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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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追跡調査するキッカケは、

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20年ほど前、まだ僕が昭和のプラモデルに興味を持ち始めてまもない頃、日本初のプラスチック

モデルはマルサンのノーチラス号だと思っていた、そう、どの書籍を読んでもマルサンのノーチラ

ス号だ、マルサンだと書かれていた、そして和工のダットサンだの、どうだのと言われていた、

しかし、その後いろいろな資料等を読んでいくうちに、それが何か怪しいことに気が付いた、

そう、(株)日本プラスチックスの存在であった、しかし、書籍に書かれた説では「ゼロ戦、ムスタン

グP51の発売予告は載っているが、実際に発売された証拠がない」云々と、あくまでもマルサン

が一番手であることを言っていた、しかし、日本模型新聞では、僕の記事にも書いているように、

日本プラスチックスはマルサンの前にゴム動力のノーチラス号を発売していることをちゃんと

記事に載せている、(なぜか、日本プラスチックスとはメーカーを記載せずに大阪の某メーカーと

しているが)、だから、例えゼロ戦の現物は確認できなくても、日本プラスチックスがマルサンの前

にプラスチックスモデルを発売したのは明白な事実であった、しかも、その日本プラスチックスの

ノーチラス号の現物は何個も確認されている、そして問屋を通じて東京でも販売されていたことも

確認されていた、それでも、なお今までマルサンが一番手であると嘘の定説を垂れ流してきたわ

けである、そう、何度も繰り返してあげるが、嘘で脚色した伝説を作り上げて、

これも何度も繰り返すが、それは(株)日本プラスチックスの実態がまったく掴むことができず不明

のままで謎の会社であったからである、

僕も、(株)日本プラスチックスのことはおそらく永久に謎のままで終わり、マルサンが一番手だと

いう嘘の定説も永久に語り続けられるだろうと思っていた、

つまり、誰もプロの研究家達も調べてもわからないのだから、もう絶対にわかるはずがないと思い

込んでいた、ましてやド素人の僕が調べても絶対にわかるはずがないと、

ところがある日、あるお方から僕に依頼?があった、

「日本プラスチックスのことを調べて日本プラスチックスがプラスチックモデルの一番手であること

証明してほしいと、」そこには登記簿謄本に記載されていた会社の住所と社長等の名前が記さ

れていた、その時は本心としては僕には無理、無理、と思っていた、調査するにはあまりにも資料

が少ない、しかし、何か他に資料等が見つかればなんとか調べてみようと思っていた、

それから1年以上が過ぎただろう、

今年の10月に静岡のあるお方から次の資料を提供していただいたのである、

イメージ 2

昭和34年の業者名簿と36年の名簿である、実は記事でも書いているように、日本プラスチックス

の東京支店の住所と電話番号が載っていた、

イメージ 1

そして、この当時の東大阪の要覧名簿を「あうとぱあんさん」から提供いただいた、

この3つの情報が追跡調査の基礎となり推理ができたのである、

この3つの情報のうち一つでも欠けていたら秘密工場であった大阪化学研究所も特定することは

できなかっただろう、本当にご協力いただき厚くお礼を申し上げたい、

まだまだ日本プラスチックスの謎は解明できてはいない、一番肝心な濱田さんのことと何故消滅し

てしまったのか、どのように開発していったのか等々、解明することは数多い、

ただ、何度も言うように直接関わった方々はもうこの世にはいらっしゃらない、

完全に解明することは今となっては不可能だろう、60年も過ぎてしまったのだから、

しかし、来年も引き続き(株)日本プラスチックスの謎を追っていく、まだまだ終わらない。

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