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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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もうお一方の場所を調べたが、

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まだまだ日本プラスチックのことについては謎の部分が多い、

その謎の一つが東大阪の時代のことである、

実は、日本プラスチック設立の際の取締役の方でまだ場所を特定していない方があった、

イメージ 1

この石見準次さんというお方、このお方の場所を特定するために当時の住宅地図で探してみた、

結果は見当たらず、住宅地図ではその自宅は確認できなかった、(ひょっとしてこの画像をご覧になったご家

族の方が、アレッ、これは俺の親父じゃないか、などと発見されるかも、と思ってあえて隠さないで載せた、ま

あそのようなことの可能性はほとんどゼロに近いが)

要するに、東大阪での詳細な活動の実態がまだまだ不明なのである、

特に知りたいのは、日本プラスチックの濱田さんが工場で何を生産していたのかということである、

100人もの従業員を使用して何のプラスチックモデルを生産していたかということである、

そう、ゼロ戦、ノーチラス号、フライングヘリコプター、それ以外の何のプラスチックモデルを生産していたかと

いうことである、濱田さんの東大阪での活動期間はわずか6、7年程度、その内、日本プラスチックという会社

での活動期間はわずか4、5年ほどである、

それらを全部引き払って東京に裸一貫同様でお兄さんのハマライトに合流した、そして、その後そのハマライト

から分離して今のOS工業さんを立ち上げた、なぜ濱田さんは東大阪で裸一貫同然になってしまったのか、

何度も繰り返すが、

濱田さんはその東大阪でのことはほとんど口に出されることはなかったという、もちろん、日本で初めてプラス

チックモデルを開発したことも話されることはなかったという、ただ、プラモデルを生産していたということと、

派手な生活ぶりのことしか話されることはなかったという、

当時その工場で100人ほど働いていたお方を探し出せば判明するが、まあ探し出すのは今となっては不可能

に近いだろう、

ただ、いずれそのことがある時突然に判明する可能性は残っている、

その可能性というのがどういう意味なのか、 このブログを毎日熱心にご覧になっているお方はおわかりにな

っていると思うが、そう、人の歴史には決して口に出したくないことがある。



※ ご参考までに、

  すでに過去の記事でも紹介しているように昭和30年代の住宅地図は当時すでに作成されている、

  ただし、大阪府下のみ、大阪府下であれば寝屋川市であろうが門真市であろうが作成されている、

  地域によっても違うが昭和34、5年頃からなら作成されている、ただネット上ではその会社は探せない、

  何らかの調査等で当時の住宅地図が必要な方は、06-6147-5788 へ問い合わせたらよい。
                                                                              ㈱コアズ

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