去年の11月に本気で日本プラスチックの追跡調査にとりかかり、今回ついにその流れを受け継
ぐ会社に辿りつくことができた、まだまだ終わりではなく、これからが本番となる、知りたいこと、知
られざる真実が多く眠っていることだろう、
当初は日本プラスチックの存在が確認できればいい、大体の概要が判明すればいい、くらいのつ
もりでいた、それが段々と欲が出てきて今回まで至ってしまった、
まあ、よく言われるように、たかが模型の歴史である、その真実が判明したからといってほとんど
の方は興味もないし何の影響もないだろう、「それがどうした」くらいのものだろう、
これは、あくまでも趣味の世界での話である、その趣味の世界での模型の歴史が誤って、いや悪
言うと捏造されて伝えられてきた、それは当初からわかっていたことではあったが、そう、日本模
型新聞を読めばちゃんと書いてある、マルサンの前に日本プラスチックがノーチラス号を発売した
ことも、火星人さんが当時のマルサンのことを痛烈に批判していたことも、
世の模型の研究家達は日本模型新聞を読んで調べたはずである、そう、多くの研究家達が日本
模型新聞を借り受けて調べたという、しかし、そのまま返却されなかったのも多くあるという、
現在、日本模型新聞は本社には保管されていない、全て国会図書館に保存されている、
検索してみると、随分と欠落しているものもある、1年分そっくり欠落しているものもある、
それは、誰かが研究のために借り受けてそのまま返却されなかったからだという、
ようするに、随分と前からマルサンが日本初ではないことはわかっていた、
しかし、どういうわけかマルサンが日本で一番手ということになり、それに都合のいいように嘘の
脚色で飾られ今まで伝えられてきた、また業界もそれに踊らされてきた、
それらに反論できなかったのは日本プラスチックの実態が不明であったことが大きな理由だろう、
今回それを突き止めることができたが、最大の喜びは日本プラスチックの濱田さんが創業した今
の会社の〇〇工業(株)の社長さん(濱田さんの甥っこさん)に喜んでいただいたことである、
そう、まったくご存じではなかった、濱田さんが日本プラスチックという会社でプラモデルを作って
いたことはご存じであったが、まさかそれが日本初のものであるということはご存じではなかった、
濱田さんは非常に謙虚なお方で自分を自慢するようなことは一切なかったという、
もちろん、「俺が日本で最初にプラスチックモデルを開発したんだ」ということは一切聞かなかった
という、だから、本当に社長さんには喜んでいただくことができた、僕としてもこれが最大の収穫だ
ったという気がしてならない、これも先の記事にも書いたようにまさに濱田さんの導きがあったよう
な気がしてならないのである、
もう一つ大げさに言わせてもらうと、おそらくこれがなかったら模型の歴史は誤ったまま受け継が
れ、隠された真実が歴史の片隅に埋もれたまま永遠に表舞台に現れることはなかっただろう。