軍事兵器で究極の兵器といえば殺人光線だろう、
旧日本軍が昭和初期頃からその殺人兵器を研究開発していたことは、すでに事実としてそれがどのような研
究内容だったのかも明らかになっている、
当時の戦前の軍事関連の書籍にも必ずと言っていいほどその殺人光線の兵器のことを載せている、
この書籍は、昭和15年にドイツの軍人の方が書いたものを訳したもの、
まあ当時は今で言う軍事評論家みたいな方々がこのような書籍を多く出版していた、
もちろんこれらの書籍にも殺人光線のことを載せている、
旧日本軍の殺人光線などの秘密兵器を研究開発していた場所としては、東京の「登戸研究所」や静岡の
「島田実験所」等が有名である、アメリカ軍もそれらの秘密兵器の研究がどのようなものだったのか非常に気
になったらしく、戦後すぐにそれらの調査解明にとりかかっている、
そして、今では反日と捏造記事で有名な朝日新聞が終戦の翌々月の10月の新聞記事でそのアメリカ軍の調
査結果の記事を載せている、
そう、日本軍が開発していた殺人光線の威力である、 <続く>