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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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有井のスンゴイC級プラモ

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僕がまったく興味がないC級のスンゴイプラモが出てきたので紹介しよう、

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有井の箱絵からして意味不明のスンゴイ絵、GOGOマシーン6号 UFO基地軍団 とある、

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同じくその6号、

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秘密基地からマシーンが輪ゴムの力で飛び出すものらしい、こんなもの誰が買うのだろうか、

そう、買うのも恥ずかしい、

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このような山の部品を見るとなんとなく秘密基地みたいな感じを受けてしまうが、

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キットの中身を紹介するのも恥ずかしいくらい、

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はたして、こんなプラモを当時購入して作られた方はいらっしゃるだろうか。

ハセガワのオールドキットが、

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最近はあちこちで集中豪雨が発生している、

その集中豪雨で模型の歴史のうえで有名なのが「静岡の七夕豪雨」だろう、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95%E8%B1%AA%E9%9B%A8

その話はとりあえずは置いといて、

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模型の歴史を勉強するうえでこの「日本の模型 業界75年史」は参考資料の一つである、

これを執筆なさったのは、新教社(後のモデルホビース商会)の創業者である飛田さんでこの本を完成させる

のがライフワークだったという、

             https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70957035.html
その後、昭和40年代中期頃に廃業なさったが、その時の大量の在庫品は全てハセガワさんに寄贈されたと

いう、それで気になるのがハセガワさんに寄贈されたそれらの大量の昔の模型がどうなったかということ、

また、七夕豪雨に話を戻して、

実はそれらの物は七夕豪雨で全て流されてしまったということである、ハセガワさんの倉庫等にあったものは

ほとんどプカプカと浮かんで流れていったという、

つまりハセガワさんには古い資料、キット等は残っていないらしい、

そこで噂では、今ハセガワさんのオールドキットが密かに脚光?を浴びているらしい、

そう、オールドキットが残っていないので、

そこでハセガワさんのオールドキットを入手して、 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・(わかる人にはわかる)

アッ、そういえば、例の4月の「しょんないTV 今井科学」にもそのキットの一つが出ていた。

ブリキ玩具のホバークラフト

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ブリキ玩具と言ってもボディーは軽量のアルミ製となっている、

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パワーを必要とするために単1電池3本を使用する、

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4ミリくらい浮き上がる、

板張りでなく畳の上でも浮き上がってくれる、ただ、操縦が難しい、ちゃんと前進してくれない、クルクル回った

り、推進用のプロペラがないと前進はしないだろう、まあ、浮き上がって動き回るだけでもいいだろう。


子供の頃の本立てに、

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蚤の市でこの本立てを仕入れてきた、子供の頃はこのような本立てを使っていたので懐かしくて1,000円で

買ってきた、さて、その頃はどのような本を並べていたかなと記憶を辿っていってもなかなか思い出せない、

そこで、手持ちの本を並べてみた、

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おそらく、このような本を並べていたのではないかと、

では、引き出しの中には、

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まあ、こんな物を入れていたのかなあ~、ほとんど記憶には残っていない。

少年画報社の少年文庫

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昔、少年画報社というところから「少年文庫」シリーズが出版されていた、

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そのうちの3冊がコレ、

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昭和38年頃からの出版でシリーズとしてはこのようなものがあり、

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「プラモ百科」は昭和40年に出版されたもの、

どのようなプラモが載っているかというと、

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緑商会のマンモスキングについては、

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ニチモのM-46パットン戦車は、

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僕は当時はこの本を買ったことはない、何と言っても月に1個のプラモを買うのが精一杯だったので。

トミー サンダークラップタンク

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トミーの派手なアクションキットについては過去の記事でも紹介している、

これはその中の一つの「サンダー クラップタンク」という戦車で、プラモデルというよりは電動玩具に近いよう

な戦車模型である、

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底板はブリキ製、ギアボックスも金属製、蹴とばしても壊れることはない、

動かそうとしたら動ないので分解してみた、ネジ止めでなく爪で止めるので爪が折れないように外す、

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モーターのリード線が外れている、     <続く>

トミー サンダークラップタンク

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モーターのリード線が外れていたのでハンダ付する、

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そのギアボックスを底板に取り付けて、

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スイッチと電池ボックスに配線しハンダ付、

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上部のボディーを被せて取り付ける、

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巻き紙火薬をセット、単1電池2本を収納、

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砲塔をセットして完了となるが、実は、巻き紙火薬の火薬部分に撃鉄を命中させるのが難しい、

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その火薬部分に命中させるところの動画をどうぞ。


第一回プラモデルショウ

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手持ちの資料等の中から次の物が出てきたので紹介しておこう、

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大阪で開催された第一回のプラモデルショウの招待チラシである、

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これには年が記載されていないが、その第一回の開催は昭和38年5月23日であった、

主催は「日本プラスチックモデル工業協同組合」である、そう、日本プラスチックモデル工業協同組合はその直

前に設立され、その記念の一環としてプラモデルショウが開催されたのであった、

開催地が東京ではなくなぜ大阪だったのかそれはわからない、


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その日本プラスチックモデル工業協同組合が設立された時の会員はこの20社である、

その中で今残っているメーカーといえば僅か数社しかなく、ほとんどメンバーも入れ替わり17社となっている、

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                         (昭和38年2月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

その日本プラスチックモデル工業協同組合の設立主旨がこの記事に載っている、

その後、今はプラモデルという商標権を所有しているので「日本プラモデル工業協同組合」となっている、

その「日本プラモデル工業協同組合」の程度の悪さについては散々今までも書いてきたが、その設立におけ

るいきさつについても紹介してみよう、    <続く>

                                               



日本プラスチックモデル工業協同組合の設立

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それでは、日本プラスチックモデル工業協同組合の設立のいきさつから紹介してみよう、

今の「日本プラモデル工業協同組合」のお方はこれでも読んで少しは勉強していただきたい、

何で模型業界とは関係ないド素人の僕がここまでやらないといけないのか(笑)

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             (昭和38年3月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

初代理事長だった緑商会の草野社長はここで設立の趣旨を述べられている、

一言で言うなら、「共栄共存」ということであろう、

そして、戦勝国アメリカへの批判を述べられていることも興味深い、

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         (昭和38年5月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)


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なお細かいことではあるが、「日本プラスチックモデル工業協同組合」の正式な設立はこの日本模型新聞にも

あるように昭和38年4月22日である、

ところが、「日本プラモデル工業協同組合」のホームページ等では昭和38年6月となっている、
             http://hobbyshow.co.jp/union/

まあこれらを見てもわかるようにとにかくいい加減、とにかく自分とこの歴史もまったく勉強していない、

自分とこの看板商標であるプラモデルの商標権のこともちゃんと理解していないのだから、もう笑いを通り越し

て腹が立ってくる、  いやそれだけでなく、すでに過去の記事にも書いているようにその会員であるタミヤ模

型でさえそのことを理解していないのだからもう何と言っていいのやら、  <続く>

第一回プラモデルショウ

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さて、日本プラスチックモデル工業協同組合が設立となったところでそれを記念して開催されたのが大阪での

「第一回プラスチックモデルショウ」であった、

それらの準備のためにいろいろと打ち合わせ等がなされたが、その記事の一部を載せてみよう、

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             (昭和38年4月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

基本的に模型店などの業者が対象で一般の人は入場はできない、

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この招待状が送られてきた、 おそらく受付でこの招待チラシの半券を切り取ったのだろう、

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         (昭和38年4月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

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これらのメーカー、問屋等は今となってはほとんどが消滅している、

ところで、開催の結果はどうだったのだろうか、     <続く>


大盛況だった第一回プラスチックモデルショウ

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第一回プラスチックモデルショウは大成功だった、

その記事は次のとおりである、

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予想の倍以上の来場者でそれこそ笑いが止まらないほどだったという、

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            (昭和38年5月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

午後には招待客を観光バスに乗せて接待旅行となったらしい、

まあこの時期が模型業界としては一番輝いていた時代であった、この翌年に三和模型が倒産するなど誰が予

想していただろうか。

リモコンの艦船プラモといえば、

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第一回プラスチックモデルショウの頃に発売されたものに、リモコン式の艦船プラモがあった、

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              (昭和38年5月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

そう、このフジミ模型の1/550 の戦艦大和であった、

このプラモについてはすでに過去の記事でも紹介している、

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ちゃんと水兵さんも付いている、

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このフジミの戦艦大和の記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69274547.html

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キットの箱の中には社長の挨拶状も、

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過去の記事でも紹介しているように、10メートルもの長いリモコンコードになると抵抗が大きすぎて電流が届

かないので半分の5メートルくらいにしないと電流が届かない、

まあ、実際に操縦するとなると、水の中に入って大和を後ろから追いかけないといけないので大変だろう、

実は、リモコン式の艦船模型はこのフジミの戦艦大和が初めではなかった、

木製模型全盛時代の昭和31年には静岡の3社のメーカーからリモコン操縦の艦船模型は発売された、


ただ、僕はそれらの一つも所有していないので未だにその現物を見たこともない、

そうそう、リモコン式の艦船プラモといえば、アオシマのプラモがあった、

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このアオシマの「ポリスパトロール」 である、これも操縦するのはスピードが速すぎて無理だろう、

このポリスパトロールの記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69471907.html

まあリモコンコードで繋がっているので、どこかへ行ってしまう心配はない。

台風は明石上空を通過

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台風は明石に再々上陸し上空を通過していった、 暴風雨は2時間くらいの間でアッという間に静かになった、

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今朝はいい天気で紀伊半島も見える、

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淡路島もよく見える、淡路サービスエリアの観覧車も、

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あれは、海上保安庁の監視所、自転車で登ってみたが六合目当たりで断念、時々見学会をやっているので今

度は車で行ってみようと思っている。

中々、好評らしい、

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聞くところによると、なかなか好評らしい、

何が好評かというと、 次のプラモデルの展示、

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そう、「静岡ホビースクェア」で展示している今井科学のプラモデル、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71940795.html

この展示を見た方々が懐かしいなあ~、と、中々の評判らしい、

これを見て、「よし、俺もあの頃のプラモ少年に戻ってプラモを作ってみよう」ということで、売店のプラモの売り

上げも伸びているらしい?

まあ僕も模型業界、メーカーの悪口、批判を散々しているが結果として模型業界には貢献している(笑)

これからも言いたい放題、模型業界の闇の歴史等も暴いていこうと思っている、

第一、特定のメーカーを賛美したりするのが大嫌い、また媚びるのが大嫌い、またそれらを取り巻く方々の太

鼓持ちぶりを見ていると非常に見苦しく感じてしまう、あれはなんとかならないものだろうか、

とにかく、黒歴史、闇の歴史を暴くのは実に楽しい、そして、それらを貯め込んでおくのは更に楽しい、

それからもう一つ好評だったのが、前回の時に展示していた昔の写真、

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静岡の日本教材新聞の表紙を飾っていたメーカーの昔の店舗の写真、

前回は木製戦車模型を展示していたが、その時一緒にこれらも展示していた、

これらの写真が静岡の模型業界の役員の方々にとっては、「おお~、懐かしい!!」とかなりの評判だったら

しい、

当時の静岡のメーカーのものを再度載せてみよう、

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これは渥美産業さんが創業なさった時の店舗、

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そして、その後昭和32年に店舗を新築なさった、

もう、それから60年経ってしまったが、そのまま今もこの店舗で営業なさっている、

なお、今展示している今井科学の懐かしのプラモデルは11月までの予定になっている。

カタパルト式の空母プラモ

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中国の空母にはカタパルトがなく、スキージャンプ式ということで世界の笑いものになっている、

プラモデルさえもカタパルト式なのに、中国にはその技術がないのでハリボテの空母で実戦では役立たずと笑

れている、

そのカタパルト式の空母のプラモといえば、シズキョーの「ミッドウェー」があった、

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「ミッドウェー」の記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69219642.html

ところが、最近のプラモにもカタパルト式の空母がある、

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まあ最近のプラモとは言っても数十年は経っているが、この日東科学の「空母フォレスタル」である、

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シリーズものとしてエンタープライズ等があった、

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何と言ってもモーターライズではなく、ゴム動力なのが笑ってしまう、まあ水中モーターも可能とはなっている、

潜水艦のプラモならまだなんとか走ることは可能だろうが、空母ではまともに走るなど考えられない、

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手の平に乗っかるサイズで金型の作りも見るからに悪そう、


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ただ、素晴らしい箇所が一か所だけある(笑)

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なんと、自動発射となっている、

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そう、巻いたゴムが緩んでくると、カタパルトの留め金が外れて飛行機が飛び出すという仕掛けである、

この仕掛けについては評価してもいいだろう。

アド街ック天国の放映で、

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今月2日に放映された東京テレビの「アド街ック天国」では例の秋東精工さんの紹介がされていた、

まあ、2、3分の紹介ではあったが、お決まりの日本初のプラモデルの金型職人のお方が創業なさった会社だ

ということで童友社のノーチラス号も紹介されていた、もちろん、伝説の金型職人であるという会長の柴田さん

も紹介されていた、まあ、僕は笑って観ていたが、

本当は、具体的に名前まで出して批判するのは好ましくはないが、この件についてはあえて今まで僕は名前

まであげていろいろと批判をしてきた、

不思議なのは、なぜ今まで誰も表立って異議を唱えてこなかったのだろうか、異議を唱えるどころか賛美さえ

してきた、

柴田さんのマルサンのノーチラス号の開発当時の証言には僕が今まで言ってきたように、数々の矛盾があ

る、ハッキリ言って、少しプラモデルに詳しい方であれば誰でもその矛盾には気が付いているはずである、

いや、矛盾というよりはその証言は明らかにデタラメであることは明白であった、

つまり、その証言は今の言葉で言うと、後付けの嘘の証言であった、捏造した証言であった、

まあ、テロ朝に例えるなら、慰安婦の捏造記事のようなものだろう、たった一人の嘘の証言をそのまま脚色し

記事にして日を貶めたようなものだろう、

もうシツコイ、と言われようが何度でもこの件については書かなければならない、

そんなに有名な金型職人の方であるならば、例えば同業者あたりでも知られていた存在だろう、

ところがである、

当時の関係者の数人のお方に聞いてみても皆柴田さんのことをご存じない、

この件についてはすでに記事に書いているが、もう少し突っ込んで書いてみよう、

マルサンの社長と亡くなるまで懇意にされて付き合っておられた〇〇〇〇工業さんにも聞いてみた、

「あのノーチラス号の金型を作られた有名な職人さんの柴田さんをご存じですよね」と、

「エッ、誰ですか、いえ、まったく知りませんでしたよ、聞いたことがないですね、」

「では、今のその柴田さんの秋東精工という金型会社はご存じですか」

「いえ、知りませんが」

もうお一人の当時の金型職人さんにも聞いてみたが、

「いえ、知りませんが」

そして、決定打というべきものが、

絶対にご存じのはずの同業者のお方にも聞いてみた、そう、100パーセント絶対に知っているはずのお方に、

「それでは、あの伝説の金型職人さんのことをお聞きしたいのですが、」

「エッ、誰のことですか」

「あの世界的に有名な金型職人の秋東精工の柴田さんのことですが、」

「いえ、知りません」

実はそう答えていただいたお方は、すでに記事にも書いているように、マルサンのことを聞いた時に、

「マルサンのことはマルサン物語に書いてありますから、それをお読みになればわかるはずです」

とお答えいただいたお方である、名前を出さない条件なのでそのお名前は出せない、

これらのことは、一体何を意味するのだろう、(笑)






プラモの新製品は何で知った、

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子供の頃、プラモデルのカタログがあることなど全然知らなかった、

だから、各メーカーから発売されるプラモを何で知ったのかというと、少年雑誌の広告で知ったのはもちろんの

こと、それらの付録の冊子の広告で知った、

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そう、毎月付録として付いていたこれらの冊子の裏表紙に載っている広告であった、

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このように、裏表紙には大体がプラモの広告が載っていた、これらの広告で各メーカーの新製品等を知った、

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これらの広告を見て自分の欲しいプラモを買うために模型店や文具店を駆け巡ったものであった。

23日、24日は休み、

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23日、24日は静岡行きのためブログは休みです。

静岡へ行ってきた、

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静岡へ車を飛ばして行ってきた、まあ、あちこちと行ってきた、車の連続運転もまだまだ大丈夫?

6、7時間の連続運転などヘッチャラ、運転免許証返納はまだ先の話だろう(笑)


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もちろん、「静岡ホビースクェア」にも、そう、今展示している今井科学のプラモデルを入れ替えて、次の展示の

計画を立ててきた、

なんだかんだと模型業界、メーカーのことを散々批判、悪口を言っているが、よ~く考えてみたら結局は静岡

の模型業界の発展、PRには多大な?貢献をしている、

これからも徹底的に模型業界の悪口を言い、徹底的に静岡の模型業界の発展、PRに貢献していこう(笑)

アッ、そうそう、我が「模型探偵団」は静岡の一部の勢力からは追放されかかっているが、それも今後の話の

ネタとしては面白いので、何か動きがあったらそのネタも公開するつもりである、

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それから、渥美産業さんの店舗の写真を撮ってきた、あいにくと休業日だったのでシャッターは降りたままであ

った、もちろんご覧のように、当時のままの建物である、まだ「ASK」のロゴマークも残っている、

それから、話を戻して、今の展示している今井科学は10月中には次の展示に入れ替える予定にしているが、

次に何を展示するかはまだヒ・ミ・ツ、  言えることはまだ知られていない静岡の模型業界の歴史を大々的?

にPRするためのもの、新たな静岡の模型の歴史のものを展示、PRの予定にしている、

徹底的に静岡の模型業界を批判し、徹底的に静岡の模型業界の発展とPRに貢献していくつもりにしている、

一見すると相反する行動のように見えるが、もっとわかりやすく言うと、静岡の模型業界の単なる太鼓持ちに

はならないということ、特定のメーカーの太鼓持ちにもならないし賛美もしない、アレは何とかならないものだろ

うか、アレは見ていて本当に見苦しく感じてしまう、

そう感じているのは僕だけだろうか。


日本初のSF模型キットでまだ見たことない、

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日本初の模型は、というのが好きなので今までいろいろな日本初の模型を調べてきた、

日本初のプラスチックモデル

日本初のSF宇宙戦車模型

日本初のロボット模型

日本初のSF模型

え~っと、まだ他にあったかもしれないが忘れてしまった、

この中でまだカタログでしか見たことないものに日本初のSF模型キットがある、

そう、すでに過去の記事でも紹介している「新戦艦高千穂」である、

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バリバリの左翼活動家からバリバリの軍事評論家に転身した「平田晋作」のSF軍事冒険小説の中に出てくる

「新戦艦高千穂」である、昭和11年に出版された、

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その「新戦艦高千穂」の模型は出版後すぐに発売された、小説に合わせて忠実に模型として再現されている、

もちろん、主砲は40センチ砲の4連装、船首には電気砕氷機を装備、

噂ではこれが後の「宇宙戦艦ヤマト」のモデルにもなったというが、その真偽は僕もわからない、

実はこの「新戦艦高千穂」の模型が今では幻の艦船模型となって僕も未だに見たこともない、

一体、箱絵はどのようなものだったのか気になるところである。
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