今や模型店は壊滅状態、これからもドンドン減っていくことだろう、はたして模型界は今後どのように変化して
いくのだろうか、ハッキリ言って見当がつかない、ところで、昔はどれくらい模型店があったのだろうか、
昭和39年の資料を見てみると、
東大阪の布施市だけでもこんなにあった、
布施市なので、もちろん日本プラスチックの濱田さんの「東京堂模型店」の名もある、
濱田ハツヨさんになっているのはお母さん、貞雄さんはすでに東京へ進出し兄の亨さんは「ハマライト」、
貞雄さんは「OS工業」を立ち上げていた、貞雄さんはお母さんに店を任せていた、当時はそのお母さんと一緒
に女性がその店を仕切っていたという証言があるので、おそらく妹さんだったのだろう、
もちろん、その店では日本プラスチックのゼロ戦、ノーチラス号も販売していたに違いない、いや、その名簿に
ある布施市の模型店でも売っていたことだろう、
意外と少ないのが静岡市、模型の町と言われているが当時でもこれだけ、屋号をつけずに個人の店が多かっ
たようである、
これは、堺市の模型店のリスト、次の頁にも5件ほど載っている、静岡よりも多い、
もちろん、マルコ模型店も載っている、マルコ模型店が開業したのが昭和38年11月22日、
エッ、なぜ日にちまでわかるの? 実は、店主が仰っていた、「開業の準備をしていた時にケネディ大統領暗
殺のニュースが流れた」 と、代表者の名前は隠しているが実はこのマルコ模型店の代表名は女性の名前に
なっている、そう、ご主人の名前ではない、奥様の名前と思われる、姓が同じなので間違いないだろう、
なぜ、普通なら模型店の名義は主人の名前だがなぜ奥様の名義になっているのだろうか、
そう、開業当時から奥様名義になっている、その理由は、そんなこと僕が今更わかるわけない、
ただ、一つだけ言えることがある、僕が通っていた時(月1回は必ず通った)、店主は僕に話したことがあった、
それは、奥様が元気なころ、いつもご一緒に原っぱで模型飛行機をを飛ばして遊んだことを、
そのことを懐かしそうに話された、その話しぶりから相当な奥様思いであることが推察できた、
もう、それから10年以上も経ってしまった、あの店舗はその後どうなったのだろう。