これは戦前の木製模型の駆逐艦イカヅチ(雷)、
もちろん、モーターライズではない、ディスプレイの模型である、
この時代の頃の軍艦模型ではモーターライズのものは僕が調べた限りでは見当たらない、そう、市販されてい
た模型は見当たらない、モーターライズにするとしたら自作するしかなかった、仮に自作するとしてもかなり大
きな模型になっただろう、なぜなら、今のように小さい電池、強力な小型模型モーターがなかったので、
日本理化模型製作所となっている、これはどんなメーカーだったのか僕にもまったくわからない、
当時はもう数えきれないほどの中小の家内工業みたいなメーカーがあったので今となっては調査することは
ほとんど不可能、資料等もまず残っていない、
作りは雑なものとなっている、
色の塗り方もこのように雑な塗装、
張られていた線も切れていたりしているので張り直そうと思っている、
朝日新聞の社旗もかろうじて残っている(笑)いや、訂正、軍艦旗である、
いまだに僕がわからないこと、それはなぜ反日新聞の朝日新聞がこのような軍艦旗を社旗として使用している
のか、なぜ韓国がこの朝日新聞の社旗を軍艦旗だと批判しないのか、あれほど自衛隊の軍艦旗を嫌って批
判しているのに朝日新聞の社旗を批判しないのか、まあ仲良しだということはわかるが、
ところで、この駆逐艦イカヅチにはあの有名な艦長のことが今も語り継がれているらしい、
そう、駆逐艦イカヅチの工藤俊作艦長のことである、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A5%E8%97%A4%E4%BF%8A%E4%BD%9C_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)
しかし戦後、工藤艦長はそのようなことは一切語ることはなかったという、家族でさえ知らなかったという、
ただ、戦争で亡くなった戦友達の冥福を祈り表に出ることもなく静かに暮らされたという、
本当の意味での偉人と称される方はそのような方を指すのかもしれない、自分の功績を自慢するわけでもなく
驕ることもなく、武士道精神を貫いて生きていく、まあ、こんなことを言う僕はすでに時代遅れ、
ただ、これはプラモデルの歴史の中においても同じことが言えるのかもしれない、
あの日本プラスチックの濱田さんもそうであったという、生前はプラスチックモデルを日本で初めて開発し発売
したことなど一切語られることはなかったという、濱田さんご夫妻には子供さんがいらっしゃらなかった、
それで今は甥っ子さんが今の会社を引き継いでいらっしゃる、その甥っ子さんもご存じなかった、
大阪で日本プラスチックという会社を立ち上げプラモデルを作っていたということは聞いていた、東京でのハマ
ライト時代のことも聞いていた、しかし、日本で初めてプラスチックモデルを開発していたことなど一切聞いたこ
ともなく、まったく知らなかったという、濱田さんは基本的に過去のことはあまり話さず未来志向的なところがあ
ったという、また自慢することを極端に嫌ったという、
あのマルサン商店とはエライ違いである、まあ比べること自体が失礼だろう、
マルサンはいろいろな事実を隠し嘘の証言等で捏造脚色してまで嘘のラモデルの歴史を作り上げてしまった、
そして、その嘘で捏造したマルサンの物語を基にそれを今もビジネスとして成り立たせてしまった、
その嘘もレベルの高い嘘なら騙されもしようが、あのような程度の低い嘘などすぐにバレてしまう、
日本プラスチックの濱田さんはいろいろな玩具メーカー、模型メーカーと関わった、
マルサンと関わっていた可能性もある、当時としてはそれが自然の流れだろう、
しかし、それは決して表舞台に立つことはなかった、影の存在としてプラスチックモデルの発展の基礎を作ら
れた、その濱田さんは10年前に亡くなられた、もう10年前にたどり着いておればご本人に直接その真実をお
聞きすることができたのに、いや、ひょっとしたら、「いや、もう過去のことだから」と固く口を閉ざされたかもしれ
ないが、
プラモデルの歴史だけでなく、いろいろな歴史の本当の真実というものは闇の中に閉ざされているものが多い
のではないだろうか。