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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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和工の場所は、

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イメージ 1

〇 本社の住所  東京都千代田区淡路町1-9   電話 29-6864

〇 工場      東京都練馬区南町4-6265   電話99-2132

この電話番号が誰の名義になっているのか当時の電話番号簿で調べている、

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昨日までにやっと2割くらいまでやったがまだ見つからない、はたして載っているだろうか、

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その番号に近いものはある、この、99-2136  惜しい4番違い、

局番の99は当時は練馬区に割り当てられていたようである、99は全て練馬区になっている、

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これも惜しい、たったの2番違い、これも29局は千代田区に割り当てられていたようである、

今日も1行1行確認作業を行う、あと6日くらいはかかるかも、

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さて並行して「和工」がどこにあったのかそれも特定しなければならない、

もちろん、大体の場所ではなくそれこそ数メートルの誤差もなくピンポイントで、

東京の昭和30年代の住宅地図は存在しない、ゼンリンも昭和40年代に入ってから、

東京の国会図書館のサイトで検索してみたが昭和40年代の住宅地図はない、昭和50年代に入ってからの

ものしかない、まあそれでは大きく町も変わっているが少しくらいの参考にはなるだろうが、

そこで、大体の場所を掴むために用意したのが東京の都市計画図である、

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昭和36年の都市計画図、ネットで調べてみると昭和37年には東京では住居表示変更があったらしい、

この地図はその前のものなので役に立った、

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千代田区の全体図、さて、当時の淡路町1丁目は、

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淡路町1丁目は鉛筆で指しているところ、1の区画である、割と狭い、

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そして、練馬区は、

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練馬区南町4丁目は、練馬駅の北側、

イメージ 11

6265番地は鉛筆が指している当たり、

次は今ではどのあたりになるのか現在の地図でみてみよう、   <続く>

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