僕がプラモデルと関わり始めてからそんなに月日は経っていない、
阪神淡路大震災後なので20数年である、それより前にやってたらそれこそ収集物は残骸と化していたかもし
れない、だから、平野克己さんの「マルサンの残像」も未だに読んではいない、その内容もほとんど知らない、
ただたまに、人からこのように書いてあるなどと聞くのみである、
僕がプラモデルにのめり込むキッカケとなったのは、もちろん、懐かしさもあったが今記憶を蘇らせればあの
書籍ではなかったかと思う、
その書籍とは、「モデルカーズ」である、たしか22年くらい前だった、書店でたまたまそれを見かけたので立ち
読みした、そのページの中にあったのがハッキリした記憶がないがたしか「プラモデル懐古堂」だったか、
それに紹介されていたのが今井科学の1/15 4号戦車であった、もちろん平野克己さんの執筆であった、
平野克己さんの名を知ったのがそれが初めてだったと記憶している、
その今井科学の4号戦車の記事が懐かしかった、今井科学の4号戦車は子供の頃、戦車プラモの中でも最高
に欲しかったプラモであった、しかし、2,500円という価格では手にすることができなかった憧れの戦車プラ
モであった、その平野さんの記事を読んだ時が僕がプラモデルにのめり込むキッカケになったと記憶してい
る、もちろんその頃はプラモデルに関してはドが二つ付くくらいのドド素人、それから古いプラモデルに関する
書籍等を読みだした、そして、通販の「ほこり屋」、「ジョイハウス」等も利用し始めた、
そう、まだまだインターネットが普及する以前のことであった、
まだまだ、日本初のプラモデルは何か、などまったく興味はなかった、
いろいろな書籍を読んでいるうちに、マルサンが日本初のプラモデル、ノーチラス号を発売したということを知
ったのはその頃である、
そして、いや、マルサンではなく、日本プラスチックではないか、いや、和工、いや、ニチモ、といろいろな説が
あることも知った、その中で特に僕が興味を持ったのが「日本プラスチック」というメーカーであった、
昭和31年10月の日本模型新聞に「ゼロ戦」、「マスタングP51」の発売予告の広告を載せた後、忽然と消息
を絶ったメーカー、日本模型新聞にその「ゼロ戦」「マスタング」を発売したという記事がないからと言う理由で
誰からも注目を浴びず闇に葬り去られてしまったメーカー、その日本プラスチックというメーカーになぜか興味
を持ってしまった、僕は勝者ではなく敗者のようなものになぜか興味をそそられてしまう、
そして、例のマルサン物語のような書籍を読むたびに違和感を覚えた、
そう、何か作られてしまったような物語であると、
そうこうしているうちに、日本模型新聞に日本プラスチックがマルサンのノーチラス号の発売前にゴム動力のノ
ーチラス号を発売したというような記事を見つけた、その記事を書いていたのが後の「火星人」であった、
この記事を読んで僕は日本プラスチックは日本初ではないかと確信のようなものを持ったのである、
つまり、日本模型新聞を調べて読んでいけば記事として残っている、それらの調査不足だったのか、
それとも無視して、マルサンが一番と祭り上げられてしまったのかそれは僕もわからない、
ある意味、怒りのようなものを僕は覚えた、これが日本プラスチックを調査しようとした動機でもあった、
<続く)