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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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完成品収納箱を、

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プラモデルを組み立てるとその保管に困ってしまう、そう、箱なら積み上げることができるが、完成品はそうは

いかない、平面にしか置けないのでスペースをとってしまう、

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今回は、ニチモの水陸両用車バロンの収納箱を作った、ボロイ箱があったのでそれを利用して作ってみた、

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これで持ち運びも楽になる、そう、展示会などで車に積んで運搬する際もプチプチの梱包材にくるむこともなく

段ボール箱の中にもこのまま積み込むことができる、押し入れの中にも積み上げることができる、

オリジナルの箱を壊すのはもったいないので箱をコピーして作るのもいいだろう。

フォームプラ製の飛行機模型

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昭和35年頃、フォームプラという素材の飛行機模型が流行ったことがあった、

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                                       (昭和35年10月号 日本教材新聞)

フォームプラとは何?  早い話が発泡スチロールのことだろう、

三和模型の広告が載っている、「本邦初」とあるが何か怪しい、

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その三和模型の発泡スチロールの飛行機模型で持っているのはこの一つだけ、

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この接着剤は初めて見る、

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フォームプラ専用の接着剤らしい、そう、専用のものでないと溶けてしまう、

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過去の記事でも紹介しているように、その時代の発泡スチロールの飛行機がコレ、

これも世界初、とある、

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ところが、これのメーカーの詳しいことは未だにわからない、AP商会とあるもまったくわからない、

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そうそう、三和模型の世界初のものでこのライトプレーンがあった、

これもハッタリの広告、いつも言うようにこの時代は嘘、ハッタリ、の広告が当たり前ということ、

マルサンの事例でもわかるだろう、

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アメリカでも発泡スチロールの飛行機模型が流行っていたようで、

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アメリカのどこのメーカーなどは一切わからない、学のない僕なので英語が読めない、

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ゴムで飛ばすものらしい、そういえば、子供の頃、駄菓子屋で厚紙製の飛行機をゴムで飛ばして遊んだ記憶

が残っている、

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にしき屋の木製洋上模型

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艦船の洋上模型といえば渥美産業だけでなく、にしき屋にもあった、

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たしか木製のものがあったはずと押し入れの中から取り出してみると、あった、

プラ製の前の木製のものである、

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教材物はガサガサとこのように入れているものだから、どこに保管していたのか忘れてしまう、

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にしき屋の豆軽巡神通、あまり聞きなれない軽巡の名前、

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縮尺は1/791 なんか中途半端な縮尺となっている、

これは子供の頃も作ったことはない、まあ今の70歳代のお方なら作られた方がいらっしゃるかもしれない、

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そうそう、にしき屋ではこのような物も発売していた、

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昭和34,5年頃の戦記雑誌 「丸」にはこれらの「にしき屋」の製品の広告が載っていた、

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これは、1/1000 のエルエスの木製洋上模型、

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もちろん、これらも子供の頃は作ったことはない、

エルエスにもこのような洋上模型があったことすら知らなかった。

ルノーFT戦車

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僕が持っている一番古い戦車模型がこのルノーFT戦車、  ルノーFT戦車で間違いないだろう、

もうこれ以上古い戦車模型は持ってない、


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紙製の当時の雑誌の組み立て付録である、 コロコロと転がして遊んだのだろう、

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具体的に昭和何年何月の付録だったのかはわからない、昭和一桁の初期の時代であったことは間違いない

だろう、

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戦前、戦時中はこのような紙模型がずいぶんと流行った。

ハセガワ ウォーカーブルドッグ

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実は、ヘンなサイトを誤ってクリックしたところ、突然パソコン画面中央に現れた、

そう、アダルトサイトの画面である(笑)、そう、入会登録されたので料金を振り込め、と、

これはヤバイとその画面を消したところ、消しても消しても数分おきに現れてくる、

シマッタ!! と思ってもクリックしてしまったのが悪い、そう、ヘンなわけのわからないサイトはクリックしては

いけない、僕としたことが迂闊にも仕出かした、そう、このパソコンはうちの誰かさんもよく使う、

それこそ、言われてしまう、 「アンタ!! 何かエロイものを見てたんでしょ、」と、 (笑)

「ハイ、そうです」 と言うわけにもいかない、

しかし、その消し方がわからない、ネットで調べてみるとそれを消して駆除する専門の業者もいるらしい、

パソコンなんてまったくのド素人だからもうお手上げの状態であった、そう、ブログを書くのが精一杯の僕であ

る、しかし、なんとか駆除して消そうと思って、ネットでその駆除の仕方を調べてみた、

まあ、いろいろと検索していたところ、無料の駆除ソフトが見つかった、ただ、そのソフトがまたヘンなものだっ

たら余計にややこしくなってきる、よ~く調べてからそのソフトをダウンロードして、そのエロイサイトに試してみ

たら、おお~、無事に駆除成功!! もう現れない、やっと一安心という次第であった、もう朝から疲れてしま

った、そこで気を取り直して、


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今回、組み立てるのがこのハセガワの「M41ウォーカーブルドッグ」である、

ただ、キャタピラが欠落している、 ゴムキャタピラなら自作すればいいが、これはポリキャタピラとなっている、

さすがにポリキャタピラは自作できない、 よ~し、それならば、と、

実は、     <続く>


ハセガワ M41ウォーカーブルドッグ

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ハセガワのモーターライズ戦車プラモは意外と数が少ない、おそらく生産数も少なかったのだろう、

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さて、このハセガワの「M41ウォーカーブルドッグ」はいつ頃発売されたのか、

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日本模型新聞の記事によると、

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                       (昭和39年2月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

発売予告のこの記事によると、昭和39年2月中旬となっている、リモコン版も発売とある、

そして、対空自走砲フラッグワゴンも発売とある、

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              (昭和39年3月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププラス監修済)

そして、リモコン版は3月15日に発売されたとある、そのリモコン版は僕は未だに見たことがない、


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          (昭和39年5月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

フラックワゴンは4月下旬に発売された、

実は、この後に「M4シャーマン」も発売された、

さてさて、組み立てに入ろう、

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リモコン版も発売されたので、ギアボックス取り付けようのビス穴も2個空いている、

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実は、クラウンギアのシャフトが左右に動くので外から金属板で押さえて左右に動かないようにした、

モーターのピニオンギアは金属製ではなくプラギアにしてある、ギアボックスはビス止めなので取り替えは容

易にできる、

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実は、キャタピラがない、ゴムキャタピラではなくポリキャタなので自作ができない、

こうなったら代わりの物を探すしかない、

探していたらアッタ、  ひょっとしたら、これならピッタリと合うだろう、と起動綸に架けてみたらまさにピッタリ、

そう、これならピッタリと合うはずである、合わないはずがない、     <続く>

ハセガワ M41ウォーカーブルドッグ

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これで完成、あとはポリキャタピラだけとなった、

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そのポリキャタはこの起動綸の溝の凹にピタッと食い込まなければならない、

それにピタッと合うのはあるのか、

実を言うと、ある、

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それが、この舶来物のUPCのフラックワゴン、ん、どこかで見かけたような、

そう、実はこのフラックワゴンはハセガワのフラッグワゴンをディスプレイ化したもの、

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当然、ポリキャタピラも同じはず、

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ピタッ、と凹部分に食い込む、

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もちろん、ボディーも共通仕様、

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転輪等の位置も同じ、

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この完成写真はハセガワの完成写真と同じもの、

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そのポリキャタピラを使って無事に完成、     <続く>


ハセガワ M41ウォーカーブルドッグ

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大滝製作所のM41と比べたらその出来は比べようがない、大滝の場合はスケール性などまったく関係ない、

大滝の場合は、M3ブルドッグ、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/71819760.html

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単2電池2本を使用、これは特にギミックは付いていない、ただ走るのみ、

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実はこれはポリキャタピラで架けてみると少しキツイ、かなりキツイ、ゴムキャタピラなら伸びるがこれは伸びな

い、そこで、ギアボックス取り付けのビス穴を広げてギアボックスがスライドできるようにした、そう、これでポリ

キャタの張りの調整が出来る、

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タミヤのリモコンのM41と比べてみよう、

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肉眼で見るとその大きさの違いがよくわかるが、カメラではよくわからない、

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上から見るとボディーの幅、長さの違いがよくわかる、

動画はちょっとお待ちを。


ハセガワ M41 フラックワゴンの箱絵

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ところで、収集家のお方からハセガワのM41ウォーカーブルドッグ リモコン式の画像をお借りした、

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これが、そのリモコン式の箱絵、鮮やかな色合いでまさに昭和のプラモの戦車の箱絵といえる、

もちろん、僕も初めて見る、

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そして一緒に、フラックワゴンのリモコン式とシングルの箱絵の画像もお借りした、

この中で、特にM41ウォーカーブルドッグのリモコン式の箱絵の画風はどこかで見たような

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そう、レンウォール社のパットン戦車の箱絵の画風にそっくり、

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東宝模型のパットン戦車の箱絵はそれを真似たものだろう、

ということは、ハセガワのM41ウォーカーブルドッグ、の箱絵も同じ方が描かれたのだろう。

東宝模型M47パットン戦車 https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/69249623.html

戦前の艦船模型は、

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木製キットでさえまだ少なかった頃、当時の青少年達は自分で木製の材料を揃えて作るしかなかった、

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これは、昭和10年の艦船模型の作り方と設計図が記載されている、当時多くの青少年達が購読していた「子

供の科学」が編集したもの、

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これは、空母加賀、まだ三段式飛行甲板の頃の写真である、艦橋がなく煙突が最後尾に連なって煙を吐いて

いる、

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作り方が書いてあるが、まあ今これに基づいて作るとしてもかなり難しい、

木製の材料を揃えて削ったり、切ったり、くりぬいたり、と大変な作業だろう、

家の中にいても今のようにテレビも、ゲームも何もない時代、最高の趣味?といえば模型作りしかなかったの

かもしれない、それと国も模型工作教育を奨励していたので子供達の間にも浸透していたのだろう、

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そうそう、三段式飛行甲板の模型といえば、紙模型のやつで作ったものがあった、

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すでに紹介しているこの三段式飛行甲板の空母の紙模型、

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これは、昭和17年の金属製の玩具類が生産できなかった頃の紙模型であった。

走行音で一番好きな、

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僕が今まで作って遊んだプラモで、走行音がいいのはなんだろう、

いろいろと思い出してみたが、僕としては清水模型の「宇宙水陸両用車ストレンジャー」である、

まあ、人それぞれ好みの問題だろう、


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浮袋代わりのキャタピラは空気を入れても10分くらいで抜けてしまう、

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これは地上走行用にゴムキャタピラを自作したもので意外にもスリップすることもなくちゃんと走ってくれる、

もう一度、その走行音をお聞きいただきたい、

何と言っても、低音のエンジン音?の響きがいい、


遊んだ後は、ケースに入れて押し入れの中にぶっこんでおく。

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終戦間近で物資も乏しくなると、

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終戦間近で物資が乏しくなると出版物も極端に薄くなり紙質も荒くなってくる、

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これらは昭和20年、1月号、2,3月号である、

もう色刷りはできなくなる、紙質も極端に悪くなってくる、

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この頃になるとすでに敗戦は確定的であり、日本軍の戦況についてはほとんどその記事はない、

そう、負け戦の記事なんて書けるわけがない、

その代わり記事の中心は秘密兵器、未来兵器のものががぜん多くなってくる、

それらの記事の一部を載せてみると、

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まあ、とても当時としては実現性のない秘密兵器であった、それらの秘密兵器で一発大逆転の妄想を抱いて

いたのかもしれない、

ところで、ちょっと調べものをしていた、

その頃、ドイツでは虎戦車(キングタイガータンク)が活躍し無敵を誇っていた、その虎戦車に対抗できる戦車

はいなかったという、 模型戦車でもキングタイガータンクは圧倒的な人気を誇っている、

さて、そのキングタイガータンクの活躍のことが戦時中の日本に伝わったのはいつのことだろうか、

つまり、雑誌等にその記事が載ったのはいつ頃のことだろうか、その調査を依頼されていたので調べてみた、

当時の戦車のことなら「国防科学雑誌機械化」しかない、

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昭和19年1月号の「国防科学雑誌機械化」 この中で最初にその虎戦車の記事が載っている、

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確認した限りではこの記事が当時日本に虎戦車のことが商会された最初の記事である、

そして昭和20年2,3月号の機械化の記事の中では、もっと詳しい記事が載っている、


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6号虎戦車となっている、

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その虎戦車に対抗する戦車としてアメリカのM1重戦車がいたらしいが、未だ戦場には現れず、とある、

はたして虎戦車とM1重戦車は戦ったのだろうか。


幻の東京オリンピックの頃、

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阪神淡路大震災から23年、昨日のようにも思えるし、もう23年も経ってしまったのか、とも思う、

その瞬間は、僕は須磨海岸を走る電車の中であったが電車はその直撃を受け激しい振動とともに大きく左右

にローリングしながら走り無事に緊急停車することができた、幸いなことに脱線転覆することなく停車できたこ

とは今思うと奇跡に近かったのかもしれない、それとも僕の悪運が味方したのかもしれない、

その頃、関西には地震は来ないというのが定説?となっていた、誰も神戸に地震が来るなど想定すらしなかっ

た、そう地震学者でもわからなかった、まさに神のみぞ知る、である、

しかし、その神もそれを教えてくれることはない、 この世に神は存在するのか、それさえも疑ってしまいたくな

る。

阪神淡路大震災からの20数年という歳月は世の中を大きく変えてしまった、当時僕はまだ40歳代前半でま

だまだ若かった、ちょうど今の趣味に目覚めた?頃だった、今のようにのめり込むなど思いもよらなかった、

そう、20年という歳月は人間でさえ大きく変えてしまう、

さて話は代わって、2,020年には東京オリンピックが開催されることになっている、

実は、東京オリンピックの開催が決定されたのは今度で3回目である、今回が3度目、昭和39年の東京オリ

ンピックが2度目、そして1度目が昭和15年であった、しかし、それは支那事変等の影響で幻の東京オリンピ

ックとなってしまった、それからその20年後、再びアジアでの有色人種の国初の東京での開催が決定した、

その20年の間、日本はまさに激動の時代であった、戦争、終戦、終戦からの復興、

日本は大きく変わった、そう、20年もあれば世の中は大きく変わってしまう、

その幻の東京オリンピックが決定したのは昭和11年のこと、

決定してすぐに東京オリンピックに関する書籍は出版された、


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昭和11年9月出版となっている、決定が7月末なので直ぐに出版されたのだろう、

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あの実況アナウンサーが絶叫したというあの名セリフ?「前畑頑張れ!!前畑頑張れ!!」の前畑選手の当

時の写真が載っている、

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大日本体育協会専務理事が、陸軍中将というのがその時代を物語っている、

その頃は、東京オリンピック決定を祝うように5輪の旗が使われている、

模型のカタログの表紙にも、

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もちろん、このカタログも開催決定が決まった昭和11年のもの、「にしき屋飛行機店」のもの、

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カタログの一部を紹介すると、

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この頃にはマグネット模型モーターもすでに発売されている、

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この時代において、その数年後に世界大戦が始まり日本が徹底的に打ちのめされ焦土と化すことは誰が予

想しただろうか、

そして、その焦土化された日本が急速に復興し、15年もたたずして東京オリンピックが決定し昭和39年に開

催されるということは終戦当時は誰が予想しただろうか、

3度目の東京オリンピックはあと2年後となった、 今どれくらいの進捗状況なのかは最近のメディアはほとん

ど報道してくれないのでわからない、まあ、皆が興味をひくようなバラエティー、しょうもない芸能ニュース、今

の政権だけを批判する反日メディア、ばかりが主流を占めている、

まあ僕の妄想で「お前アホか」、と言われそうだが、無事に東京オリンピックは開催できるのか、

もちろん国内的には特に問題はないが、外的な要因、そう、中国がちょっかいを出してくるような気がしてなら

ないのである、

仮に僕が中国だったら開催の前年の年にちょっかいを出したくなる(笑)

そう、尖閣に、今の政権ならそのことは当然想定のうえ対策等は考えているとは思うが、

昭和15年の幻の東京オリンピックにならないことを願うばかりである。

スケッチブック

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僕らが中学生の頃、このようなスケッチブックがあった、これは小松崎画伯が描いた戦艦大和が表紙になった

もの、当時は戦記物が流行っていたので小松崎画伯以外にも高荷義之画伯、梶田達二画伯、前村教綱画

伯、伊藤展安画伯、等、の戦記物の絵であふれていた、

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これに色鉛筆で色を塗るようになっている、

頁をめくってみると、

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僕が書いたものではない、おそらく今では60歳代後半になった方が子供の頃、小学高学年か中学生の頃書

かれたのだろう、

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おそらく、少年雑誌の口絵か何かを見て書かれたのだろう、

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これは、ゲルマラジオか何かの配線図を書かれたに違いない、

ということは、ラジオ少年でもあったのだろう、そう、当時は模型工作だけでなく、ラジオにも興味をもつ少年が

沢山いた、おそらく、科学教材社の「模型とラジオ」の愛読者だったのかもしれない、

まあ、このようにして僕の妄想は膨らんでいくのである。

ベークライト製のトイガン

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今回はプラスチック(合成樹脂)の一種であるベークライトのトイガンについて紹介しておこう、

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これは、増田屋の通称「コンドルガン」といわれていたトイガン、昭和34年には発売されているのを確認してい

るので実際にはそれ以前の製品である、僕も小学生の頃に少年雑誌の通信販売の広告に載っていて欲しか

ったトイガンの一つであった、ただお小遣いでは買えなかったので入手することはできなかった、

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弾倉に弾丸を装填する、

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照準器付きのものもあった、

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実は、これはベークライト製で耐熱性がある、試しに熱したハンダコテを強く押し当ててもビクともしない、

そう、溶けない、普通のプラスチックだと当てたとたんに溶けるが、ベークライト製は大丈夫、

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マルサンのプラモデルが世に現れる頃までピストル玩具はほとんどがベークライト製であった、

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そう、これもマルサン製、なので、マルサンが合成樹脂、つまりプラスチックという素材が当時はまだ未知の世

界だったという証言は嘘、ノーチラス号を発売するずっと以前からベークライト製のものはもちろんのこと、プラ

スチック製の玩具類は製造され発売されていた、そう、戦後すぐにプラスチックなるものは世に現れていたこと

は過去の記事で何度も紹介しているとおりである、


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その時代の子供用カメラの「スタートカメラ」もベークライト製である、

ただ、ベークライトは衝撃に弱く脆い、ひび割れしたり欠けたりする、白くシミになったりする、

ただ耐熱性、絶縁性、があるので今でも電気系統などの部品やらにも多く利用されているらしい、


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トイガンがベークライト製からプラスチック製になったのは、昭和34年に発売された銀玉鉄砲の元祖である

「マジックコルト」ではないだろうか。

原子力空母エンタープライズ

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そういえば、ちょうど50年前の昭和43年の今日、アメリカ初の原子力空母エンタープライズが佐世保港に入

港した日であった、ITC社のプラモを取り出して撮影してみた。

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ITC社のエンタープライズの記事は、https://blogs.yahoo.co.jp/akasikogorou/70078020.html

サンダーボーイの発売までの謎

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今井科学のサンダーボーイは昭和37年11月に発売されたことになっている、

まあ細かいことなのでどうでもいいが、正確に言うと12月年末に発売された、もっと正確に言うと、全国の小

売店等に出回ったのは翌年の1月に入ってからであった、そのことについては過去の記事にも書いているとお

りである、つまり今井科学がまだ未完成で完成もしていないサンダーボーイの発売を見切り発車して11月

発売としたものであった、

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                                  (昭和37年11月号   月刊雑誌少年)

これは昭和37年11月号の月刊誌少年の広告、

広告のサンダーボーイの画像をよ~く見ると、気づいてしまう、サンダーボーイのことをよく知っている方なら

すぐに気づいてしまう、  そう、これは今井科学のサンダーボーイではないことを、


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近日発売、とある、

実は、これはアメリカのアイディアル社の「ロボット コマンド」、右肩の細長いシールが黒いので昭和36年頃

初版の「ロボット コマンド」をアメリカから取り寄せたのだろう、

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僕のはそのシールが赤色なので昭和36年以降のロボットコマンドとなる、

コマンドの画像を使って広告に出しているので、おそらくその時点ではサンダーボーイは完成していなかった、

その時点というのは昭和37年9月下旬ということ、もっと正確に言うと9月上旬、

当時、月刊誌は前々月の25日以降に発売された、11月号なら9月の25日頃発売されたということ、

ということは印刷等は9月の中旬までには終わらせないといけない、つまり9月上旬にはまだ完成していなか

ったということである、だから、間に合わせで「ロボット コマンド」の画像を使ったのだろう、

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                                  (昭和37年12月16日号 少年サンデー)
ここでは、新発売、とある、

これは、昭和37年12月16日の少年サンデー、この雑誌の発売日は12月初旬である、そう、週刊誌の発売

号は2週間ほど先の日付となる、

ということは、印刷等は11月末までには済んでいないといけないのでサンダーボーイの完成品は11月20日

前後のものだろう、しかし、今井科学はその時点で実際にサンダーボーイを発売してはいなかった、

新発売となっているこの広告は嘘であった、

おそらく、この広告を見てお金持ちの少年達はデパート、模型店に殺到?したのではないだろうか、

あるいは、クリスマスプレゼントとしてお父さんにおねだりしていたに違いない、

しかし、デパート、模型店にサンダーボーイの姿はなかった、今井科学には相当の苦情が届いたに違いない、

なぜ、サンダーボーイは予定通りに発売できなかったのか、なぜ、見切り発車してしまったのか、

それは、リモコンボックスにあった、この件については過去の記事でも書いているが、再度詳しく書いてみよ

う、


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なぜ、発売予定通りに発売できなかったのか、

それは、リモコンボックスがまだ完成していなかったからである、まだいろいろと不具合があり試作中であり、

いろいろと手直しをしていたものと思われる、

この広告のリモコンボックスは試作品のものだったのだろう、まったく発売されたものとは違っている、

そう、スイッチがダイヤル式になっている、

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最終的に完成した設計図がコレ、


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右横に昭和37年10月26日の日付が入っている、これが最終的なリモコンボックスの設計図である、

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まあ,11月中にはとても完成までには間に合わないだろう、これから金型を起こしてやったのではとても

  間に合わない、どんなに早くても12月中だろう、

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                                      (昭和38年2月号 少年)

これは、昭和38年2月号の広告、ということは、前年の12月初旬にはリモコンボックスは完成していないとい

けないが、その時点ではまだ完成していないので試作品のリモコンボックスが載っている、


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よ~く見ると、リモコンボックスの下には台座みたいなものが付いていて斜めになっている、

その台座みたいなものをなぜ付けているのかよくわからない、

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                                      (昭和38年4月号 子供の科学)

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                  (昭和38年4月号 子供の科学)

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このリモコンボックスはつまみダイヤルスイッチの他に2個の押し釦のようなスイッチも付いている、

そして台座も付いている、一体何個の試作品を作ったのだろうか、

それにしても、この広告を載せる頃はすでに発売されているのになぜ試作品のリモコンボックスを載せている

のだろうか、

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これは昭和38年版のカタログ、これも謎のカタログである、

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これはプラスチックだろうか(笑)、塗料が剥がれているような、もともとが赤の成型色なので色を塗るはずがな

い、

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これも同じく塗料がひび割れしているような、なにかザラザラした材質感がする、この正体は?

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それと、このリモコンボックスも最終的に発売されたものとは違う、38年2月号の少年の広告と同じリモコンボ

ックスとなっている、ひょっとしたら、初版の初版はこのリモコンボックスだった可能性もあるが、

それと、車輪にはゴムキャタピラが付いていない、

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そして、これが昭和39年版のカタログ、

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この昭和39年版のカタログでやっと本来のリモコンボックスと本体の画像になっている、

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もちろん、設計図は本来のリモコンボックスとなっている、

とにかく、サンダーボーイの発売までの経緯には謎が多すぎる、

なおある噂によると、サンダーボーイ本体のスケルトン、つまり中の動く構造が見えるように透明プラのものが

試作か何かで作られたらしく、それを今井科学関係者のお方が今も所有されているらしい、という話を聞いた

ことがあるが、真偽のほどはわからない、      <続く>




サンダーボーイの発売までの謎

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                            (昭和38年1月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この昭和38年1月5日の広告を見ると、リモコンボックスは最終型のものとなっているので12月中旬から下

旬には出来上がっていたものと思われる、

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               (昭和38年1月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

この記事も火星人さんが書かれたもの、サンダーボーイはクリスマス商戦には間に合わず、年末の31日には

到着したがそれもたったの1個だけだった、とある、


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          (昭和38年1月25日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

ここに今井科学の言い訳の広告が載っている、まさかリモコンボックスの手直しに手間取ったなどとは書ける

わけがない、

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              (昭和38年2月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

ここでもサンダーボーイのことが話題にあがっている、

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                (昭和38年2月5日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)


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             (昭和38年2月15日 日本模型新聞 ㈱ジートッププレス監修済み)

2月15日の広告を見てみると、


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まだ試作品のダイヤル式のリモコンボックスを使っている、

おそらく、試作品段階の完成品の画像を使いまわしていたのだろうと思うが、

いや、ひょっとしたら、何個くらいかその試作品のリモコンボックスも出回っていたのかも(笑)。

少年雑誌には戦記物の付録が

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僕らの時代の少年雑誌には必ず戦記物の小冊子が付録として付いていた、

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月刊誌の「少年」にはこの「少年ゴールデンブック」という小冊子がシリーズものとして毎号付いていた、

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その裏表紙にはプラモデルの広告が必ず載っていて僕らはそれを情報源としていた、

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そして、通信販売として、「戦車の本」と、「零戦のすべて」という2冊の冊子が50円で販売されていた、

そう、出版社の通信販売部に50円分の切手を送って購入するものだった、

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その高荷義之画伯が描くところの「零式艦上戦闘機のすべて」と、「戦車の本」がコレ、

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「少年」だけでなく他の社も戦記物小冊子を付録として付けていた、

これは、「ぼくら」の付録、

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今はこのような絵を描かれる絵師の方はほとんどいなくなってしまった、

今の絵はあまりにも精密でコンピューターグラフィックみたいで動きがない、

昔の絵師が描かれるものには動きがあった、躍動感みたいなものが感じられた、

それは、プラモデルにもいえることだろう、あまりにも精密さを求め動くということは省かれている、

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これは、「冒険王」の付録、パノラマシリーズとしてこのような大きなものを付録として付けていた、

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しかし、このようなものを見て喜ぶのは僕らの年代の時代で終わりになるのだろう。

今井科学 接着剤マイボンド

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今井科学はプラ用の接着剤として「マイボンド」という接着剤を50円で発売していた、

その50円売りの接着剤は当時の模型店等でも見かけたことはない、今もって見つけたこともない、

ただ、このケースだけ、 仕方ないので駄玩具みたいなプラモを入れている、


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この中から「マイボンド」を探してみると、

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キットに付属していた「マイボンド」、これしか見たことない、

さて、「マイボンド」はどこの会社が製造していたのだろうか、と、マイボンドを見たら、

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エッ、製造元今井科学、とある、 本当だろうか?

今井科学も初期の頃はセメダインで製造されたものを使用していたようで、

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そう、製造元はセメダインになっている、

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まあ当時はセメダインをもじった名前を付けていた、

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ケーズの中に飾っていたのが、コレ、ヘリコプターバートル、どこのメーカーだったか、歳のせいで忘れた、

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これも忘れた、

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これは、忘れていない、ぱっと見だけでわかる、今井科学のミゼットリモコンシリーズ、

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あ~、~、これらも忘れてしまった (笑)

ところで、今井科学は「マイボンド」の名で売り出したが、接着剤で「ボンド」といえば有名な小西の「ボンド」が

ある、これがとても歴史が古く昭和27年頃にはちゃんと商標登録がなされている、

おそらく、今井科学はそのボンドにマイを付け足して「マイボンド」と名を付けたのだろう。
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