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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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昭和40年代初頭はトランシーバーが、

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過去の記事で「昭和40年代初頭はトランシーバーが流行って」という記事でhttps://blogs.yahoo.co.jp/akasiko

gorou/70229316.html 、今回はコグレ模型のトランシーバーである、


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箱も今井科学のものとほぼ同じ、この頃は模型メーカーに限らず玩具メーカー等も多くのトランシーバーを発

売していた、そう、この頃はトランシーバーなるものが非常に流行ったものであった、

今ならば携帯電話があるものの、当時はそのようなものはなく近場の連絡手段や、僕らとしてはこのようなも

ので遊ぶということは一つのステータス的なものであった、

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コグレ模型はこの頃、2種類のトランシーバーを発売していたらしくこれはその「ランデブー」というもの、

当時の価格は4,800円、今の価格に換算すると5万円前後ということだろう、

当時、僕もこのようなトランシーバーで遊んでいる仲間達を見かけたことはない、

はたして、いかほどの売れ行きを示したのだろうか、

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電池を入れて試してみたがザーッという雑音のみ、僕はこのようなものにはめっぽう弱いのでこれ以上イジル

ことはできない。

静岡の電話帳を、

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これまでも言ってきたように、日本プラスチックの追跡調査は電話帳がなければ成り立たなかった、

そう、過去の存在を確認するには電話帳は非常に重要であった、


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ところで、今まで静岡の電話帳は持ってなかったが、今回静岡地区の電話帳を入手することができた、

これで静岡地区の模型業界のことはある程度までは調査することが可能になった、

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例えば、この「日本教材新聞」はもう今となっては幻の?業界紙となってしまった、同じ業界紙でも日本模型新

聞は閲覧したければ国会図書館へ行けば閲覧できる、しかし、この日本教材新聞はほとんど現存はしていな

い、他には見たこともなければ持っているという情報も聞いたことがない、

しかも、この日本教材新聞に関してはほとんど情報がない、はたしていつ頃まで発行されていたのかもさえ不

明である、模型の歴史を研究調査するうえでは日本模型新聞と並んで重要な業界紙である、

さて、日本教材新聞はいつ頃まで発行されていたのだろうか、昭和40年代のものは見たこともない、


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これは、昭和40年発行のもの、これで探してみると「日本教材新聞社」というのは載ってない、

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これは、日本教材新聞社が発行した業者名簿、

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電話番号は2-4775

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これと同じ住所、同じ電話番号で探してみると、山本〇〇さんになっている、

そう、日本教材新聞社ではなく、個人名になっている、この山本〇〇さんは日本教材新聞社の社長名ではなく

実は社長は山本△△さんである、おそらく〇〇さんはご家族の方だろう、

つまり、日本教材新聞社は昭和40年には存在していなかった、昭和39年までには廃業なさっていたというこ

とだろう、

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これは、昭和45年のもの、よ~く見ると、大州模型㈲、なるほど、〇〇産業は昭和45年には会社名を変更し

ていたのか、

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これは昭和42年のもの、う~ん、この頃はまだ〇〇産業、

そう、昭和43,4年頃に会社名が変更されていた、何のことかおわかりかな、

まあ、まさに電話帳は僕にとっては欠かせない模型グッズなのである。

マーチング 戦艦大和

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これは、トミーの電動玩具の「マーチング 戦艦大和」、軍艦マーチの曲が流れて走るらしい、

動かないのでいつものように、分解してみることに、


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トーキング装置を取り外してみる、

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ん、ん、ん、これではスクリューのシャフトの穴から浸水してしまう、そう、グリース溜まりがない、


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この説明文を読んでいただこう、

実は当初からその浸水は想定してあるから笑ってしまう、浸水したら水を抜くようにと、

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このトーキング装置を覗いてみると、おお~、アレと一緒、

そのアレとは、そう、緑商会の「トーキング ビクトリー」である、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71386687.html

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トーキング装置を分解してみる、

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レコード盤をモーターのシャフトからベルトで回す、

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モーターも固まっていたので潤滑剤を吹き付けたりして復活させる、

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プレーヤーの針がレコード盤の位置にちゃんと乗っかるように修正する、   <続く>

マーチング 戦艦大和

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このレコードの溝には軍艦マーチとあの音が刻まれている、

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モーターのシャフトにレコード盤のベルトを架けて、

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蓋をして、

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スクリューシャフトの穴にポマードを詰めて、


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トーキング装置をネジ止めして、配線完了、

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甲板をネジ止め、単1電池1本を使用、


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これで完了、

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さあ、軍艦マーチを演奏しながら浴槽内に浮かべてみよう、


まあ、ほとんど進まない、電池1本なので、試しに電池2本でやってみるとスクリューは勢いよく回るが軍艦マ

ーチも超速い曲となってしまう、

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スクリューシャフトの穴の浸水が気になったが、確認すると浸水はまったくない、

ポマードの効力は絶大?!!

「ジョニーセブン OMA」をセットで、

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テレビで「コンバット」の放映されていた頃、僕が欲しかったのが過去の記事でも紹介しているようにアメリカの

マテル社のトミーガンであった、そう、サンダース軍曹が使用していた短機関銃であった、

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当時はアメリカ製という舶来物に憧れていた、

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このトミーガンの記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70045538.html

そして、このトミーガンに数年遅れて発売されたのがトッパートイズ社の「ジョニーセブンOMA」であったことも

過去に記事にて紹介した、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70552567.html

しかし、その「ジョニーセブンOMA」は当時僕はその存在を知らなかった、なぜなら日本には輸入されていなか

ったからである、

今回、その「ジョニーセブンOMA」をセットで揃えることができた、

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これで、セットである、

僕らが50円の銀玉鉄砲で遊んでいた頃、アメリカの子供たちはこのセットで遊んでいた、

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これは、「コンバットホン セット」、


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これが今回揃えた「マイクロヘルメットホン セット」である、

なんだか、ガンダムのザクの頭に似ている、ひょっとしたらこれを参考にしたのかも、

試しにかぶってみたが入らない、やっぱり子供向き、


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毎度のことながら、僕は英語が読めない、ネットの翻訳機能を使えばいいがそれも面倒、

次はアメリカでの当時のテレビCM,


透視立体映画

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ポスター類を整理していたら、昔の古い映画ポスターで面白い?ものが出てきた、

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透視立体映画パラダイスとなっている、

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このメガネでヌード美人をお楽しみ下さい、となっている、今流行りの3D映画を観る時のメガネのようなものだ

ろう、まあ、飛び出すのはいいとして、なんと服を着ている美人がメガネをかけるとヌードが飛び出して見える

らしい、エッ、一体どのような仕組みになっているのだろう、

昭和37年の公開で成人映画だったらしい、もちろん僕は当時中学1年生なので観たことない、そのような映

画が公開されていたことも知らない、当時この映画を観た方で一番若い方は今は75歳、

「この成人映画観たよ」と言う方はまだまだいらっしゃるだろう、どのような映画だったのか聞きたいものだ、

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ワーナーブラザーズ映画配給となっている、

ネットで検索したら、http://eiga.com/extra/oguchi/7/3/
             http://cinema.co.jp/title/detail?id=7461

それからついでに、ロッキードF104Jジェット戦闘機を舞台にした当時の映画のポスターをもう一つ、


今回は、「ジェットF104脱出せよ」、

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昭和43年に公開された映画で残念ながら僕は観たことない、

まあ、懐かしい俳優さんたちが出演している。

ITC社の動く戦車もディスプレイモデルに、

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アメリカのITC社のM41ベッツィ戦車をコピーしたのが日本ホビーの「M41快速戦車」であったことは過去の記

事でも紹介したとおりであった、


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そのアメリカのベッツィ戦車が発売されたのが昭和36年、そしてそれをコピーした日本ホビーのこのM41快速

戦車が発売されたのが昭和37年の秋、なぜ秋として何月と言わないのか、資料等では9月発売とされている

が実は発売は少し遅れたらしい、だから9月というのは正確ではない、僕も正確にはいつとは言えないがおそ

らく10月中には発売されたのではないだろうか、まあそんな細かいことは今となってはどうでもいい、

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ITC社のものとの違いは過去の記事に書いているとおりである、基本的にはほとんど同じ、

ただ砲弾発射のかわりに豆球がチカチカと光るだけの違いである、

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そのITC社のベッツィタンクも昭和38年にはこの箱のようにディスプレイモデルとなってしまった、

まあ、動く戦車プラモの宿命?として最終的には動かないプラモデルへと変身してしまう、

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そして、そのITC社の金型はグレンコモデルへと流され、この箱のように発売された、

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ITC社のものもちゃんと動かすのは難しい、何と言っても自動砲弾発射させるのが非常に難しい、

だから、日本ホビーはその自動砲弾発射のギミックを廃止して代わりに豆球をチカチカとさせたのだろう、

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ジャンクものを修復する際、実はこの5個の転輪には2個の日本ホビーの転輪を使用している、

ほとんど見分けはつかない、僕が今見てもさてどれだったかわからないほどである、

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もちろん、この日本ホビーのものもちゃんと動かすのは難しい、

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過去の記事にも書いているように、このギアの部分、そう、シャフトに軸受けがないので噛み合った際にシャフ

トが浮き上がってしまう、まあ、前進の場合はシャフトは下方に押し下げるから支柱によってかろうじて支えら

れる形になるので、いろいろと調整すれば走るようにはなる、

それとこのクラウンギアが金属製ではない、プラ製なので、まあプラと樹脂を混ぜたような素材なので欠ける

恐れがある、

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案の定、銀メッキのものを組み立てる際にそのギアが欠けてしまった、

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まあ、その代用となるこの金属製のクラウンギアを探すのに苦労したこと、

このギアが見つからなかったら、動かすことはできなかった、

ただ、この日本ホビーのM41戦車の走りはその動き、スピードともに僕の好みのものとなっている。



肥後守 ボンナイフ

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今の日常ではほとんど見かけなくなった「肥後守」、

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これは昔の肥後守であるが、今でも製造販売されている、まあしかし、これを使っている人はほとんど見かけ

ない、僕らの頃は、これをポケットに入れて学校に行き鉛筆等を削ったり、山へ行き竹や木を削ったり、工作に

も使用していた、僕も今ではプラモデルを作る際にはこの肥後守とカッターナイフを使い分けている、

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聞くところによると、今でもどこかの学校ではこの肥後守を配布して鉛筆を削らせているという、


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このようなノコギリが付いているのが人気だった、

ただ、今では「銃刀法」というややこしい法律があるので気を付けないといけないという、特に刃渡り6センチを

超えるものは要注意だという、最近のニュースでは普通の人が職務質問を受けカッターナイフを持っていたの

で刃を計ると6センチを超えていたので逮捕されたが、その後署内で改めて計ったら6センチを下回っていた、

逮捕時の刃渡りの計測方法を間違っていたのですぐに釈放された、という記事があった、

まあ、ネットで検索するとカッターナイフを持ち歩くと逮捕されるのかとか、いろいろと書き込みがある、

正当な理由がなく携帯したら、とあるが、極端に言うと早い話が現場での警察官の判断によるということだろ

う、あと、警察官のノルマの検挙件数のこともあるのかもしれない、

要は、刃物を持ち歩く際はカッターナイフであれ、肥後守であれ、6センチを超えるものは充分に気を付けない

といけないということだろう、ちゃんと所持している理由を説明できること、それから人相違反の方は気を付け

ないと(笑)、そう、職務質問のターゲットになってしまうので、まあ、僕の場合は大丈夫だろう(笑)、もちろん、

今まで職務質問など1度も受けたことはない、

そうそう、そういえばあの頃流行った流行歌があった、「包丁一本、さらしに巻いて旅に出るの~も 」

という流行歌、この流行歌を知っている人も段々と少なくなっている、

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肥後守よりも安価な少年ナイフというものもあった、これも6センチギリギリ、

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そうそう、鉛筆を削るには「ボンナイフ」というものもあった、これは持ち歩いてもまったく問題ない、

まあ、このナイフを使う子供も大人も今はいないとは思うが。

アメリカ レムコ社の玩具は、

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アメリカの玩具はデカイ、

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過去の記事でも紹介しているこのレムコ社の「ポムポム砲」と「ブルドッグタンク」などは一抱えもある、





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そしてこの「CARAVELLE」 という玩具、ネットの翻訳機能を使っても訳されない、

これもデカイ、


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入手以来ほとんど箱も開けたことがない、マイクロホンと電信機が付いている、

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マイクロホンからの声、電信機のトンツーという発信音がスピーカーから流れるのだろう、

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電信機を打ってみたが音が鳴らない、マイクロホンからもスピーカーから音が出ない、

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スピーカーからはザーッ、という雑音のみ、ラジオも鳴らない、

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裏蓋を外して点検するもまったくわからない、

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機械仕掛けのものならわかるが、こういった電気の類のものはさっぱりわからない、

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チェックできるのは断線していないかどうかのみ、どこにも断線はしていないようだが、

結局、わからずじまいでそのままお蔵入りとなった。

4日(日)はブログは休み、

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明日、4日(日)は東京行きのためブログは休み。

昨日は東京で、

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夜行バスに乗って昨日は東京まで行ってきた、

まづ最初に行ったのが、新宿で開催された「おもちゃカーニバル」、特に僕の興味のあるものはなかったが、

その後は、相棒たちと今後の活動運営方針?を討議、まあせっかく東京まで行ったので何かいい出物はない

かと行ったのが中野の某ショップ、

棒ショップとしなくてもどこかはすぐにわかるが(笑)、そこでは特に何もなかったので次は秋葉原へ、

せっかく東京まで来たのに何も買わないで手ぶらで帰るのもしゃくなので、そこでヤケクソ?でかったのが次の

プラモデル、

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う~ん、ブリキのリモコンの押しボタンが2個、オリジナルは1個だったと思うが、

本体を分解してみたくなったのでバラシてみよう、   <続く>

分解してギアボックスを

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本体をバラシてギアボックスを取り出してみる、

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ブリキのリモコンボックスはたしか押し釦1個がオリジナルと思っていたが、これは2個ある、

モーターが油切れで回転の際キー、キーと異音を発していたので潤滑スプレーを軸受けに吹き付ける、


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さてさて、このギアボックスで何のプラモデルなのかはお分かりだろうか、 

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そしてこの足裏、     <続く>

マルサン 怪獣ゴメス

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ガチガチに接着されていたので、怪獣ゴメスの胴体を剥がすのが大変だった、

接着面の隙間にカッターナイフの刃を差し込んで慎重に慎重にパキッ、パキッ、と剥がしていく、

割れることなく無事に綺麗に剥がすことに成功、

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牙が4本、角の先っちょが欠落している、それとコテコテに塗装がしてある、

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本来の色はこの濃ゆい緑色、

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さて、牙と角の先っちょを修復してみよう、  材料はプラ板で、 <続く>

マルサン 怪獣ゴメス

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何と言っても、無事に綺麗に胴体を剥がすことができたのが良かった、どこにも割れ等はない、


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再度、ギアボックスを取り付けて、足裏のストッパーもちゃんと効く、ゴムローラーも特に問題はない、

おそらく、足踏みせずにスムーズに歩いてくれるだろう、

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頭の角と牙はプラ板を使用、僕は自己流なのであまり参考にしないほうがいい、

制作テクニックなどを書いた模型雑誌は読んだことがない、第一あんなに上手くなろうとも思わない、

僕の場合はあくまでもアナログの原始的な子供の工作である、

角は大体の大きさ形を書いて、


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このような形にしたら、あとはヤスリだけで形を整えていく、

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そう、ヤスリでゴシゴシと削りながら形を整えていく、

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これを頭の角が欠けた箇所にのせて、

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角を欠けた箇所に接着して継ぎ目等を修正する、

欠けた口の4本の牙も上記と同じ要領で製作する、

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さあ、これで歩かせてみよう、と思ったが、

何か気にいらない、そう、色が気にいらない、オリジナルの色ではないので、

頭の角が少し細いような気がする、 口の中が空洞なので何かさみしい、  

よ~し、それでは完成品の中では日本一美しい?怪獣ゴメスに仕上げてみよう、    <続く>

マルサン 怪獣ゴメス

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塗装を剥がそうと試みたが、いろいろと塗り替えたのだろう、3種類もの色を重ね塗りしている箇所もあり、しか

も長年の経過によりカチカチに固まっており、剥がすのは無理と判断した、

そこで再塗装、このように色をオリジナルと同じようにプラカラーを配合して塗った、

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頭の角をもう少し太目にして、口の中に赤く塗ったプラ板を仕込んだ、空洞よりはこのほうがいいだろう、

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これで修復完了、

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これで大分見栄えが良くなった、完成品の中では日本一美しい怪獣ゴメスに出来上がった、

これほど美しい怪獣ゴメスは見たことない(笑) と、他の方がどう思うと自分だけが納得し楽しめればそれで

いい、

それでは歩かせてみよう、リモコンボックスにはボタンが2個あるがどっちを押しても前進する。



このゴメスはモーターを逆回転させても前進しかしないが、実はちゃんと後ろに歩いてくれる怪獣プラモがあっ

た、しかも後ろに歩くその足の運びが実にいい、その怪獣プラモとは、  <続く>

昨日はプラモデルでボランティア、

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昨日はボランティアで解説依頼があったので、

そう、明石市立文化博物館でのボランティア活動である、http://www.akashibunpaku.com/

市内の中学校からの見学があり、その案内と展示物の解説である、

その中で担当したのが「明石の空襲」についての解説であった、まあ、大体の概要については今ではネット等

で検索するとわかる、そんなわかりきったことをまた博物館で解説しても見学者は面白くないだろう、

要は、なぜ明石が空襲を受けたのか、なぜ兵庫県で一番にアメリカ軍の空襲を受けたのか、その理由であ

る、川崎航空機(現川崎重工)が標的だったということは書いてあるが、なぜそこが標的になったのか、そんな

ことインターネットで調べても出てこないし書いてない、

そこらへんになると、もう僕が出てこないといけないだろう(笑)

そこで、その解説グッズとして持っていったのが次のプラモデル、

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大滝のB-29、タミヤの飛燕、緑商会の屠龍、

実は、戦時中には川崎航空機の明石工場では飛燕と屠龍を生産していた、

まあ、飛燕、屠龍と言っても今の子供たちにはなんのことやら、とわかるはずがないだろう、

そこで、飛燕、屠龍はアメリカのB-29を迎撃するための戦闘機で ・ ・ ・ ・ ・

B-29は一万メートルもの高い空を飛んでくるので屠龍の斜め銃でB-29の下に潜り込んで ・ ・ ・ ・ ・

まあ、いろいろとマニアックな解説を行い、

B-29にとって飛燕、屠龍は天敵?だったのでそれを生産している川崎航空機の工場を破壊しなければなら

なかった、云々、

はたして、中学生たちに理解できたかどうかは、(笑)

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戦時中に敵国の航空機を知るのに利用していたのがこの本、

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当時はこのような本を売っていたのでこれで敵国の航空機の情報を得ていた、などと解説したが、

はたして理解してくれたかどうかはわからない、まあ、今とはあまりにも現実が違いすぎるので仕方ないだろ

う。

英工社というメーカーの

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模型の歴史の中で英工社というメーカーのことが語られることはほとんどない、

その英工社は三和模型の前身だったことはすでに紹介している、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71466849.html

ただその英工社時代の模型は一つも持ってないし未だに見たこともない、

もちろん、木製キットの時代である、

確認しているのは次の設計図のみである、

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これらはライトプレーン、

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そうそう、この頃にはすでに車輪をプラスチック製にしていたことは過去の記事に書いたとおりである。

ガッパのリモコンボックスを交換

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これは以前に紹介している日東科学の再販ガッパを改造して背中の羽も動くようにしたもの、

実はこのリモコンボックスが気にいらなかった、そう、ちゃちなので、

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そこで、何のリモコンボックスかわからない古いものがあったのでこれに取り替えることにした、

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やっぱり、リモコンボックスも古いほうがよく似合う、

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ところで、隣のゴメスは後ろには歩いてくれないが、

このガッパはリモコンボックスを取り替えたおかげで、モーターを逆回転させるとちゃんと後ろに歩いてくれる、

その足の運びも実にいい。


木製艦船模型の部品を、

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これは、以前の記事でも紹介している戦前の木製模型の駆逐艦イカヅチ(雷)、

今で言うディスプレイモデルとなっている、


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実は、スクリューが1個欠落していたので、部品を買いに行ってきた、

そう、神戸の模型店までいつものように自転車で、まだまだ自転車で行ける、大丈夫、あと10年くらいは大丈

夫だろう?

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とりあえず買ってきたのが、この部品、スクリュー、レーダー、

錨、飛行機、菊の御紋、砲、手すり等、木製艦船に必要な部品は沢山あったがとりあえずはこれだけ買ってき

た、

まあ今時このような部品を売っている模型店はそうざらにはない、神戸の模型店でこのような木製艦船模型の

部品を店頭のショーケースの中に入れて売っているところは一か所しかない、

「このような部品を買いにくる客はいますか?」と聞くと、「今時このようなものを求めてくるお客さんはほとんど

いません、まあ、1年に一人くらい」とのこと、

まあそうだろう、今時このような木製艦船模型の部品を求めるのは僕ぐらいのものだろう、


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欠けていたスクリューの片方を付けてみた、う~ん、やっぱり両方同じものでないと、

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それで、取り外して、

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一応、取り外したオリジナルのスクリューはセロテープで台座に貼り付けてとっておく、

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これで、2個のスクリュー取り付け完了、

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このように、箱に入るので保管するのに都合がいい、

せっかくレーダーの部品を買ってきたので、


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戦艦ミズーリ―を取り出してきて、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70325957.html

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そう、てっぺんのレーダー等が欠落していたので、

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そのレーダーの部品を取り付け、

あと煙突等が欠落しているので木片で自作しなければならない、

そして、余った余分の部品は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71570386.html
                https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69865593.html

そう、ブリキの部品箱に入れてストックしておくのである。

レムコ社 ブルドッグタンク

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ニチモの弾出しパットンを取り出してみたらゴムキャタピラが、ついにこんなことに、

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まあ仕方ないだろう、あと数年でこのパットン戦車も還暦を迎えてしまう、また自作すればいい、

そうそう、このニチモのパットン戦車の先輩がいた、

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過去の記事でも紹介しているアメリカのレムコ社のブルドッグタンクである、

このブルドッグタンクのゴムキャタピラは大丈夫だろうか、

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まだまだ大丈夫、おそらく素材の影響だろう、まったくのゴム質ではなくちょっとビニール系の素材が混じって

るようなのでその影響だろう、

ところで、このレムコ社のブルドッグタンクをコピーしたのがニチモのパットン戦車であることは過去の記事にて

紹介したとおりである、細かいことはまだ書いてなかったのでついでに紹介しておこう、

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はやい話がニチモのパットン戦車はその全てをコピーしている、

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中の構造も全て同じ、

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ギアボックスもそのままコピー、

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電池ボックスも弾出しの装置もそのままコピー、なにもかもそのままそっくりコピーしたもの、

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アッ、コピーしていないものがあった、この裏蓋を止めるネジ、

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マイナスネジではなくレムコ社のものはナットの頭となっている、このようなネジは他には見たことない、

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キャタピラを架けるのがとても面倒で、このように一旦誘導綸と起動綸のギアボックスを取り外さなければなら

ない、

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それからこのようにキャタピラを架けて誘導綸とギアボックスを取り付ける、

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弾倉も弾丸も同じ、


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違っているのは旗と機銃だけ、アッ、それと前照灯がニチモには付いている、

もちろん、走るスピードもまったく同じである。


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