しばらく日本プラスチックの追跡調査についてはご無沙汰していたので、ここらへんでお知らせしておこう、
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実は、日本プラスチックの社長だった石村さんについては判明している、
そう、日本プラスチックの実質的な代表者は濱田さんであったが、登記簿上の社長であった方である、
金型製作が得意であった石村さんである、
その石村さんについて判明している、
もちろん、ご本人は10年前にお亡くなりになっているが、そのご家族、つまり息子さんが判明した、
ただ、そのことを具体的にどなたであるとか、公表することが今のところできない、
なぜなら、
公表することにご本人の承諾をえてないこと、
公表することによって業界等にいろいろと影響を及ぼす可能性があるということ、
つまり、お名前を公表すると、どなたでもご存じな方であるということ、
以上のことなどから公表することがいまのところできない、
それらが判明したことにより、推測していたとおり、なぜ、日本プラスチックが模型の歴史の表舞台に登場する
ことができなかったのか、なぜ4年ほどで活動を終えてしまったのか、等々の概要が判明した、
日本プラスチックは昭和34年8月頃、この「フライングヘリコプター」を発売後に整理に入った、
この「フライングヘリコプター」が最後の製品となってしまったのだろう、
なぜそうなったのか、それはいまのところ述べることは差し控えたい、
まあ、模型の歴史に限らず歴史というものにはいろいろな諸事情により、絶対に語りたくないもの、人に知られ
たくないものが多くある、だから、本当の真実というものが隠されてしまう、
つまり、真実は隠されて嘘の捏造された歴史が作られてしまう、ということ、
その一つの典型的な事例がマルサン物語であることは何度もシツコイくらい言ってきた、
そう、あのノーチラス号の金型製作の証言は嘘で捏造されたものであると、
もちろん、僕がそこまで言うからには根拠がある、
つまり、当時のマルサンの関係者の方の証言をえているからである、
もちろん、これも具体的にはいろいろな事情により公表ができない、
いつの日か公表できるかどうかいまのところわからない。