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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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14日、15日は休み、

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14日、15日は静岡行きのためブログは休みです。

静岡から先ほど帰宅

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先ほど深夜の数時間前に静岡から帰宅した、さすがに一般道ではなく高速を走って(笑)、

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そう、今井科学の展示の入れ替えを行ってきた、今度は何に入れ替えてきたかというと、それはまた後日に、

ところで、我が「模型探偵団」の東京支部が珍しいプラモを某所から仕入れてきたという、

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さて、中身は一体どのようなプラモなのか、まづはこの箱を開けて組み立ててみよう、

そして、このプラモデルを、・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・    <続く>

童友社のファンキー ガイコツ

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このプラモデルには商品名が書いてない、箱にはただ「ガイコツ」としか書いてない、

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裏にも書いてない、

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ただ、ダース箱には「ファンキー ガイコツ」と表示してある、当時の価格はいくらだったのだろう、

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さてと、早速組み立ててみよう、部品はこれだけ、

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磁石と夜行塗料が入っている、

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組み立てるとは言っても頭と肋骨の2つを接着し磁石をはめ込むだけ、ものの2、3分で終わり、

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夜光塗料はもう粉になっているので塗れない、

そうそう、100円ショップで蛍光塗料が売ってあったと思うので買ってきて塗ってみよう、

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台座に足を接着して、

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ブリキの蛍光灯スタンドにペタッ、ちっともファンキーな感じがしないが、

あとは蛍光塗料を買ってきて塗ってみよう。

それから、童友社のヘンなプラモでもう一つ、

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「マイティジェット3号」 というプラモ、

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童友社はこの当時はこのようなプラモが好きだったようで、いろいろと発売していた、

それから、「ファンキー ガイコツ」は無料進呈する予定にしている、

11月4日、5日に開催される「モデラーズフェスティバル」http://modefes.tumblr.com/ で「模型探偵団」の

ブースへ来ていただいた方に先着順に「合言葉」をちゃんと言っていただいた正解者の方に進呈させていただ

く予定にしている、その「合言葉」は後日お知らせするのでよ~くお見逃しなきようにブログをご覧いただきた

い、

それからもう一つ、

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これもブログをご覧になっている方へのお礼の印としてフアンのお方へ無料進呈を予定している、

まだ不要なプラモをゴソゴソと探しているのでこの倍くらいは持っていく、

ブログを観ていると仰っていただければ先着順に一つ進呈させていただくことにしている、

そうでない方は500円くらいで販売、売れきれないうちにお早目にご来場あれ。


マジックコルトのパクリ物で、

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再び銀玉鉄砲のマジックコルトのことを紹介しよう、

銀玉鉄砲の元祖であるマジックコルトは、昭和34年頃大阪のセキデン社から発売されたことはすでに紹介し

た、そのマジックコルトは発売されるや爆発的に売れ全国の子供たちの間に普及した、

爆発的に売れるとなると当然のことながら、そのパクリ物が出回るのは当時としては当然の成り行きだろう、

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これらはパクリ物、本物は一番上のもの、今回、右のパクリ物を入手したので紹介してみよう、

当時パクリ物は結構出回っていたようで、現在までに入手したものは上記の3個、まあ他にも出回っていたも

のがあるのだろう、


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今回入手したものがコレ、パッと見は似せているもののやはり中身の作りが悪い、

ロッドを引いた時にちゃんと引き金に掛からない、もちろん、銀玉もちゃんと発射できない、そう、玉が出たり出

なかったりと、

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これが本物、もちろん、これはちゃんと作動する、さすが元祖だけのことはある、

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ただ本物といえど一か所だけ欠点がある、この玉を入れる箇所、これが開閉を繰り返しているうちに摩耗して

取れてしまう、

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その点、パクリ物はちゃっかりと改良?してスライド式の扉にしている、

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元祖のマジックコルトはそのつどロッドを引かなくてはならなかったが、2代目のものは連発式となった、

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誇らしげに?オートマチックと刻印してある、初代のマジックコルトからおよそ2年後くらいに発売された、

これが発売されたので2丁拳銃で撃ちまくって遊ぶことができた、そう、初代のマジックコルトではロッドを引か

なくてはならなかったので2丁拳銃で遊ぶことができなかった、

ただ、苦肉の策として、両手にマジックコルトを持ち歯でロッドを噛んで引いて撃ちまくったこともあるが、

その結果、ロッドが歯で潰れてしまうのであった、

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もちろん、2代目のものはこのように玉入れ箇所はスライド式に改良してある、

この2代目のマジックコルトのパクリ物は今まで発見したことはない、おそらく存在していなかったのではない

だろうか。

今朝6時の日の出前

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今朝6時の日の出前の空。

このギアボックスは、

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古い昔のギアボックスで一番出回っていたのが皆ご存じのタミヤのこの戦車用のギアボックスだろう、

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ところが、このギアボックスはあまり見たことない、

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減速、増速、応用伝導装置、とある、

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なるほど、このギアを組み合わせると随分と減速できる、ゆっくりと走らせる戦車にはもってこいのギアだろう、

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ところで、このギアボックスの発売先というとこのロゴマーク、MHS というメーカー、

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そう、MHS はモデルホビース商会である、昭和40年代中期に廃業なさったことはすでに紹介しているとおり

である、

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その広告にある「電気軽タンク」もすでに紹介している、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69092582.html

日本教材新聞を見ていたら次の広告をまた見かけたのでついでに紹介しておこう、

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                     (日本教材新聞 昭和29年2月号)

これもすでに過去の記事でも紹介しているように僕が確認している限りでは日本初のモーターライズ戦車模型

である、この英工社というのは後の三和模型となった、

ただ、この広告では2月10日頃発売予定となっている、その後発売されたという広告等は確認していない、

が、実際に発売されたことは間違いないだろうと推測している、

なぜなら、


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ん、ん、ん、この木製戦車模型のスタイルはなぜかよく似ているなあ~、

もちろん、この木製戦車模型はタミヤ初のモーターライズの戦車模型である。

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一緒に入っていたコレはよくわからない、釘の先っちょが折れたようなもの、おそらく釘の頭が腐って取れたの

だろう、ひょっとしたらギアボックスを取り付けるのに昔は釘を使用していたのでその釘の残骸かもしれない、

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シャフトを加えるとこういう形になる、

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これで減速の組み合わせ、

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ギアボックスの前後の向きを逆にしてこのようにすると増速用となる。

バンダイ テクトロン センサーロボ

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たまには古いプラモデルだけでなく、新しいプラモデルのことも書いてみよう、

昨日、模型店へ行っていただいてきたプラモの中の一つが次のもの、

そう、僕が来るのを待っててくれる、行くと倉庫から出てきたプラモを段ボールに詰めて、「コレ、出てきたので

持って帰って」 と仰るのでいただいてくる、代金は払わない、お金がある時払い、忘れて払わない時もある、

まあ、僕が貧乏で超プラモ好きというのをご存じなのでその哀れみみたいなものを感じておられるのだろう(笑

い)

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だから、「コレ、持って帰って」と仰ったプラモは興味がなくても全ていただいてくる、

その段ボールの中に入っていたこのプラモデル、バンダイの「テクトロン センサーロボ ベートーベン」とあ

る、


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音楽に合わせてタクトを振るらしい、1985年の製品らしい、もちろん僕も初めて見る、

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なかなか面白い動きをするようである、演歌をかけてもちゃんとタクトを振るのだろうか、

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いずれ、組み立てて演歌に合わせてちゃんとタクトを振るかどうか試してみたいと思っているが、

演歌ではダメだろうなあ~。

戦前の模型工作本

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読書の秋とはいうものの、僕は小説というものはほとんど読まない、

もっぱら読むのは模型関連、軍事関連のものがほとんどである、それも最近のものはほとんど読まない、

読むのは古いもの、そう、プラモデルと同じで古いものしか興味はない、

それで今回はどのようなものを読んでいるのか紹介してみよう、

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この段ボールの中は戦前までの模型工作に関する書籍の一部、

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全部取り出すのは大変なのでとりあえずはコレだけ、

以下、ざっとその画像だけで紹介してみよう、

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「子供の科学」ではこのような冊子を付録として毎月付けていた、

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福岡県の三ケ山国民学校で模型飛行機工作の授業で教員が使用していたのだろう、

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この「電動機の作り方」は僕が持っている中で一番古い工作本で昭和2年出版となっている、

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模型の歴史を研究するうえで、いや何事も歴史を研究するうえでは当時の資料を揃えることが重要で、それ

がないと始まらないことは言うまでもない。

戦前の雑誌、カタログ等、

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昨日は戦前の模型工作本を紹介したので今回は雑誌やカタログ等を紹介してみよう、

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全部は紹介できないのでその一部を、

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これらは模型カタログ等、

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すでに過去の記事でも紹介しているように、これらを見ただけでもマブチモーターの歴史というものも捏造され

て都合のいいように作られていることがわかる、今や世界トップメーカーとなったマブチモーターもその始まり

は戦後のドサクサを利用して他社のモーターをそのままパクって始まったことはすでに過去の記事にも書いた

とおりである、もちろんマブチモーターに限らず今や世界的模型メーカーとなったところもその始まりはパクリ、

まあここでは書けないような悪事をはたらいて成長していったのである、

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これは、テレビジョン広告のチラシ、昭和14年にビクターはテレビジョンを完成させた、

しかし、戦争の始まりによりそれらの開発も中断され他の分野の開発に移行したという、

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少年工作は昭和20年代、他は戦時中の雑誌、

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当時の雑誌はほとんど軍事色のもの、

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これらのさし絵は、「国防科学雑誌機械化」に載っている、そう、小松崎画伯が描いたものだろう、

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以下は戦後の昭和20年代中期の模型雑誌、

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この頃の雑誌の表紙は写真ではなく画家が描き色鮮やかなのでなんともいえない趣がある、

最近よく話になるのがこれらの集めた資料等を死んだあとどうするのか、という話(笑)

まあこれらに限らずプラモデル、模型等もそう、

いずれ死ぬ本人はハッキリ言ってどうにでもしろ、と言いたいが、本音としてはちょっとばかり気にはなる(笑)

僕もせいぜいあと生きても10数年だろう、そう、予定としてあと10数年、10数年くらいアッと言う間に来てしま

う、僕だけに限らず何かを趣味で集めている人は皆そうだろう、

幸いなことに、粗大ゴミとして捨てられることはなくなった。

バンダイ センサーロボ ベートーベン

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このプラモデルは接着剤は使わない、全てビス止めとなっている、だから分解はいつでも可能、

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単2電池2本使用、

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ちゃんと音には反応しない、ドライバーの先っちょの部分に音を拾うマイクが付いているが、ここに音を近づけ

ないと反応しない、その感度を調整できるようになっているものの、ちゃんと機能しない、

ツマミをRのほうに回すと感度アップになるがダメ、目いっぱい回し続けるとずっと動きっぱなしになる、

ツマミをR方向へ回し動きっぱなしになる寸前で止めても、音には反応しない、

マイクに口を近づけて声を出すと反応して動く、まあ、部屋の中でステレオを大音響にすれば反応するかもし

れない(笑)、 なので、R方向へ目いっぱい回して動きっぱなしにして動画を撮った。


トミー アストロ8シリーズ アストロハンド

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今回は、トミーの電動玩具でアストロシリーズ8のアストロハンドというのを動かしてみた、

このシリーズ玩具には3種類あったらしい、

8輪駆動ということなので、その仕組みを知りたくて入手してみた、

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やはりピニオンギアがひび割れしてスカスカになっていた、交換しようとしたものの、このピニオンギアの歯数

が9枚、手持ちのギアを探したがこの9枚歯がない、そう、意外と9枚歯のピニオンギアが少ない、

仕方ないので、とりあえずは瞬間接着剤を流し込んで固めた、

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前4輪はギアボックスからの駆動、後ろ4輪はゴムベルトによる駆動となっている、

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8輪ともギアで噛み合わせている、

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単2電池を2本使用、

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車輪はこのようにシーソー式に上下に動く、

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お好みの色にボディーを塗り替えた、ただ、操縦席のガラスが青色なのはいただけない、

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遊んだあとは箱に入れて押し入れの中にぶっこんで保管、今度取り出して遊ぶのははたしていつのことやら。


「静岡ホビースクェア」で展示中、

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静岡駅前の「静岡ホビースクェア」の展示品を入れ替えたのでお知らせしよう、

今回の中心展示物は次のもの、

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そう、戦後初、いや、日本初のロボット模型、静岡の渥美産業が昭和31年4月には発売していた木製ロボット

模型である、今までその現物は確認されずもうダメかと思われていたが、最近その現物が発掘されネットオー

クションに出品されていたのはすでにご存じだろう、しかし、残念ながら入手することができずなんとかその複

製だけでもと思い今回それを複製することができた、ロボット本体は記事にも書いているとおりすでに出来上

がっていたが、箱の複製が僕では無理であった、

そこで、いろいろなお方の協力をえて今回その箱の複製に成功した、

ロボットと、箱の画像の提供は四国の「シューティングスター」さん、箱の画像の修正、印刷プリント等は静岡

「㈱ギケン」さんにご協力をいただき、今回その展示となった、

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これらの画像は先週静岡へ行った時の展示の準備中のもので、最終的な展示は現地でご覧いただきたい、

僕はまた来月に静岡へ行く予定にしている、

静岡に行かれたらぜひ「静岡ホビースクェア」にもお立ち寄りいただきたい、

それと、

来月は模型関連のイベントが集中している、3日が「おおさかホビーフェス」http://osaka.hobbyfes.com/

4日、5日が 「モデラーズフェスティバル」http://modefes.tumblr.com/

その「モデラーズフェスティバル」には何度も言うように参加しているのでぜひお出でいただきたい。


童友社 マイティジェット

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童友社の「ファンキー ガイコツ」を紹介したらもう大好評で大好評で困った、困った(笑)


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今度は「マイティ ジェット」を作ってみよう、まあ、これもどこかのパクリ物、

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ゴム動力で面白く潜航する、とあるがそんなこと絶対にありえないだろうが、     <続く>


なお、ファンキーガイコツはモノグラム社のプラモのガイコツをパクったものだろう、

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                                    (イーベイ オークション画像より借用)

童友社 マイティジェット3号

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童友社の「マイティジェット3号」を組み立ててみた、

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ゴム動力で面白く潜航する、とあるがそんなはずない、

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部品はコレだけ、輪ゴムはもちろん干からびている、

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おもりを付けて、

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輪ゴムを巻いて手を離すと、一瞬のうちにスクリューは回り終えてしまう、

一応ねんのために、風呂に一緒に入って試してみよう、まあ、結果はわかりきっているが。

日本初の無線操縦で動かしたのは

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日本で初めて無線操縦で動かしたのは軍人の長山大尉だと言われている、

そう、昭和5年に日比谷公園で公開実験に成功し、あのトラクターを改造した豆戦車だという、



まあそれが無線操縦で初めて動かしたものだといわれている、

しかし、その長山大尉が無線操縦で動かした豆戦車が日本初だったのだろうか、

僕に言わせればそれも疑わしい、というよりも間違いだろう、

なぜなら、その頃にはすでに模型でも無線操縦のものを製作して楽しんでいたのである、

その記事が次の「科学画報」にて紹介されている、

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昭和5年8月号の科学画報、

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この中に、無線操縦式の潜水艦の作り方が載っている、

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この潜水艦の模型の全長は7フィート4インチらしいので写真のとおり、ゆうに2メートルを超える大きな潜水艦

の模型だったのだろう、この記事を書かれた佐々木民部さんというお方は当時模型製作の記事をいろいろな

雑誌でも書かれている、

その記事の一部を紹介してみると、

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僕が読んでもよく理解できない、これを作るには相当の知識と技術を要するだろう、

さらにこれより遡ること1年、昭和4年の科学画報には、

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昭和4年4月号の科学画報では、

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駆逐艦灘風に装置を積んで380トンの駆逐艦卯月を操縦したとある、

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もちろん、これを読んでも僕はさっぱりわからない、

ただわかることは、おそらくこの頃が日本で初めて無線操縦で動かしたのではないかということである。



1ダース箱を作ってみた、

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童友社の「ファンキー ガイコツ」の1ダース箱を作ってみた、

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プラモデルの箱を作るのは初めてである、ファンキーガイコツが大好評なので、またその1ダース箱はめった

にお目にかかれないのでお遊びで作ってみた、ついでに白黒箱も(笑)

この中で本物は一つだけ、まあこの画像だけでのパッと見でわかるかな、

まあ、よ~く見るとわかる、


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何も機器類がないので原始的な方法、ホームセンターへ行ってカラーコピーをして、

ただ、最大のA3サイズでも1枚では入りきれないので部分的に3枚に分けてコピーするしかない、

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蓋の箱はA3サイズで入りきったので1枚のコピーでOK,

それらを厚紙に貼ってカッターナイフで切り取って折り曲げて組み立てる、

厚紙に貼り付けるのが難しい、そう、糊で貼った箇所がシワになったり、空気が入ったりするので難しい、

そして折り曲げるところは一直線にピシっと折り曲げないといけない、

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左が本物、

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シワになった部分はアイロンをかけると綺麗に伸びてシワがなくなる、

初めてにしてはまあまあの出来だろう。

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中にティッシュペーパーの箱を入れてみた、おお~、ちゃんと取り出せる(笑)。

読書の秋ということで

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読書の秋ということで、雑誌を取り出してはパラパラと頁をめくって見出しの興味のある部分を読んでいたら、

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この「まにゅある」という雑誌、昭和60年9月に出版されたもので、数年前にある方からいただいた雑誌であ

る、面白いことが書いてあるので読んで下さいと、ということでいただいた、


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う~ん、このページを読んだだけでもたしかに面白い、というかもう笑ってしまう、

もう、何が面白いかというと、もう言わなくても、

そして、次の雑誌、

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「軍事と技術」、

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昭和16年12月12日発行、日米開戦直後のもの、

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よく読めないが〇〇中尉と鉛筆で書いてある、おそらく、当時〇〇中尉という軍人さんが読んでいらっしゃった

のだろう、

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今話題の神戸製鋼所の広告も、

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そのものズバリ、兵器商会という会社名も面白い、

まあ、暇な時間はこのような雑誌等を読んで楽しんでいる。


童友社 マイティジェット3号

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マイティジェット3号と一緒に風呂に入ったので浴槽内を走らせてみた、

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潜らせる場合は、穴から水を注入、

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そして、重りを付ける、

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水に浮かせる場合は、重りを外すと浮く、

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アッ、という間に走り切ってしまう。


戦後すぐの昭和22年にはマグネットモーターが、

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またまた、マブチモーターのパクリ疑惑の話題を一つ、

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これは、昭和22年12月発行の「動く実験室」という少年向けの科学雑誌である、

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その広告欄に模型モーターが載っている、

ベビーモーター商会、聞いたことない、もちろんその製品などまったく知らない、う~ん、このモーターの広告を

見ただけでもこの模型モーターはマグネットモーターに間違いない、会社名からして模型モーター専門の会社

だったのだろう、これは12月号で9月号を確認したところそれにもこの広告が載っている、

実は、この頃はまだマブチモーターは永久磁石を利用したマグネットモーターは開発していない、エナメル線を

グルグル巻いた電磁石の「スクールモーター」という教材用のモーターであった、社史の「マブチモーターの半

世紀」によると、馬淵健一さんが世界初のマグネットを利用した模型モーターを発案したとされるのが昭和22

年夏となっている、なんか「ベビーモーター」の発売時期とピッタリと時期が重なっているな~、 と思うのは考

えすぎだろうか、もちろん、マブチがマグネットモーターを発売したのはその後のことである、

まあ、何と言ってもマブチモーターの始まりの「スクールモーター」という教材用モーターも「朝日科学玩具製作

所」の完全なパクリだったので、そう思われても仕方ないことだろう、

そもそもが、永久磁石つまりマグネットを利用した模型モーターを世界で初めて開発したのがマブチモーターと

いうのが嘘なので、しかもいまやそれが定説となってなっていること自体が恐ろしい、それが嘘と明らかにわ

かっていてもそれを定説にしてしまうところがなおさら恐ろしい、

それにしても、その「ベビーモーター商会」はどうなったのだろう、その後のことは資料等にもみかけないので

いまのところわからない、非常に興味のあるところである、

ひょっとしたら、マブチはすぐに特許をとっているのでそれでもってその会社を潰したのか?

このように一番先に開発し発売しても途中で消滅してしまえばその歴史に名は残らない、

悪く言えば、手段を選ばず成長し大きくなった会社だけが生き残り歴史にその名を残す、ということも言えるの

ではないだろうか。




「科学の日本」という雑誌

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戦前の科学雑誌で、「子供の科学」、「学生の科学」、「科学画報」、「科学知識」等は今でも結構残っている

が、あまり残っていない科学雑誌がある、

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それがこの「科学の日本」という科学雑誌、これがあまり残っていない、今までに見つけたのがこのたった2冊

のみ、なかなか見つけられない、これは昭和8年出版のもの、

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どのような記事が書いてあるのかというと、この目次のとおり、

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広告のこの「ミゼットカー」、この製品はすでに紹介している朝日科学玩具の製品である、

そう、昭和12年に開発発売した例の「スクールモーター」を発売した戦前の最大手の玩具製造メーカーであっ

た、そのスクールモーターを戦後のドサクサに紛れてパクって発売したのがマブチモーターの始まりであること

もすでに何度も紹介している、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70725988.html
                                        ↑
         (もう一度この↑の記事を読んでコメント欄も読んでいただきたい、興味深いコメントをいただいている、そこで、なぜ当時の馬淵青年がその朝日科学玩具に出入りしていたのか、実は馬淵少年の出身地は四国の高松、そして朝日玩具の創業者の出身地も高松の近くなのである、おそらく当時から馬淵少年は朝日科学玩具に出入りして知り合いだったのだろう、つまり、朝日玩具の製品については熟知していたということ) 

話を戻して、                                           

その昭和8年頃にはすでに朝日科学玩具というメーカーはデパートの屋上で遊ぶ電動乗り物を製造していた

のである、

その朝日科学玩具は今では「朝日テック」として遊園地等の電動玩具を製造している、http://www.asahi-tec1907.co.jp/index.php?mp=info

もちろん、四国まで取材に行ったことも紹介したとおりである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70795543.html


読売ジャイアンツの投手交代で投手が乗って登場するあの電動カーはその朝日テックが製造したものであ

る、

では次にその「科学の日本」、の頁の一部を紹介してみよう、

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まあ僕の昔の兵器好きとしてはたまらない内容となっている。
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