モデルカーズの本をいただいたので早速読んでみた、
昭和62年8月号、それからもう30年も経ってしまった、
その頃はまだ僕はプラモデルなどとは一切関わりがなかった、そう、僕が再びプラモデルに目覚めるのはそれ
から10年後のことである、もちろん、このような模型雑誌なども読んだこともなかった、
このモデルカーズの中に「マルサンの残像」の記事が載っている、
もちろん、僕が言うまでもなく編集長であった平野克己さんの執筆である、
この記事の中で、伝説の金型職人とされてしまった柴田さんのことがどのように書かれているのか、
それを確認の意味でも読んでみた、
確かに、柴田さんがノーチラス号の金型を開発し作ったとは書かれていない、
柴田を含むとか、柴田幹雄ら、となっており柴田さんが作ったとは書かれていない、
しかし微妙、柴田さんが中心メンバーのようにとられてしまう可能性も、
だが、当時は柴田さんは新人の見習工、中心メンバーは他の熟練工の方のはず、
取材は他の熟練工、柴田さんの先輩の職人さんを取材すべきであった、
このようになったのは、おそらく当時の金型職人で柴田さん以外に取材ができなかったからだろう、
他の職人さん、関係者には連絡がつかなかった、連絡がついても口が固くなかなか語らなかった、
などと言われても、それは言い訳に過ぎない、
残念なのは、その頃はまだまだマルサンの職人さんをはじめ関係者の方々はご存命であった、
たった一人だけの証言でもって書かれたのでこのようになったのだろう、
悲しいかな、プロのライターの方々の宿命?がここにある、
素人であれば時間に縛られることなくジックリと追跡調査もできる、
しかし、プロはそうはいかない、締切など時間に縛られそんな悠長なことはやってられない、
つまり、見切り発車してしまった、
そして、この「マルサンの残像」が基本となってその後のマルサン物語が作られてしまった、
だれも検証することなく、そして、当時の関係者を探し出すことなかった、
その後のあらゆる模型ライターの方々が柴田さんがノーチラス号の金型を作ったことにしてしまった、
そして、いつの間にか柴田さんは日本初の金型を作った伝説の金型職人として祭り上げられてしまった、
その後、柴田さんは伝説の金型職人として演じてこなければならなくなった、
プロの仕事の落とし穴がここにある、プロとしてはなんとか面白おかしく物語を作って出版しなければならな
い、ちゃんといろいろな関係者を調査し取材を行い裏取りしなければならないのに、それも怠ってきた、
いや、怠るというよりもそんな面倒なことやる気がなかった、
そう、真実を追求することよりも出版することが目的であった、
なぜなら、
僕がいつも言うように、印税の小銭を稼ぐために、である、僕にそのように言われても反論できないだろう、
今までもプラモデルの歴史に関してはいろいろなプロのライターの方々が執筆し出版されてきた、
そう、捏造された嘘で脚色された物語の受け売りを引き継いできた、
そして、性懲りもなく今回も「日本プラモデル60年史」という本が出版され、そのデタラメぶりを僕に暴露され
た、
その著者のK様もずっと前から僕のブログはご覧になっていらっしゃる、
今までの説は誤りであることは充分に理解されていたはず、
それなのに、僕らの出版を妨害しそれこそ印税の小銭を稼ぐために出版された、なんとも情けない、
それは、僕に言わせると詐欺に近い、単なる間違い、誤り、思い違いなら許される、
しかし、今までの説は捏造された誤りであるとわかっていながらあえて出版された、
これも僕に言わせると確信犯と言わざるを得ない、
編集、出版のプロとしてのプライドはどこに捨てられたのだろう、プロとしての誇りはどこに。