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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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パテではなく粘土で、

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くぼみや大きな穴を埋めたり盛って造形するのに最適な粘土がある、

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この「京ねんど」というもの、

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能書きは上記のとおり、

パテでは穴を埋めたり大きな隙間を埋めようと思っても凹んでしまう、これだと大丈夫、


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頭を作るにはこのように「京ねんど」を盛って形を整えたら乾くまで待つ、乾いて固くなるまで一日を要するが

固まったら今度はサンドペーパーで磨いて整えればよい、

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リベットがあるので、

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木工用ボンドでポチっ、

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ボンドが乾いたら色を塗って、   頭のねんどが固まったらサンドペーパーで磨いて色を塗ってみよう、

                                                       <続く>

京ねんどで、

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さて、模型メーカーのパテの営業妨害をするわけではないが(笑)、事実は事実なので「京ねんど」の効用につ

いて一言、

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この木製のリモコンボックスには窪みがある、これを真っ平にするには、

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普通の液状のパテで埋めてもこのように凹んでしまう、真っ平にするのは不可能、

まあポリパテという粘土状のものがあるが使ったことはないのでそのことは知らない、

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しかし、「京ねんど」で埋めると、このように凹まない真っ平になる、

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乾いたらサンドペーパーで磨いて色を塗ると、

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ほら、このとおり、埋めた箇所は剥がれない、色の付きがいい、

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ロボットの頭も「京ねんど」を盛って成形し乾いたらサンドペーパーで磨くとツルツルになる、

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色を塗るとご覧のとおり、

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今回のは少し太めに、    <続く>

渥美産業 木製ロボットの模造、その2

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渥美産業の木製ロボットには謎が残る、

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このカタログの完成品の画像では胸のデザインが少し異なっている、頭のてっぺんが平、手が針金みたいな

細いもの、胴体の角が斜めになりリベットがある、そして、腕が楕円形のもの、

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これはネットに出品されたもの、

箱絵はカタログの完成品とこの完成品のものをミックスしたもの、

実際はどうだったのか、もう今となってはわからない、


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胸のデザインがカタログの画像ではよくわからないので想像で作ってみた、

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アンテナには渥美産業の1/1000洋上模型のシンボルマークの旭日旗をペタッ、

そう、1/1000洋上模型の宣伝ロボットとして、

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実は耳の赤色のラッカーの手持ちがなかった、買いに行くのも面倒なので赤色のマジックで塗った(笑)

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この2作目のほうがオリジナルの体形に近いと思っている、身長もほぼ18センチとなった、

まだリモコンボックスは作っていないが1作目と一緒に歩かせてみた、


そうそう、今度は箱絵に近いものを作ってみようと思っているが、

それは、また気が向いた時にでもボチボチとやってみよう。

ヒットすればパクリ物が、

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プラモデルが世に現れる前は今で言う銀玉鉄砲で遊んでいたことは過去の記事でも書いたとおりである、

その元祖である初代のマジックコルトについても紹介している、

そして、そのマジックコルトをきっかけに銀玉鉄砲は全国的に爆発的に子供たちの間でヒットした、

このマジックコルトで遊んだ方は今では60歳代後半の方だろう、


ところで、ヒットすれば当然のことながらそのパクり物が出回るのは世のつれである、

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この中で本物のマジックコルトはどれかというと、左のものが本物、

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これがその本物のマジックコルト、昭和34年に発売された、

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これはそのパクり物、なんとその箱は本物の写真が、そう、この箱の中にそのパクり物が入っていた、

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本物と合わせても大きさはピッタリ、

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まさに本物を撮った写真である、

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その箱の中にこのパクリ物が、箱にはメーカー名の表示等はない、

これをみたら誰でも本物と思って購入するだろう、当時はこのようなものが売られていたことはまったく記憶に

はない、

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本物と違っている部分はこの銀玉を入れる箇所、本物は後部の扉を開けて弾を装填、パクり物は蓋をスライド

させて弾を装填する、試し撃ちしてみると本物がよく飛ぶ、

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もう一つのパクり物がこの青の透明プラのもの、もちろん、メーカー名もわからない、

しかし、僕はこのパクり物は結構気に入っている、

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何と言っても透き通って内部が見えるところがいい、そう、中の構造がよくわかる、

実は僕が言うまでもなく、プラモデルでも透明プラのものは凄く人気がある、

幻の透明プラと言えば、日本ホビーの最初の戦車プラモであるマンモス戦車「M41快速戦車」は透明プラの企

画があったらしい、そう、ある程度まとまって仕入れてくれた模型店にはその透明プラのM41快速戦車を宣伝

用として進呈する計画があったらしい、が、なかなか模型店にはその透明プラのM41戦車はこなかったという

話がある、実際にその透明プラのM41快速戦車が存在していたかどうかは不明である、

それと、噂によると今井科学のサンダーボーイロボットの試作品として透明プラのものが作られて、それをどな

たかが今でも所有されている?というが、その真偽のほどはわからない、

話を戻して、

ところで、そのマジックコルトが発売されたのが昭和34年、それより以前に僕が小学低学年の頃ピストル玩具

遊んでいたのが次のピストル玩具である、

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そう、プラスチック製のピストル玩具、銀玉鉄砲のマジックコルトが発売される前に遊んでいたもの、

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ん、ん、ん、東京のマルサンとなっている、

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マルサンの古いロゴマークが、

さて、あの伝説の金型職人のお方の証言によると、ノーチラス号を開発し始めた頃はまだプラスチックという素

材自体がまだ未知の世界だったと証言なさっている、プラスチック製のものはなかったと、となると、このピスト

ル玩具は一体何?(笑)、いろいろとボロは出てくる、嘘はいずれバレる、まあ、このようなことを今まで誰も指

摘してこなかったことも問題であるが。

ちなみに、国内ではプラスチック製の玩具は昭和25年頃にはボチボチと現れていたことは過去の記事でも紹

介しているとおりである。


ギアではなく、プーリーで、

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さて、渥美産業の木製ロボットの模造品も作り終えたが、もう一度よ~くカタログの写真を見てみると、

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偏心プーリー応用となっている、そう、ギアを使用していなかった、プーリーで動かしていた、

特殊ギア―ボックス付きではなく、偏心プーリーボックス付きとしたほうが正解だろう、

偏心プーリーとは、偏心?、僕は学がないので大体のことしかわからない、おそらく中心の軸からずれた、

まあ、そのようなことだろう、となると、はは~ん、大体その仕組みがわかった、

となると、今度はその偏心プーリーで動くものを、そう、外見だけでなく動力装置までオリジナルに忠実に模造

したものを作りたくなってしまう、

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言うまでもなく、プーリーとは木製戦車に使われている車輪、

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この木製プーリーは手持ちがあるが、これは合わない、プーリーも自作するしかないだろう、

プーリーを回転させる動力伝達方式といえば、そう、輪ゴムしかないだろう、

モーターの回転を輪ゴムを介してプーリーを回転させる、そして足のロッドを上下に動かさなければならない、

モーターの回転は速い、それを減速させて足のロッドを上下させる、ギアではなく輪ゴムのベルトにそのような

力はあるのか、まあ渥美産業が当時そのロボットを発売しているのでちゃんと動いたのだろう、

その木製偏心プーリーから自作して3作目を作ってみよう、

これは少し手間と時間がかかってしまうだろう、     <続く>

偏心プーリーボックスを作ってみた、

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昨日、偏心プーリーボックスなるものを作ってみた、木製模型で「偏心プーリー」を利用した模型などみたことも

ない、模型におけるその偏心プーリーとはどんなものなのか、まあ、このことだろうと勝手に思い込んで作って

みた、そう、あるものを参考にして作ってみた、

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まあ、昨日は朝から夜中まで一日がかりでこの工作を行った、加工しやすいようにできるだけ柔らかいバルサ

材を利用した、今回はちゃんと作るのではなく、プーリーだけで動くのかどうかを確認するために行ったのでそ

れが確認できればいい、とにかく僕の場合は手作業の工作仕上げである、バルサ材の板に円を描きその線に

沿って真四角に切り、あとはヤスリでゴシゴシと角をとり円の形にして、最後はサンドペーパーで磨くといった

アナログ手法である、


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おそらく、模型の場合はこれを「偏心プーリー」と言っているのではないだろうか、プーリーの中心の軸からず

れた箇所にシャフトを打ち込んでロボットの場合は足のロッドを上下に動かす、

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しかし、ギアではなくただのプーリーと輪ゴムで動くのだろうか、仮にプーリーが回転したとしてもそれは凄く速

い回転ではないだろうか、足のロッドをを地面に押し付けて体を持ち上げるパワーはあるのだろうか、

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まずモーターで外のプーリーを回転させ、そのプーリーがさらにボックス内で偏心プーリーを回転させる、

ただそれだけのこと、

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中心の軸からずれた偏心プーリーのシャフトが回転するので足のロッドが上下に動くということ、

偏心プーリーボックスの動いている様子をどうぞ、


意外にもロボットの動きに合わせてプーリーの回転が減速されている、これならノッシ、ノッシ、と歩くだろう、

パワーもギアボックスのものとは比べものにならないが、これなら体重を軽くしたロボットならちゃんと歩くこと

ができる、ただ、問題がある、ゴムベルトの交換ができないということ、

まあ、1年ももたないだろう、外側のプーリーの輪ゴムは交換できてもボックス内の交換は不可能、

ボックスを壊さないと不可能、いろいろと考えてみたがいい案は出てこない、

なので、今回はこれでロボットを作るのはとりやめ、

まあ今回はプーリーと輪ゴムでもロボットを歩かせることはできるということだけでもわかったのでいいだろう。

工作でエスダインを使ったことがあるか、

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そういえば昔、セメダインではなく「エスダイン」という接着剤があった、僕は今まで1度も使ったことはない、

まあ、ほとんどが工作ではセメダインであった、

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たとえ昔使ったことがない接着剤であっても、このような古い接着剤を見つけるとつい手を出してしまう、

そう、レトロな箱の誘惑に負けて欲しくなってしまう、それと模型関連の資料として欲しくなってくる、

まあこのような物に興味があるのは僕だけだろう、

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左の箱のものが1個10円、右が5円、

このようなものだけでなく、例えばお菓子の包装紙等、いろんな包装紙なども昔のものは色が鮮やかで懐かし

さを感じてしまう、

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10円のものにはキャップが付いているが5円のものにはもともとキャップがない、

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もちろん、中身が出るわけない、ハサミで切ってみると中身はカチカチに固まっている、

そういえば最近のエスダインがあったな~、

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たしかこの中にあったはず、

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あった、最近のエスダインが、最近と言っても何十年も前のもの、

最近は売ってないのか、ネットで検索してみるとエスダインという商品名は出てくるがこのようなチューブ入り

の接着剤はもう売ってないのだろうか、

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チューブに穴を開けて搾り出してみたらニョキと少しだけ出てきた、もちろん接着剤の役目ははたせない。

3作目を工作中、

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もうすっかり渥美産業の木製ロボットにハマってしまったので、只今3作目を工作中、

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モーターの手持ちがないので買ってこなくては、

今回はギアボックスに偏心プーリーを利用する、そう、足のロッドを上下に動かすのは普通はクランクシャフト

で動かすが、今回は偏心プーリーで行う、プーリーの中心軸からずれた箇所にシャフトを打ち込んだ、

その円周運動により足のロッドを上下に動かす、ということ、

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胸のメーターは手書きではなく、ちょっと小細工を施してギミックを仕込んだ、   <続く>

一応念のために

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すでにご存じの方もいらっしゃるかとは思うが一応念のために、

昨日落札されたネットオークションで渥美産業の1/1000 連合艦隊シリーズ 比叡 の件で、

その現物は一昨年静岡のイベントで我が模型探偵団が復刻してファンの方にくじ引きで進呈したもの、

そう、渥美産業の1/1000 横須賀軍港ジオラマを展示したイベントの、

まあ人様に進呈したもので今となっては当方に所有権等はないので、あとはそれを売ろうがどうしようが文句

を言うことはできない、好きにしてもらったらいい、

ただ当方として問題なのは、その「比叡」は渥美産業さんに趣旨を説明し、復刻権の承認を得たものであり市

場に流通するようなことは考えていなかった、渥美産業さんとの約束にも反することになった、

どなたが落札されたかわからないが、その「比叡」はそのようなものなので念のためにお知らせしておきたい。

3作目を工作中、

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昨日はモーターを買いに神戸まで自転車で行ってきた、いつもの通り往復40キロちょっとで4時間ほど、

9時に家を出て11時過ぎにハーバーランドで「忍びの国」の映画を観て、三宮のジョーシン電気でモーターと

塗料を買って、家に帰ったらすぐにロボット工作にとりかかった、

まだまだ自転車では行けそうである、自転車で脚力とバランス感覚?を鍛え、工作で手先と頭を鍛えているの

で,まあ自分ではボケることはないと勝手に思い込んでいるが、これでボケたらどうしよう、

ところで昨日までの進捗状況は、

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動力部分は完了、偏心プーリーの回転により足のロッドを上下に動かし、それと同時に腕も振らせる、

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ちょっと今回はギミックを小細工してメーター内にも豆球を仕込んで点滅させている、

点灯ではなく点滅である、

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もちろん、リベットは木工用ボンドを爪楊枝の先っちょに付けてポチっ、

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ボンドが乾いたら色を塗ればこのようになる、今回は錆びて古びた感じにしよう、  <続く>

3作目を工作中、

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昨日までの進捗状況はご覧のとおり、

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古びたポンコツロボットの感じにするために錆を付けている、そう、錆びた鉄くぎをサンドペーパーで削り取りそ

の粉をくっ付けた(笑)、胸のメーターは透明にして中のギア等が見えるように、そして豆球が点滅するように

ギミックを仕込んだ、リベットは木工用ボンドを爪楊枝の先っちょに付けてポチッ、と付けた、

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先日、モーターと塗料を買いに行ったのに赤色のカラーを買うのを忘れた、仕方ないので赤のマジックを塗っ

てみた(笑)、やっぱりダメ、

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頭はボール紙を丸めて頭頂部は「京ねんど」を盛って造形、乾いたらサンドペーパーで磨いて成形する、

                                                  <続く>

本体はあとアンテナを、

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本体はあと背中のアンテナを残すのみとなった、

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そう、この背中にアンテナを付ける、

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顔も錆びの粉を付けて汚す、

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それから、赤のカラーをまだ買ってない、なので赤のマジックで塗る、木製模型はマジックでも塗れるからい

い、プラモデルだと絶対に塗れない、カラーを買ってきてから塗ればいい、

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今回の特徴は胸のメーター内を透明にして豆球を点滅させたこと、そう、目玉は点灯、メーターは点滅する、

そうそう、リモコンボックスのスイッチは2個にしよう、1個が歩かせるだけ、もう1個が目玉とメーター豆球用と

別々に取り付けよう、     <続く>

渥美産業 木製ロボットの模造、3作目

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渥美産業の木製ロボット模型模造品の3作目が完成した、

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完成したとは言っても、まだリモコンボックスはまだ、板切れがなくなったのでまたホームセンターで買ってこな

くてはいけない、スイッチは2個にした、右のスイッチが歩かせるスイッチで左が目玉とメーター内の豆球のス

イッチとなっている、

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韓国がすぐに大騒ぎする旭日旗をペタッ、韓国では旭日旗を掲げた自衛艦は入港を拒否するらしい、

ところが、朝日新聞の旭日旗の社旗は好きらしい、韓国という国はよくわからない、わけのわからない国だ、

まあ、朝日新聞もわけのわからない新聞なので似たもの同士といったところだろう、

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これぞ、渥美産業木製ロボット模型3兄弟、これは間違いなく、日本初いや世界初の木製模造模型ロボットで

ある(笑)


君は応募したことがあるか、

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昔は映画の公開にあたってその記念として展覧会や懸賞の応募募集等がよくあった、


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これは以前にも紹介している「今日もわれ大空にあり」の展覧会の募集ポスター、

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そしてこれは、「頭上の脅威」の公開にあたっての緑商会の試写会招待ポスター、

「頭上の脅威」はたしか昭和40年の公開、う~ん、僕は知らない、この頃はプラモデルからは卒業していた、

さて、僕のブログの読者の方々でこのような模型メーカーの主催等による展覧会や試写会等に応募された方

はいらっしゃるのだろうか。

整理整頓は嫌い、ごちゃごちゃと、

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ホームセンターで板切れを買ってきたので早速リモコンボックスを作ってみた、

これで全て完成とおもいきや、

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蝶番を買うのを忘れてしまった、あれほど買わなくてはと頭の中では叩き込んでいたが、いざ買い物をする段

階ではすっかり頭の中からは消えていた、もうこれからはメモに書いてそれを持って行かなくてはならない、

左のスイッチが目玉とメーターの豆球、右が歩かせるスイッチとなっている、

まあ板切れを部屋の中で切るものだから汗だくと相当な腕の力が必要なので疲れてしまう、

それと、真っすぐにノコで切るのが難しい、どうしても線引きから横にずれてしまう、このリモコンボックスのパッ

ト見は物凄く?綺麗に板切れが切断されて綺麗に出来上がっているが、実は表面には厚さ1ミリのバルサ材

を貼ってある、だから出来上がりの見栄えが断然よくなっている、

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厚いので部屋の中での涼しさ対策?として「小便小僧」でも動かしてみたが、実はこれが非常にうるさい、


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モーターの音がやかましい、

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この繋ぎ手の部分にゴムを貼ってみたがまったく効果なし、

チョロチョロと放水するものの、そのモーター音で余計に暑くなってしまう、

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ところで、いろいろと作るのはいいけれど、毎度のことながらその保管スペースがなくなりちゃんと整理するど

ころではない、狭い部屋の一部はご覧のとおり、あれはどこにあったかなと今まではちゃんと覚えていたが最

近はもう探すのが大変、ご存じのとおり実のところを言うと、僕はこのような飾り方?が好みなのである、

ちゃんと整理された飾り方よりも雑然とゴチャゴチャとされてたほうが落ち着く、

仕事でもそれが言える、まあ僕の勝手な考えでもあるがちゃんと整理された仕事机はなにか落ち着かない、

書類等が散らばっているほうが僕の場合は落ち着いてしまう、だらしがない奴と言われればそれまでだが、

まあ、人それぞれということだろう。

昨日は淡路島へ、

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このところ3か月ほど淡路島に行ってなかったので昨日行ってきた、

もちろん、自転車で行くに決まっている、

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まず大蔵海岸を通って、日曜日なので家族連れの釣り客でにぎわっている、

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大蔵海岸のここはニチモのキングシャークで遊んだところ、波がやってこないので船で遊ぶには最適となって

いる、まあ、海水なので遊んだ後はよ~く水で洗浄しないとベトベトになって錆びてしまう、

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ここは、明石市役所の裏のところ、ここを通って明石港へ向かう、自宅から10分ちょっと、

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明石港の船着き場から乗った高速船は小さ目のやつ、

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定員65名と小さい船、

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小さい船なので自転車もぎゅうぎゅう詰め、

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あのあたりは「半沢直樹」のロケ現場、

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あの灯台のあたりで書類を焼いたシーンが撮られた、

淡路島の岩屋港までは13分、

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そして、目的地はあのテッペンの海上保安庁の監視所、そう、自転車で、これまで僕は淡路島の2つの山を征

服?してきた、それについては過去の記事でも書いたとおりである、

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あの観覧車は淡路サービスエリアの観覧車、もう何度も自転車では行っている、

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淡路島ではやたらと金融機関の看板が目立つ、JA,、信組、信金、地銀、都銀、合わせたら一体いくつあるの

か僕は数えたことない、それくらい多い、なんといっても三井銀行と太陽神戸が合併した当時は都銀だけでも

支店が5つもあった、そう旧神戸銀の支店であった、もちろんそれらの支店は今でも地銀に売却されて残り、

都銀の支店は洲本支店の1つだけになってしまった、淡路島の人口はおよそ15万人である、

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ここは岩屋港、

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あの小さい高速船が乗ってきた船、

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岩屋港から岩屋商店街を通る、

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商店街というものの、こんな感じ、人通りはほとんどない、昔は賑わったことだろう、

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商店街を通過してまずは「道の駅あわじ」へ、

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ここが、「道の駅あわじ」、

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ここでは、「シラス丼」が美味いとの評判だが先を急いでいるので食べない、

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これは灯台ではない、

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そう、記念碑、

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「貴船神社遺跡」、 淡路島には大昔の遺跡等が数多く存在している、最近は日本初の珍しい銅鐸も発見され

た、「国生み神話」によると、実は淡路島は日本で最初にできた島らしい、古事記、日本書紀にもそのことが書

かれていることはたしか学校でも習ったような記憶があるが、

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あの左側の立派な家は実は「野島断層」の割れ目の上に建っている、おそらく阪神淡路大震災のあとに建て

られたのだろう、右の家は「震災記念館」の中で今でもそのまま保存されているものである、その家の敷地の

庭にはずれた断層の跡が今でも見ることができる、

それにしても、大地震を起こした断層の割れ目の真上に家を建てるとは、と思いがちではあるが、逆に考える

と、素人である僕が考えるにはそのほうがこの先安全なのかもしれない、そう、何百年、あるいは何千年に1

回くらいの周期でずれる断層が一旦ずれたら今度ずれるのはまた何百年先、それとも何千年先?、

まあそのように素人の僕は考えるのだが、ひょっとしたら、その家を建てられた方は僕と同じ考えなのかもしれ

ない、そもそもその断層ともいうべきものが日本には一体どれくらいあるのかも不明である、地図にあるのは

現在発見されているものだけなので発見されていないものは、それこそ無数にあるに違いない、

ということは、ほとんどの建築物は動く大地の上に建っていることになる、つまりいちいち気にしていたら暮らし

ていけないということだろう、大体が学者のいうこと自体がアテにはならない、それは今までの事例をみれば

明らかであろう、

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この屋根の下に断層が保存されている、

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その「震災記念館」の入り口、

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左の赤いメモリアルハウスというのがさきほどの右の家、

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震災記念館の後は来た道を戻る、淡路島の海は綺麗、

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そして、これが最終目的地の「大阪湾海上交通センター」への道、つまり海上保安庁の監視所である、

ところがである、まあ自転車を押していけば登れるだろうとたかをくくっていた、なんといっても今までも淡路島

の山を自転車で2つも征服?してきた実績があるからである、

ところが上り坂が半端でない、今までの急坂とは比べものにならない、坂の写真を撮ろうにも片手でカメラ、片

手で自転車を支えることができないほどの急坂である、両手でしっかりと支えないと自転車がズルズルと下が

る、しゃがみこんで休むちょっとした平な場所がない、だから両手で自転車を支えたままの立ったままで休むこ

とになる、それと僕の汗の匂いを嗅いで蚊が寄ってくる、それでもとハアハア言いながら登っていく、

もうこのままでは心臓が破裂する、と思い6合目当たりで登るのを断念、

今度は超下り坂でブレーキが効きにくくなる、やっとの思いで下ってきた、一応道は舗装され車も通れるように

なっているので今度は車で登ってみようとは考えている、実はこの監視所は定期的に一般公開もされているら

しいので見学に来てみたいと思っている、

その後は再び岩屋港へ、

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帰りの船は大きい双胴船、船上のオープンデッキのほうが涼しくて快適なのに誰も登ってこない、

皆船内に閉じこもっている、オープンデッキは僕の独り占めとなった、

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あれが、海上保安庁の監視所、あらためてここから見ると結構高い、自転車で行くこと自体が無謀だったの

か(笑)

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まあそのように自分を慰めながら明石港へ向かった。



一旦作られた模型の歴史というものは、

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まったく知らなかったが、今日は「東京の日」らしい、ネットで今知った、

それで暇なものだから、ネットをいろいろとググっていたら「東京タワー」のことで面白い記事があった、

実は、東京タワーの名称を一般公募で募集したところ一番多かったのが「昭和塔」という名称だったらしい、

しかし、徳川無声さんのそのままの名称がいいのではないかという提案が採り入れられて「東京タワー」に決

まったということらしい、(アッ、徳川無声さんといわれても今の若い方々は知らないか)

ところで、その「東京タワー」の模型のことで模型業界の悪口を再び言っておこう、

まあ、何度も言うように人様の悪口を言うのは実に楽しい(笑)、自分のことは棚に上げて言うものだからさら

に楽しい、東京タワーの模型を最初に発売したのは今井商店であることは過去の記事でも書いたとおりであ

る、、そこで、静岡の模型業界の模型歴史年表にはその今井商店の東京タワーの発売は昭和32年となって

いる、実はこれは間違いで発売は昭和33年の10月なのである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70718897.html

まあ、これくらいの間違いはどうってことない、たかだか1年の話なので気づいた時に訂正したらいいことであ

る、

ところがである、例の今井科学の番組の件でその間違いがそのまま年表に記載され放映された、

そしてあの模型業界の重鎮のお方は東京タワーが完成する前の昭和32年に今井商店が発売したと自慢気

に話された、東京タワーに詳しい方であればすぐにそれはおかしい、間違いだと気が付くが、

実は、僕はその間違いに気が付いていたのでそれを指摘していた、収録の数日前に、

大体が完成する1年前に模型として発売できるわけがない、そもそも東京タワーの設計ができあがったのが

昭和32年の7月である、設計者しか知らないはずのものがなんですぐに模型として発売できるのか、

そもそも、「東京タワー」と名称が決まったのが竣工前の10月のこと、

もう誰がみてもおかしい、間違いに決まっている、

しかも、ちゃんと、日本模型新聞にも昭和33年10月発売と広告が載っている、

その証拠資料も揃えて間違いを指摘した、模型業界に確認しますとのことだったので訂正されると思ってい

た、しかし、それは無視された、模型業界の資料では昭和32年の発売となっているからと、

おそらく、重鎮の方の言い分が通ったのだろうと、僕はこれを老害だと推測している、

再び、ところがである、

すでに記事にも書いているように「マルサンが日本初の ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」という年表も当然のことながら記

載されていたので、それは嘘で捏造されたものです、と指摘したところ、なんと即そのことは年表から削除され

て放映されたのである、僕の方からは何も削除せよ、なんては言ってない、ただ指摘しただけのこと、

なんだか、模型業界のことはよくわからない、不可解な面が一杯である。








西尾理化学機械製作所

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カタログ、チラシ類を整理していたら次のチラシが出てきたので紹介しておこう、

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この学校教材用の教材モーターのチラシ、

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メーカー名は西尾理化学機械製作所、となっている、

昔の古い鉄道模型マニアの方ならよくご存じのことだろう、

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この名簿の日本プラスチックの濱田貞雄さんの右横に記載されている「西尾音吉」さん、

そう、鉄道模型制作の達人だった方である、古くはあの「朝日科学玩具」が出版していた「科学と模型」に鉄道

模型の記事を書かれていた方である、その西尾音吉さんが創業された会社である、

濱田貞雄さんと同じく当時の布施市(現東大阪)であった、すでに紹介しているとおり、とにかく東大阪は戦前

から町工場が多く存在し、玩具メーカー、化学メーカー、工作機械メーカー等が多数存在し、空襲の被害もほ

とんどなかった、濱田貞雄さんがプラスチックモデルを開発製造するには充分な環境が揃っていた、

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ところで、この2極ベビーモーターは、もちろん持っている、

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コレがその2極ベビーモーター、

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もちろん、設計者は西尾音吉さんとなっている、

ところで、西尾理化学機械製作所はその後どうなったのだろう、調べてみたい気もしているが。

ゴムキャタピラのメーカーを

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実は昨日、ゴムキャタピラのメーカーを突き止めた、

そう、当時の今井科学、アオシマ、マルイ、ハセガワ、タミヤ等に納品していたメーカーを、

日本模型新聞である調べものをしていて、次の広告を見かけたものだから、ひょっとしたらと思い電話を架け

てみたのである、あいにくと留守番電話になっていたので何も吹き込まずそのまま電話を切った、そう、再度

電話しようと思ったので、

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                              (昭和41年6月13日 日本模型新聞 ジートッププレス監修済み)

もちろん今はゴムキャタピラは製造されていないだろうが、当時はそのゴムキャタピラの注文があったのかどう

などを知りたかったので架けてみたのである、(架けたのは田畑ゴムではなく上の画像の会社、田畑ゴム㈱

は現在は大きい立派な会社に成長し水中メガネ等でも有名、㈱タバタと検索するとよい)

ところが、わざわざ先方から電話がかかってきた、「電話があったようですが、何かご用でしたか」と、

エッ、まさかわざわざ電話がかかってくるとは思っていなかった、外出先から架けているとのことであった、

「こちらからまたかけ直さなければいけませんのに、わざわざお電話いただいて大変申し訳ございません」

「実は、私は昔の模型、プラモデルの歴史等を趣味で研究している者で、たまたま当時の模型新聞に広告が

載っていましたので ・ ・ ・ ・ ・ 云々  」 と、切り出して聞いてみた、

すると、今井科学の全盛期のサンダーバードのプラモデルのこと、倒産のこと、社長の自殺のこと、

その他、いろいろな話がザクザクと、まあ、当時のプラモデル業界のことに詳しいこと、

そう、当時のプラモデル模型メーカーからゴムキャタピラ等を受注していたとのことであった、

30年くらい前に廃業され、工場はまだそのまま放置してあると、

先方が外出先からだったので、東京へ帰られたらまたこちらから電話を架けていろいろとお聞きしたいことを

伝えて電話を切らせていただいた、

また数日後に架けていろいろとお聞きしたいと思っている、

おそらく今頃になって、当時のゴムキャタピラの問い合わせの電話がかかってくるなんて、と驚かれたことだろ

う。




ベビートラックの元ネタ発見

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タミヤ模型の窮地を救ったベビーレーサー、ベビートラックについては過去の記事にも書いたとおりで、そのプ

ラモの個別のことについては「ぷらもった」さんのブログでも詳しく書いてある、https://blogs.yahoo.co.jp/winkplamotta2011/folder/522992.html

ところで、そのベビーレーサー、ベビートラックの金型を作った日本プラスチックの濱田さんは何かのモデルを

参考にしたのだろうか、

今回、そのベビートラックの元ネタとなったモデルを「模型探偵団」の東京支部が発見した、これも日本初、

いや世界初の発見だろう(笑)  もし、濱田さんがご存命ならば、「おお~、よくぞ気が付いた、よくぞ発見して

くれた」、と、褒めてくれたに違いない、まあ、こんなことをやるので素人の僕らは嫌われる要因にもなっている

がそれはお門違いというものだろう、

さてさて、それが次の玩具である、

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これがベビートラックの元ネタとなった玩具である、セブンアップのボトルカー、

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フリクションで転がすようになっている、

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ベビートラックと比較してみよう、大きさはピッタリ、

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ボディーの形状もピッタリ、

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内部もピッタリ、

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ピッタリ、

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さてさて、これらのベビートラックの元ネタとなったその玩具の正体は、

日本で初めてその正体を明かすことになる、その正体についてはベビーレーサー、ベビートラックに詳しい

「ぷらもった」さんのブログで明かしていただくのでそれまでお待ちを。
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