戦前において模型玩具メーカーとして国内では最大のメーカーでありながら、その歴史に名をまったく残して
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いないメーカーがある、
そのメーカーが「朝日科学玩具」であったことはすでに紹介している、昭和初期からの模型玩具の歴史を書い
た書籍は多くあるが、その中にそのメーカーの名が出てくることはまずない、なぜなのかそれは僕もハッキリし
たことはわからない、
その朝日科学玩具は日本全国に支店網を有し、多くの技術者を抱えその後の模型玩具業界の発展に貢献し
ていることもまったく知られていない、後に有名になった鉄道模型メーカーも当時は朝日科学玩具の職人であ
った方々も数多い、
その朝日科学玩具がまったく知られていないというのは空襲でほとんどの工場が破壊され、職人を失い、戦後
すぐに遊具製造メーカーに方向転換したからであることも紹介している、http://www.asahi-tec1907.co.jp/index.php?mp=info
実は、その朝日科学玩具がなかったら今のマブチモーターがなかったことも知られていない、
このようなことは絶対に知られたくないことだろう、
まあ、僕だけが知っていることだろう(笑)、今のマブチモーターの方々もご存じない、もちろん、もうお一人方い
らっしゃったが、そう、マブチの創業者の健一さんである、アッ、それと、今これを読んでいらっしゃる皆さん方
である、
その頃の馬淵青年は朝日玩具に出入りしていたらしい、馬淵青年と朝日玩具の接点はこうだ、という断定は
できないが、、馬淵青年は四国の高松出身で朝日玩具の創業者の佐原さんも高松近くの出身なのである、
当時から馬淵青年も模型工作に熱心であり、おそらくその関係で知り合ったのではないだろうか、
マブチモーターを創業するまではその朝日玩具の模型モーター等をリヤカーに積んで売り歩いていたものと
思われる、そして、ついに例の朝日玩具の「スクールモーター」をそのまま模倣した「スクールモーター」を発売
して次の製品開発のステップとして資金を貯めた、しかし、朝日玩具からそのことを指摘され発売を中止したと
いう、しかし、それまでにその模倣したスクールモーターの発売で資金が潤ったのでその後の製品開発の活
動ができたということである、これらのことはもちろん、マブチモーターの社史にも書かれてはいない、
空襲で全ての工場と職人を失った朝日科学玩具は戦後は細々と活動していたが、昭和27年頃には玩具模型
からは撤退し今の「朝日テック」として電動遊具の製造メーカーへと方向転換した、そしてマブチモーターは模
型用マグネットモーターを発売し(開発ではなく発売、マグネットモーターは大正後期には存在) 成長していっ
たことはすでに過去の記事でも紹介しているとおりである、
つまり、朝日科学玩具というメーカーが存在していなかったら今のマブチモーターも存在していなかった可能
性が大ということ、いや、マブチモータは存在していないと断言したほうが適切かもしれない、
そう、朝日科学玩具はタミヤ模型に例えるならば、あの日本プラスチックの濱田さんの「ハマライト化学研究
所」のような存在だったのである、
つまり、発展した企業の陰にはその歴史にさえ名を残さない誰もその存在さえ知らないメーカーがあった、
言い換えれば、成功し生き残った者の都合のいいように歴史は作られるということ。
その朝日科学玩具の流れを受け継ぐ今の「朝日テック㈲」は数年前に四国まで取材に行った時は3代目の社
長さんであり、2代目の社長さんはたしか80歳代後半でお元気であった、今もお元気だろうなあ~、
もう一度訪問したいなとは思っているが、今度は工場を見学してみたい、
ところで、当時の戦前の朝日科学玩具のカタログは次のもの、
昭和6年、7年、9年のもの、
その頃もこのように、大きなジオラマを組んで遊んでいたのだろう、
この頃にはすでにシンナー、ラッカーという名の塗料があった、
その頃の朝日科学玩具のものは今となってはほとんど見たことがない、
持っているのはこのトランスだけ、
高齢者の方で古い鉄道模型マニアの方だったら当時の朝日科学玩具の製品をお持ちかもしれない。