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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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動くプラモデルの行く末はディスプレイ

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デストロイヤータンクは試作車段階で終わったものの、その特異なスタイルからいろいろなメーカーからプラモ

デル化され発売されていた、

僕も今までに2個作って動かして遊んでいる、


トミーのデストロイヤー、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69228933.html


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そして今回が、このデストロイヤータンク、

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「RINGO」社、となっている、リンゴ社と呼ぼう、

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当時の舶来物らしく部品はガサッと剥き出しで入っている、このようなものは部品のチェックが面倒、


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モーターとギアボックス等の取り付け跡も残っている、

そう、実はこれはカラクリ仕掛けが得意だったITC社のもの、

カラクリ仕掛けが得意だったITC社は最初はモーターライズのデストロイヤータンクを発売したが、その後ディ

スプレイ化し、最終的にはこのリンゴ社に金型が渡ったのだろう、

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大滝のデストロイヤータンクと比べるとかなり大きい、1/24くらいだという、

その原型モデルとなったITC社の戦車プラモについてはM41を作って遊んだがそれも最終的にはディスプレイ

            https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71900817.html

そう、動く戦車プラモデルの行く末はディスプレイモデルなのである。


昔の科学軍事本が好きで、

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すでに紹介しているように僕は昔の軍事科学の本が好き、今の軍事兵器物の本はあまり読まない、

今のハイテクな兵器には僕の頭ではとてもついて行けない、

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まあ、読んでいるのはこのような時代遅れの戦前戦時中の本ばかり、

特に昔の戦車のことが好き、

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そして、例えば戦車にしても強い戦車ではなく、弱い戦車のほうが好き、

特に好きなのが、「9番目の戦車」の「タンクロウ」のような戦車が好きである、

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プラモデルの九七式中戦車は日本ホビーが製品化したが、それよりももっと弱い日本軍の戦車は製品化され

なかった、今でこそ、モデラーの方々が旧日本軍の戦車もジオラマ等で作っているものの、昔は強い戦車しか

人気がなかったので日本軍の戦車はほとんど作る人はいなかった、、

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昭和5年に日比谷公園で公開された無線操縦のトラクターを改造した戦車模型、

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引き出しの中は、小物プラモを入れている、この引き出しにはそれが一番似合うだろう。

スプレーガンのいろいろ

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僕はプラモデルには基本的に色は塗らない、昭和の動くプラモデルには色を塗ることはない、

そう、色を塗ると昭和のプラモデルではなくなるからである、昭和のプラモデルにはスッピンがよく似合う、

とは言うものの、僕は色を塗るのが下手くそであることも色を塗らない理由の一つである、

だからその小道具の一つであるスプレーガンなるものも使ったことはないし持ってもいない、

ガンスプレー、またはプロスプレー、どちらが正当な呼び名なのかもよく知らない、

ただ、そのガンスプレーは最近のものは持ってないが、昔のスプレーは持っている、

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もちろん、使うためではない、資料的なものとして持っているだけのこと、

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今回新たに加わったのがこの二つ、グンゼのプロスプレーと噴霧器、

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中身の本体は一緒、

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製造元は同じ、ただ発売元が違っているだけ、

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製品は同じなのにこの箱絵で塗料ビンが斜めになっているのがわからない、

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これはほぼ今のものに近いグンゼのプロスプレー

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これが使うのがちょっと面倒なガンスプレー、いや、吹付器となっている、

ロゴマークがTMY,となっているので昔の玉屋模型の製品だろう、

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ここに自転車の空気入れのノズルを差し込んで空気を送り込む、

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フマキラーでも塗料は吹き付けることができるだろうか。

今朝は最大の冷え込み、

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今朝は最大の冷え込みとなった、今年は異常に寒い、地球温暖化はどこへやら、

明石は国内でも降雨量が少なくわりと温暖なはずなのに今年はいつもと違う、ベランダに置いていたバケツの

水に氷が張っている、明石に住んで25年、こんなこと初めて、

今日はゴミ出しの日、朝のゴミ出しは僕の当番(笑)、いつもは5時過ぎに起きてすぐにゴミを1階のゴミ出し場

へ持っていく、心筋梗塞などに気を付けなければならない、ゴミを持ったまま倒れていたのではさまにならな

い、


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ゴミ出しが終わったら、朝陽を浴びながらご飯を食べる。

スプレーガンのいろいろ

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https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72247328.html の続き、

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昨日紹介したこのスプレーガン、いや吹付器、こんなもの当時使う人などいたのかと思っていたが、結構使っ

ていた人がいたようで、カタログにも載っている、


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この昭和36年版によると、

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一番下にスプレーガン 200円と載っている、

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使い方も自転車のポンプのノズルを差し込んで使うようになっている、

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また昭和38年版のカタログにも、

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定価200円、

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自転車のポンプではなく、専用の足踏ふいごもあったらしい、なんと1,200円、

僕なら当時1,200円もあったら絶対にそれで他のプラモデルを買ってしまう。


特殊機構の作り方

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昭和36年版の模型とラジオの冊子の中で仕掛けのことについて書いてあったので紹介しておこう、

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この「特殊機構の作り方」、いろいろな仕掛けの濤り方について書いてある、


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例えば、この仕掛けで思い浮かべるのが、ITC社のエンタープライズだろう、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70078020.html

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面白いのが「煙の出し方」、

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なんと、蚊取り線香を使うとある、

そして、興味深いのが「雲母板」を使う仕掛け、一度試してみる価値はありそうだが。

三共模型 フライングシャークの謎

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実はこの昭和36年の広告欄には、

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三共模型の「フライングシャーク」の広告が載っている、

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そう、コレ、ただ小さいフライングシャークも一緒に並んでいるが、

実は、これが謎、なぜ一緒に並んで写っているのか、

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すでに過去の記事でも紹介しているが、

その小さいフライングシャークはコレだろう、ただこれは組み立てのプラスチックモデルではない、

完成品でまあプラ製の駄玩具みたいなものである、

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製造元は同じだろう、箱絵も形も構造も全て同じだから、そしてカタログにも一緒にわざわざ並んで載っている

ので間違いないだろう、

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入手時から箱がボロで欠けている箇所もあるが、

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もちろん、製造は「日本プラスチック」となっている、

それから、このフライングシャークは二つとも「サンケイモデル」で発掘したものであった。





静岡教材の戦車プラモは

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戦車プラモを組み立ててみようと思って取り出したのが「レオパルド戦車」、

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そう、この静岡教材社の1/50の西ドイツ最新鋭戦車レオパルド、

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この戦車プラモは昭和40年のカタログには載っている、

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なぜか完成写真ではなく、絵になっている、

M-103重戦車は実車の写真が、

静岡教材の戦車プラモは過去には61式戦車を作った、

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そう、この61式戦車、

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組み立てようと箱を開けてみると、

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ただ走るだけでこれといったギミックはない、

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ゴムキャタピラは少しねじれているが、まだまだ大丈夫、

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1/50というボディーに単2電池2個はちょっと厳しい、まあ無理、

そしてギアボックスを見て、アッ、このギアボックスもそうなのか、と、

何がそうなのか、と言うと、

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このギアボックスでは取り付けた時にシャフトが傾いてしまう、左に下がって右が上がってしまう、

実は静岡教材の戦車プラモのギアボックスはこれだけでなく、61式戦車もそうだった、

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同じように、ギアボックスが傾いているのでシャフトを水平にするのに苦労したのであった、


とりあえずはレオパルドを組み立てるのは中止、

この時期の静岡教材の戦車プラモのギアボックスは皆このような状態なのだろうか。


東京タワーの模型の定説も、

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東京タワーは昭和33年12月に竣工した、 これは間違いなく事実である、

これが昭和32年12月に竣工などと捏造された歴史など作りようがない、

しかし、これが模型業界の話となると状況は一変してしまう、

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その東京タワーを模型化した一番手は今井科学であった、そう、木製模型の東京タワーである、

その発売は昭和33年の10月であった、そう、東京タワーの竣工の2か月前である、

しかし、静岡の模型業界の定説ではその発売は昭和32年となっている、

その模型業界の歴史の年表にもちゃんと東京タワーが完成する前年の昭和32年に発売したとある、

なぜだろうか、

まあ具体的に書くといろいろと都合の悪い方々が出てくるので差し支えない程度に抽象的に書いてみよう、

僕の親心だと思ってほしい(笑)

僕はその誤りを指摘した、「東京タワーが完成する1年以上も前に発売できるはずがない、東京タワーの設計

図が完成したのが昭和32年の夏であり、その年に発売できるはずがない、そう、設計図が完成していないの

にその形もわかるはずがない、」と、そしてその発売時における広告の画像も送って指摘した、

もちろん、その広告は昭和33年10月発売、という広告である、

まあ、これで120パーセント証拠の揃った証明だろう、

しかし、返事は、「静岡の模型業界の資料では昭和32年になっていますので」、ということであった、

そう、僕の指摘は無視されてしまった、もちろん、指摘したのが僕だからというのも原因の一つであるが、

そして、あの時、今井科学は東京タワーが完成する前年の昭和32年に発売した、と堂々と自慢げに話され

た、作っても作っても間に合わないほど飛ぶように売れた、と、

まあ、これも模型の歴史というものが嘘で捏造されている一事例であろう、そう、面白おかしく脚色された一事

例である、

マルサンの定説も同じこと、日本初のプラモデルはマルサンではなく日本プラスチックである、ということを当

時から知っていたお方も現にいらっしゃる、それがどなたなのかは差し支えがあるのでここでは言うことはでき

ない、なぜなら、そのお方が仮に日本初は日本プラスチックであると言うと、業界では活動できなくなるからで

ある、言えるのは業界とは利害関係のない敵対?している僕なら言えるが。




最高難易度だったブースカ

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すでに過去の記事でも紹介しているが、

今まで作ったプラモデルで最高難易度のものの一つがマルサンの「そば食いブースカ」であった、

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普通なら色を塗らない僕であるが、このブースカは色を塗らないとさまにならないので最小限に塗っている、

そう、成型色は橙色一色だったので最小限に塗っている、

このブースカをちゃんと動かすのは非常に難しい、当時このブースカを動かすことができた子供はいなかった

だろう、ドンブリの角度、箸を持つ角度の調整も難しいが、そもそもこのブースカはちゃんと動くように部品のカ

ム等は設計されていない、もちろん、完成させて最終的に動くかどうかも確かめられてもいなかったのだろう、

極端な言い方をすると動かないように設計されている(笑)

まさに売りっぱなし、という姿勢だったのだろう、まあ、当時はそれでもどうにか通用していた、

マルサンに限らず他のメーカーにも当てはまるが、ちゃんと動かないプラモデルについては当時の模型新聞

にも火星人さんが批判している記事が載っている、

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単2電池2本使用になっているが、とんでもない、電池2本も使ったらそれこそ機関銃のような猛烈な動きにな

ってしまう、1本しか使用できない、

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このカムの形が全然ダメ、自分でカムの形を修正しなければならない、ブーメランの形のカムで右腕を上下に

動かす、もう一方のカムでドンブリを持っている左腕を上下に動かす、その左腕は2度動かさなければならな

い、そう、ゴクゴクと2度汁を飲み干すように、

そのカムをヤスリで削って形を修正しなければならない、そのままオリジナルの形ではまったく動かない、

どの位置で腕の動きを止めるか、動きの大きさはどのくらいにするか等々、修正しながら動かしてはチェック

し、その繰り返しとなる、

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ひょっとしたら、この「そば食いブースカ」の動くプラモデルは国内では一つだけかも。



これは、電池1本での動き、2本も使ったら一体どのような動きになるか想像していただきたい。



戦艦比叡

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「戦艦比叡」の沈没船らしきものが発見されたらしい、https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180129-00050063-yom-soci

そこで、比叡のプラモも確かあったので取り出してみた、

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これが、フジミ模型が木製の艦船模型を発売した頃の模型店用ポスター、

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そう、戦艦比叡は昭和天皇の御召艦であった、

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戦艦比叡のプラモの中でも最高に興奮するのがこの箱絵のフジミのプラモ、

ただ、どなたが描かれたのかは不明、どなたなのだろう、

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箱を開けると、はがき大の比叡のカードとミニカタログが入っている、

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部品がガタツカないように帯で押さえてあるのも嬉しい、

当時は箱を開ける時などは別にワクワク感とかなかった、しかし、半世紀以上も経った今、昔のプラモデルの

箱を開ける時はなぜかドキドキしてしまう。

三和模型 スターリン

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箱がボロボロの三和模型の戦車プラモが出てきたので、部品が揃っていたら組み立ててみようと箱を開けて

みた、

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アッ、ギアボックスがない、

それにしても、このスターリン戦車、どこかで見たような、

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ゴムキャタピラはまだまだ大丈夫、ほとんど劣化していない、

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このキャタピラは切れているわけではなく、繋ぎ合わせるようになっている、

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実は、同じ三和模型のこの「モンスター」とまったく同じものである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69235191.html

このモンスターの箱がどこに置いたやら見つからない、そう、あの細長い箱、

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このように、まったく同じもの、ただ戦車名を違えただけのもの、

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転写マークもまったく同じ、

さて、この「スターリン」と「モンスター」、どちらを先に発売したのだろう。

押し入れの奥から箱を探し出した、

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「モンスターM63」の箱がコレ、 英文なのでこれは輸出向けだったのだろう、

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組み立て説明図はスターリンとなっている、

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日本文のものとまったく同じ、

おそらく、輸出向けのものを箱だけを「モンスターM63」として発売したのかもしれない。

マルサン 1/700 空母信濃

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さて、マルサンの艦船プラモを作ってみよう、マルサンの艦船プラモを作るのは今回が初めてである、

そう、子供の頃も作ったことはない、そもそも子供の頃はマルサンのプラモデルは1個も作ったことがない、

マルサンのプラモデルはほとんど見た記憶がない、それは、マルサンには動くプラモデルがほとんどなかった

からであった、おそらく、マルサンは動くプラモデルが苦手だったのだろう、

マルサンが怪獣プラモや宇宙SFプラモを発売するまでモーターライズの戦車プラモはたしか1個だけだった、

スケールものはほとんどが動かないプラモばかりであった、

マルサンのモーターライズといえば動力部分が簡単な艦船プラモだけであった、

それらのプラモデルの金型にしても当時マルサンの職人が作っていたかどうかも怪しい、

その根拠はというと、・ ・ ・ ・ ・

いや、それがここではまだ言えない、言いたいが、絶対に口外しないことを約束にあることをコソッとあるお方

から教えていただいた、それを聞いた時少しばかり衝撃を受けたが、ある謎が解けた気もした、

そのことは「マルサン物語」等にも出てこない、はたしてご存じの方はいらっしゃるのか、

アッ、いらっしゃる、そのお方とは、オッと、これも言えない、正確に言うと当然のことご存じであるがそれを隠し

ていらっしゃる、ということ、まあ、皆さんもそのお方はご存じのはずだが、そう、あの某職人さん、

もちろん、それをお聞きしたそのお方には念のために僕の氏名、住所、電話番号、何者なのかは伝えてある、

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さて、今回作るのが「空母信濃」、 そう、前回紹介した上箱のないプラモである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72159332.html

これも先日紹介した「そば食いブースカ」同様、そのままでは絶対に動かない設計になっている(笑)

それは、初っ端からつまづいてしまう、

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使用モーターはマブチ02型となっている、

が、ご覧のように02型はシャフトは前方にして出ていない、後方にも出ている両用シャフトではない、

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だから、ジョイントが差し込めるはずがない、

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なので、03型の両用シャフトを使用した、もちろん、台座の固定穴も合うはずがなく接着している、

念のために02型の台座の穴は合うか試してみたが、まったく合わない、もういい加減としかいいようがない、
    
                                                  <続く>





                                               

マルサン 1/700 空母信濃

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スクリューシャフトの穴にはポマード溜まりがない、これでは直ぐにシャフトの穴から浸水して沈没してしまう、

普通なら、ポマード溜まりが必ずある、

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例えばこの三共の秋月にしても、

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ちゃんと、ポマード溜まりがある、

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そして、笑ってしまうのがこのスクリュー、大きすぎて船底に当たってしまう、舵にも当たってしまう、

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船底どころか、スクリューどうしも当たってしまう、

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そこで、スクリューをヤスリで削って小さくして、舵も削って小さくした、

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スクリューシャフトの溝にポマードを詰め込む、密封する蓋がないので水に浮かべるとポマードは浮いてくるか

も、(笑)

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ところで、この煙り出し装置は煙が出るのだろうか、 もう56年は経っているから 、 出るわけないだろう、

いや、ひょっとしたら出るかも、     <続く>

マルサン 1/700 空母信濃

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煙は出るのだろうか、電池を2本繋いでみた、

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ニクロム線は光っている、

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しばらくすると、チョロ、チョロ、と煙が出てきてすぐに出なくなった、

おそらく、油を浸した芯が干からびているので最後の油が燃え尽きたのだろう、

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そこで用意したのが、この自転車用のオイル、これを使ってみよう、

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穴からチョロチョロとオイルを注ぐ、芯に充分に染み渡るまでしばらく時間をおいて、電池を繋いでみた、

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おお~、出てきた、

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ドバドバッ、と出てくる、

実は電池は2本の3ボルトが限界、3本繋いで4、5ボルトにするとニクロム線が焼き切れてしまう、

そのことは以前に試してみた、

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設計図ではこのようになっている、

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プロペラで煙り出し装置の穴に送風するようになっている、         <続く>

マルサン 1/700 空母信濃

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ところで、業界50年史DVDのデータではこのマルサンの空母信濃の発売は昭和38年12月発売となっている

のでそのように思っていたが、

ところが、説明図の鉛筆書きには、


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昭和38年8月18日の賞品でもらったようになっている、

まあ、そのような細かいことはどうでもいいと思いつつ、模型新聞で確認してみたら、

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                                (昭和38年7月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
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昭和38年7月の模型新聞には広告が載っている、なので、8月18日に賞品でもらったことには間違いないだ

ろう、

ただ、日本模型新聞にはこのシリーズの艦船プラモに関する記事は見当たらない、これらの広告のみである、

ついでに、次の広告をご覧いただこう、


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                   (昭和38年6月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
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「セイバー」もこの時期に発売されている、これは当時僕は買ったことがないが、雑誌「丸」の広告を見ただけ

で、これはなんという精密なプラモだろうと驚いた記憶が残っている、それまでに見たことのない航空機のプラ

モであった、買わなかったのは動くプラモではなかったからである、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71322932.html

それにしてもなぜ、当時マルサンが時々このような出来のいいプラモを発売することができたのか、

まあ僕の妄想であるが、マルサンの職人が金型を作ったのではなく他の職人さんが金型を作ったのだろう、

いや、ハッキリ言うと、まんざら僕の妄想でもない(笑)、    

さらに次の広告をご覧いただこう、

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                (昭和38年2月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)
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マルサンはこの時期に値段を下げている、400円も出せば動くプラモデルが買える、

今更言うまでもなく、当時の子供達は動くプラモデルを求めていた、今の時代のように動かなくてただ精密さを

求める時代ではなかった、 おそらく当時の動かないマルサンのプラモデルは他のメーカーに比べてあまり売

れなかったのだろう、だから値下げするしかなかった、

この時期の模型新聞の記事を見てもマルサンに関する記事はほとんど見当たらない、

そう、マルサン以外のメーカーの記事ばかりでマルサンに関する記事はほとんど見当たらない、

マルサンのプラモデルが脚光を浴びるのはまさにSF,怪獣ブームの時からであった、

アッ、ついマルサンのことになると熱が入ってしまうから困ったものである、

それは何度も言うようにプラモデルの歴史をマルサンが歪めてしまったからである、そして、今も歪め続けてい

るからである、

最近もどこかのイベントで嘘を垂れ流していらっしゃるらしい、

「ノーチラス号を開発する時、プラスチックという素材も見たこともなく初めてのものだった」 と、いまだに嘘と

いうか妄言をおっしゃる当時のあの職人さのトークには笑ってしまった、 そう、、プラスチックの歴史も嘘で

歪められている、それを真面目に聞いている方々にも笑ってしまう、

空母信濃に話を戻そう、

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さて、このような装置で煙りが煙突から出てくるのだろうか、

発煙筒の口にファンで風を吹き付ける?だけである、

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電池受け金具を差し込む溝がない、

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まあどっちみち電池も入らない、

いずれにしろ、水に浮かべて走らせるのは無理なので、せめて煙突から煙だけでも出してみよう、


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ホームセンターで買ってきたチューブを発煙筒の口に取り付ける、

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チューブを煙突まで伸ばす、

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う~ん、これで煙突から煙が出てくるのか疑わしい、  <続く>


マルサン 1/700 空母信濃

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単3電池は収まらないので後日単4電池ボックスを設置しようと思っている、

そこで、とりあえず煙が出るかどうか電池を繋いで試してみた、発煙筒用に電池2本、モーター用に電池1

本を使用するようになっている、

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チョロ、チョロ、と出た、 出ないだろうと思っていたので出ただけでも成功といえるだろう、

すると、「アンタッ、大変!! 煙が出てるよ!!」と、誰かさんが叫んだ、

何を大げさなと思ったが、この煙のことではなかった、

ベランダの正面の外を指さすので見てみたら、



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これは大変、すぐに消防車が集結して消火を始める、

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1時間ほどで鎮火、う~ん、最近はすぐ近くの市場での大火があったばかり、

高齢になってくると特に火の元には充分に気を付けなければならない、そう、鍋の煮炊きの消し忘れ、よくガス

の火のつけっぱなしで焦がすことがある、家を出る場合はガス、電気コード、スイッチ等の指差確認をして出

かけるようにしている、以前は石油ストーブをも使用していたが今は絶対に使わない、

再び空母信濃の作業を始める、

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スイッチはスライド式、スイッチを左にスライドさせると入り飛行甲板の留め金にもなる、

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電池ボックスの箇所を残してこれで一応完成、船体はまだセロテープで貼り合わせている、

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対空機銃、高角砲がハリネズミのように設置されている、

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あとは、単4電池ボックスを買ってきてそれを設置してスイッチに配線すれば完成となる、

水には浮かべては走らせない、すぐに浸水するだろうから、

ポマードを詰めてはいるが、密封する蓋がないのでスクリューを回転させるとシャフトの遠心力でポマードがス

クリューシャフトに密着しない、なので空間が出来てしまう、

台座に乗せてスイッチを入れて、スクリューを回転させ煙がチョロ、チョロと出るのを楽しめばいいだろう。

大滝製作所のF104Jジェット戦闘機の煙り出しは、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69630258.html

軍部御用達の朝日新聞では、

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左系の嘘と偏向報道で有名なマスコミといえば朝日新聞(テロ朝を含む)だろう、戦前から戦時中にかけては

軍部とグルになり、その御用記者として負け戦にもかかわらず勝ち戦のごとく嘘の報道を垂れ流し、戦意を煽

り続けていた、しかし、終戦後は手の平を返すがごとく日教組等と手を組み日本を貶めてきた、

その代表的なものがいわゆる従軍慰安婦だろう、たった一人のデタラメで嘘の証言者の言葉を利用して世界

に捏造した歴史を発信してしまった、その誤りは真実の証拠を突きつけられてやっと認めた形になってはいる

が、世界に向けてはその誤りを発信していない、今、韓国との慰安婦問題も元を辿れば朝日新聞にその原因

があり、そのことは忘れてしまったのか、まるで他人ごとのように報道している、

新聞購読者数は全体的に段々と減少しているという、そう、インターネットの普及により若い方々はわざわざ

新聞をとる必要がなくなってきている、それと、インターネットのほうが様々な報道、考えを知ることができ本当

の事実はなんなのかを知ることができるので、新聞をとる意味がない、今後益々新聞の購読者数が減るのは

間違いないだろう、うちのマンションの奥様方も言っていた、今まで朝日新聞を購読していたが、考え方が物

凄く偏って読むのが嫌になったので別の新聞にしたと、別の新聞とは特にその新聞のかたをもつつもりはな

いが読売新聞だと仰っていた(うちも読売新聞)、アッ、そうそう同類項に毎日もあった、新聞もそうだがテレビ

の「サンデーモーニング」も酷い、僕もたまにどういうことを喋っているのか怖いもの見たさに観ることもあるが

途中でそのお花畑で話すような内容に嫌気がさしてすぐにチャンネルを変えてしまう、

さて、その朝日新聞社は戦時中に戦意高揚のためいろいろな軍事科学雑誌を出版していたが、その中の一

つに次のものがある、


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昭和19年11月に出版されたものである、大戦末期になると各国はいろいろな決戦兵器なるものを開発し実

戦に投入している、それらの決戦兵器なるものを解説したものであるが、その中にドイツ軍が投入したもので

有名な「V1号」と言う兵器がある、そう、ロケット爆弾のようなものである、今更僕が説明するほどではなく皆ご

存じだろう、大戦当時の日本ではその兵器はどのように知られていたのだろうか、

この著者の浅田常三郎さんはソニーの創業者の盛田さんの恩師だったらしい、

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この中に「V1号」のことが出ているのでご参考までにどうぞ、

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日本初のリモコン式艦船模型は、

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リモコン式といえば大体が戦車、自動車、ロボットだろう、

しかし、艦船模型にもリモコン式のものがあったことはすでに過去の記事でも紹介しているとおりである、

では、その日本初のリモコン式艦船模型はなんだったのかというと、これもすでに紹介しているが昭和31年

3月頃に発売されたフジミ模型、アオシマ、静岡理工社が発売した艦船模型であった、

その3社のうちどれが一番先なのかはわからない、とにかく同時期にいっせいに発売されたらしい、


それらの現物はいまだに見たことも確認したこともない、

以下、再度確認の意味でも紹介しておこう、

そして、プラモデルとしての日本初はフジミ模型が発売した「戦艦大和」、「戦艦武蔵」、であった、

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艦船ものは組み立てると保管に困ってしまう、ちょっとでも指がマストなどに触れると折れたりぶすので神経を

使ってしまう、しかたないのでこのようなケースに入れて保管している、

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数年前に組み立てたフジミ模型のリモコン式の戦艦大和、もちろん色は一切塗っていない、

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ちゃんと水兵さんも付いている、水兵さんが付いているのはこのフジミ模型だけだろう、

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動画のとおりこのリモコンによる舵は確実にスムーズに作動する、

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ただ、リモコンコードは10メートルと長い、だから電気抵抗により電流が流れない、5メートルくらいにしないと

いけない、

それから、このリモコンボックスはタイガータンクのリモコンにも使用されている、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70792064.html


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組み立てたあとの残骸が豊富、捨てるのがもったいないのでライナー、タグ、挨拶状など全てとってある、

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同じケースに入れているこの完成品の戦艦は「マルコ模型店」で譲ってもらったもの、もう22年くらい前になる

だろうか、毎月1回は必ず立ち寄ることにしていた、あの頃が懐かしく思えてしまう、

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そして、最近の?リモコン式のボートとしてはアオシマから発売されていた、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/72065221.html

これは組み立てたことはまだない、実際に走らせてみても水の中を追いかけていくのが大変だろう。





マルイ セスナ水上機を、

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僕が今まで組み立てた水上機はこの2機、


       オッタ―号 https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70178416.html  

今度は、マルイの「セスナスカイホーク フロートプレーン」を作ってみよう、

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モーターでプロペラを回せるようになっているが、元々これは水上を滑走させるようにはなっていない、

そこで、無謀?な試みとして水上を滑走できるかどうか試してみたくなった、

多分ダメだろうとは思うがものは試し、やってみる価値はありそう、

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まづは、フロートが浮かなければならない、浴槽で浮かべてみた、

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おお~、楽々浮いた、     <続く>
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