「多田さん、生きてましたか!!、実は電話が数日間繋がらなかったので倒れていないか心配に
なってやってきました!! 明石の〇〇ですよ!!」
「う~ん、突然やってくるなんて、アンタも強引な人やな」
「そりゃそうですよ、多田さんに今あの世に逝かれたのでは私も困りますからね」
玄関扉が開き、「アンタに今言われて受話器をみたら外れてたわ」「明石から大変だったね」
多田さんはまだまだピンピンしていた、 ここからは差支えない部分だけ書いておこう、
「昭和32年、模型店開業の時にゼロ戦とノーチラス号を仕入れて発売したとのことですが、その
時にP51ムスタングは仕入れませんでしたか?」
「いや、ムスタングは見たことない」 「ゼロ戦が先だったか、ノーチラス号が先だったか今となって
は確かな記憶はないが、開店の際に問屋から仕入れて販売した、」
「ゼロ戦はあまり売れなかった、ノーチラス号も売れ行きはよくなかった、何と言ってもその後発売
されたニチモの伊号潜水艦は物凄くよく売れた」
「マルサンのノーチラス号の売れ行きのことについてはあまり記憶に残ってない」
「当時の業界は日本プラスチックスのことは知っていたのですか?」
「それは知っていたはず、何と言っても問屋から模型店は仕入れているのだから、すくなくとも問
屋は知らないはずがない、だからその後マルサンがプラモデルを持ち込んでも別にそのノーチラ
ス号は目新しいことでもないはず、だってすでに外国製のプラモデルは取り扱っていたわけだか
らプラモデルを初めて見るわけでもない、問屋が初めてプラスチックモデルを見たかのように残骸
のようだとマルサンを門前払いするなどありえない話でまったくの嘘」
「そうですよね~、もうすこしましな嘘で脚色すればよかったんですよね~(笑)」
「ただ、私は日本プラスチックスの会社の具体的なことは知らなかった」 等々、話は尽きない、
日本模型新聞を見つけたので、「おお~、日本模型新聞をいまだにとっているのですね」
「いや、別にとっているわけではなく、未だに送ってくれてね~」
「ああ~、そうですよね、何と言っても多田さんは社友でしたからね」
1時間超ほど話し込んで、また一か月後くらいに訪問することを告げて多田さん宅を後にした、
そう、何と言っても多田さんは90歳なのだから、そして僕には他にも目的があるので。
※ ゼロ戦の証言は数件確認されているが、ムスタングについては多田さんも見たことない、他
の証言もまったくないところから発売されなかった可能性が高い。