことはどうでもいいか、

実は、この戦車プラモが載っているカタログを僕は見たことがない、はたしてこの戦車プラモが載っているカタ

ログは存在していたのだろうか、まあ、これもどうでもいいことではあるが、

以下、日本ホビーのカタログの一部を紹介してみよう、

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表紙の戦車の絵は「M41快速戦車」の箱絵のもの、どなたが描かれたのかはわからない、

そうそう、そういえばその戦車の絵によく似たトランプがあった、

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そう、パズル式のトランプ、

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おそらく、この戦車の絵も同じ方が描かれたのだろう、

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日本ホビーは自衛隊が好きだったようで、よく自衛隊の取材の記事が載っていた、

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そうそう、プラキャタの採用は日本ホビーが初だった、


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パノラマボックスの97式中戦車改の記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69419349.html


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実はこのリモコンボックスは金具の接触具合の調整をするのが難しい、前進、後進、方向転換、砲塔回転、を

行うため金具の接触箇所が多いのでちゃんと接触させるのが難しい、

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単2電池は今の電池でも楽々入る、

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実は、この97式中戦車には2個の穴が開いている、

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この2個の穴、一つは砲塔を回転させる時の穴、もう一つは砲塔を回転させない時の穴、

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砲塔を回転させる時は砲塔は中央にある、

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回転させない時は片寄りに、そう、これが本物の砲塔の位置らしい、

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この「」タカラ模型店」、通っていた方もいらっしゃることだろう。

秋田書店代理部

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今でこそ通販は大流行りであるが通販の歴史は古いという、古くは明治時代にはあったという、

僕らが子供の頃も通販は流行っていた、特に地方に住んでいると買いたい模型が見つからなく通販を利用さ

れた方も多かったのではないだろうか、

その頃、通販といえば僕らの間で有名なのが秋田書店代理部であった、


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そこでは模型の在庫が豊富であった、

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そう、秋田書店といえば月刊雑誌 「冒険王」であった、

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な、なんと、沖縄の切手が使えないとある、

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この中で持っているのが、


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この2冊である、

僕は秋田書店代理部を利用したことはなかったが利用された方もいらっしゃることだろう。

日本ホビーの通販で、

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これは、10数年前に一緒に入手したもの、日本ホビー商会とは後の日本ホビーのこと、

そう、プラモデルに参入する前はこのようなピストルや切手等を通販していた、

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このハガキは通販を利用した人に宛てて出したもの、裏を見ると、

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アトムコルトを注文していただいたが在庫がないのでしばらく待ってほしい、とのハガキである、

在庫がなくなるほど注文が殺到したのかどうかはわからない、

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鉛筆で12日に届いた、と書いてある、小学生の筆跡だろう、おそらく僕と同じ年代のお方だったのだろう、

そのアトム・コルト五型というのは、

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このコルト45型そっくりのピストルを通販で購入されたのだろう、

そのご本人がこのブログをご覧になられていたら、さぞビックリなさることだろう。

アトムコルト関連記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69118636.html

日本教材新聞

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いつも僕が参考資料としている「日本教材新聞」は昭和25年に創刊された、月1回の発行であった、

今やもう幻の業界紙となりまず見かけることはない、いつ廃刊になったのかも不明である、

静岡が本社で基本的に静岡地区の情報が多い、

どのような記事を載せていたのか、昭和35年11月号の記事の内容の一部を紹介してみよう、

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まだまだこの頃はプラスチックモデルと木製模型とが混在していた、

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これは、当時学校の理科工作授業で使用していたものと思われる組み立て説明図、

小学生の頃理科工作の授業でモーターを作ったが、どこのメーカーのものだったかはわからない、


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すでに過去の記事でも紹介しているように、ピストルのプラモデルはハマライト化学研究所が製造したもの、


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名鑑発行というのが次の業者名鑑、

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そう、この㈱日本プラチックの電話番号で「ハマライト化学研究所」を突き止めた、

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相原模型カタログ

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さて、今回は相原模型のカタログから見てみよう、

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昭和39年のもの、

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兜のプラモデルはあまり興味はない、しかし、相原模型の鎧、兜の出来は素晴らしい、金型の掘りも深く出来

がかなり良かった、

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この中で作ったのはキャノン砲、

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そう、このキャノン砲をビートル戦車に牽引させた、

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相原模型もニチモのパットン戦車をパクっていたとは、これは持ってない、

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昭和37年11月に発売されたこの61式戦車は日本初の金属製大型戦車であった、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70446377.html            https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/68985897.html

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ビートル戦車のビートルとは単にカブト虫を英語にしただけ、相原さんにお聞きしたところ、カブト虫は英語で

何と言うのかなとお兄さんに聞いたらビートルだと言うので、それならビートル戦車でいこう、と決めたとのこ

と、次のタートル戦車も同じく亀を英語にしただけのこと、


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水陸両用タートル戦車は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69712775.html

海上から上陸させた動画は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70523922.html

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この伊-402潜水空母は見たことない、カタパルト発射、自動スイッチとはどんなギミックなのか、

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発売予定となっているアクアラング、水中スクーターも見たことない、

この頃は007の影響もあって今井科学やらも発売していた。


ニチモの戦艦プラモ第一号は戦艦武蔵、

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昨日の記事で読者のお方からコメントをいただいた、

そう、ニチモの戦艦大和の発売は武蔵の後である、ということ、まあ、よほどのマニアのお方でないと気がつか

ない、いや、マニアでなくそのスジの重鎮のお方でも気がつかない、というかまったくご存じないのだろう、

まあ僕に言わせれば、別にマニアでも、重鎮でなくてもちょっと研究していればわかること、要は研究不足で

ある、ということ、なんと言っても、タダのド素人の僕が知っていることであるからそう言わざるをえない、

こんな余計なことを言うから僕はそのスジの著名人、そのスジのプロのお方から敵視され嫌われる要因にもな

っているが、まあしかし、正しい模型の歴史のことはちゃんと言わなければならない、間違いは間違いだと正さ

なければなるまい、

そのニチモの戦艦大和、タミヤの戦艦大和の発売前後におけるくだりのことは某書籍等に記されているが全

誤りである、小池さんではないが、そのことは全てリセットしていただきたい、

結論から先に言うと、

ニチモの戦艦武蔵 → タミヤの戦艦大和 → ニチモの戦艦大和

これが発売の順序である、これがみな最初がニチモの戦艦大和となっている、ニチモの大和ではなく武蔵が

正解である、またそのニチモの武蔵のことは一切触れられていないのが不思議である、まったくの研究不足と

言わざるをえない、ちゃんと調べて書いてほしいものである、

繰り返して言うと、ニチモが最初にプラモ化した戦艦は武蔵である、それは4月のこと、そしてその翌月の5月

に田宮が大和を発売して、その翌月の6月にニチモが大和を発売ということになる、

まあおそらく、あまりにもニチモの武蔵、田宮の大和、ニチモの大和、と発売が接近していたので混同されたの

か、それともうかつだったのか、ハナからニチモの大和と思いこまれていたのか、まあ、ハッキリ言うといい加

減に書かれたのだろう、

まあ、どうでもいい順番であるがせっかく読者の方から僕のブログを読んでスッキリ?したと仰るのでそれにお

応えした次第である、

そこで、その証拠を記してみよう、

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            (昭和35年4月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この広告のとおり、ニチモの戦艦大和の発売は昭和35年4月頃、

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                 (昭和35年5月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この記事にもあるように、艦船スケールモデルのオールプラスチックの第一弾のニチモの武蔵が発売されたと

ある、

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                           (昭和35年5月5日日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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                          (昭和35年5月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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           (昭和35年5月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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                             (昭和35年5月25日 日本模型新聞 ㈱自トッププレス監修済み)

そして次に、その5月の広告に田宮の大和の発売広告が載っている、

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             (昭和35年5月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この記事にもあるように、プラスチックモデルの艦船モデルの第二弾として田宮の大和が発売されることにな

った、とある、その一弾というのがニチモの武蔵のこと、

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                         (昭和35年6月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

そして、田宮が大和を発売した5月の翌月の6月にニチモが大和を発売、

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                (昭和35年7月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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       (昭和35年7月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

3者出揃ったところで、ニチモの走るプラ武蔵、大和、オールプラ田宮の戦艦大和の広告、となる。

※ ではなぜニチモは一番手に大和ではなく武蔵にしたのだろうか、あくまでも推測であるが考えられることは

ただ一つ、それは、にしき屋がすでに戦艦大和の商標登録を行っていたため、ただその商標登録は木製キッ

トの戦艦大和のみ効力が及ぶものだったが、ニチモはそれを戦艦大和全体に及ぶものと勘違いしていたのだ

ろう、田宮がプラスチックモデルの戦艦大和を発売したものだからそれに気づいて慌てて直ぐに大和を発売し

たものと思われる。

※ どのサイト、書籍類を読んでもこのニチモの武蔵のことには一切触れられていない、皆がタミヤの戦艦大

和を発売直前にニチモが大和を発売したとある、それでタミヤの大和があまり売れなかったとある、まあちゃ

んと研究していないのと、人様の説の受け売りをなさっているのだろう、

※ それから、「艦船模型大全」をご参考に読まれたらその間違いもよくわかる、それといろいろな模型サイト

(具体的にどのサイトとは言わないが)、をご覧になるとその間違いもよくわかる。







7日~9日は休み、

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7日~9日は孫達の運動会や遊びに来るためブログは休みです。

これから来月にかけてはいろいろと忙しい、

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これから来月にかけてはいろいろと忙しくなってくる、

今週はまた静岡行きとなるので13日、14日はブログは休みとなる、

そう、「静岡ホビースクェア」に今展示中のものを入れ替えるためである、今井科学のものを引き取ってまた別

の展示を行う、今度は何を展示するかはまだまだ ヒ・ミ・ツ、

只今、その作業中、

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この画像はその展示内容の品の一部、まだモザイクをかけてヒ・ミ・ツ。

いつも言うように、特定のメーカーの太鼓持ちになったり特定のメーカーを賛美したりすることが大嫌い、

まあどちらかというと、特定のメーカー、特定の方々の悪口を言ったり、批判することが大好き、

だから、その特定の方々から嫌われる、まあ嫌われるならもう徹底的に嫌われたほうがいい、そのほうが今後

のパワーの源となってくる、

しかし、あまり悪口、批判ばかりしてもいけないので、模型業界のPR,発展?にも協力させていただいている、

その一事例がその静岡ホビースクエアでの展示である、

ところが、これがまたまた特定の方々から嫌われる要因にもなっているようで、もうどうしようもない(笑)

ハッキリ言って、いちいちそのようなことは気にしてられないので好き勝手にやっていこうと思っている、

今回の静岡での展示作業が終わったら次は大阪での「モデラーズフェスティバル」である、http://modefes.tumblr.com/

お近くの方々はぜひお出でいただきたい、

もちろん、静岡に行かれた場合はぜひ駅前の「静岡ホビースクエア」へお立ち寄りいただきたい。
                              http://www.hobbysquare.jp/




6時頃の大蔵海岸から、

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昨日の6時ごろの大蔵海岸を撮ってみた、

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この時間になると、ベンチでアベックが座って夕陽を見たり砂浜を歩いたりしている。

スピットファイア―

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先週に映画を観たのが「ダンケルク」であった、その映画に登場するのが「スピットファイア―」、

そのスピットファイア―のプラモをこの2、3年動かしてなかったので取り出してみた、


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組み立てるとその保管場所に困る、このようなケースの引き出しにゴチャゴチャと入れている、

さて、どこに入れていたか、最近はどこに入れていたか思い出すのに苦労する、


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あった、あった、分解して奥のほうにあった、

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この大滝製作所のスピットファイア―は簡単に分解できる、そう、そもそも接着剤を使用しない、

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電池を金具に接触させるのが難しいので単4電池ボックスを取り付けた、スイッチもオリジナル方式ではなか

なか接触させるのが難しいのでスライドスイッチを取り付けている、


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アッ、ゴムジョイントが劣化してひび割れしているので取り替えなくてはいけない、

釣り具の浮きを止めるゴム管で代用できる、

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胴体は接着剤を使用しないので、まず尾部のこれを差し込んで止める、

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カウリングも脱着方式、

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風防ガラスも脱着方式、主翼もそう、

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主脚は折りたたみ方式、

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最後に爆弾を差し込んで完了、

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これがまた意外にスルスルとスムーズに走ってくれる、

以前に動画を撮っているのでどうぞ。





バンダイ グレートマジンガー

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これは、再販のグレートマジンガーにギアボックスを組み込んで歩くようにしたもの、

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頭頂部にスライドスイッチを取り付けて、

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単2電池を入れて、

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この再販のグレートマジンガー秘密基地は2,000円くらいで手にはいるので、あとはギアボックスを組み込

んで改造したら充分に楽しむことができる、

それでは、グレートマジンガー秘密基地から歩かせてみよう。


昭和初期には模型モーターが

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教材用の模型モーターは別として、昭和初期には乾電池を電源とした模型モーターは存在せず発売はされて

いなかったと思っていたが、実は発売されていた、

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これは、昭和8年5月号の「子供の科学」、

この中の通信販売の広告欄を見ていたら、

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この新発売、船用モーターとある、

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普通の丸型モーターではなく、箱型の模型モーター、中の構造はどのようになっていたのだろうか、

乾電池を電源としているので、どんな模型にも搭載できるとある、

そう、船、自動車、戦車、潜水艦にも応用できるとある、

シャフト、スイッチも見えるが、今のモーターからすればちょっと異形である、

発売していたのは子供の科学代理部、すでに過去の記事でも書いているようにその子供の科学の代理部が

分離独立して東京神田の「科学教材社」になった、

その科学教材社は数年前にビルが壊されてしまったが、その後どうなったのかなあ~。

シールを貼って販売した、

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昭和44年に今井科学が倒産した時、膨大な量の在庫が残ったという、

サンダーバードのプラモをテンコ盛りにして燃やしたとか、いろいろな証言等を聞くがその真偽のほどはわから

ない、

叩き売りでプラモ市場の暴落を恐れたバンダイはその今井科学の在庫を引き取ったという、

そう、引き取った今井科学のプラモを少しずつ市場に放出して売りさばいたという、


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このように、今井科学のロゴマークの上にバンダイのシールを貼って売りさばいたのである、

ただ、今となっては当時のこのバンダイのシールを貼ったものはほとんど見かけることはない、

バンダイはうまく売りさばくことはできたのだろうか、

その頃、このようなバンダイのシールを貼った今井科学のプラモを買った記憶のある方はいらっしゃるだろう

か。
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