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Channel: 明石小五郎の昭和のプラモデル「模型探偵団」
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マルサンの哨戒水雷艇の説明をせよ、

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もうかなりシツコイと言われそうだが、ここは何度もシツコク言わないと全国的に流通しないので、何度も何度

も言わせていただこう、

日本プラスチックを何が何でも否定したいプロのマルサン研究家、並びに模型歴史研究家達はマルサンの哨

戒水雷艇の説明をしなければならない、

そう、その哨戒水雷艇の金型は誰が製作したのか、ということである、

イメージ 1
                                    (昭和34年1月15日 日本模型新聞)


その哨戒水雷艇については今までほとんど触れられたことはない、

某書籍にはこう書いてある、

「何故ノーチラス号だったのか、答えは明快だ、レベル社の製品として世に出ていたから、そして造形がもっと

も簡単だったからである、云々」と書いてある、つまりコピーするにはノーチラス号がもっとも簡単だったからと

言っている、となると、それでは哨戒水雷艇は誰が製作したの?となってしまう、

もうこの時点でプロの方々の論理は崩壊している、

何度も言うように、哨戒水雷艇はノーチラス号よりも複雑で部品の数も多く難しい、なのに、ノーチラス号と同

時発売できたのはなぜ? 

そう、和工のダットサンみたいに、ハッキリ言って、和工のダットサンのほうがノーチラス号より早いのは明らか

である、ただ流通ルートをその時点で持ってなかっただけのことである、

そのダットサンのことはいいとして、

あの伝説の金型職人の方の証言や今までの書籍類を読んでもそのような具体的なことは一切触れられてい

ない、ハッキリ言ってそのことはスルーしている、

なぜ、ノーチラス号と同時に発売することができたのか?なぜ、ノーチラス号のみが第一号だと大々的に宣伝

して発売したのか?それを具体的に説明すべきだろう、

または、誰がその哨戒水雷艇を製作したのかプロの研究家達は説明すべきだろう、

何といっても哨戒水雷艇はマルサンが言うところの、ノーチラス号と同じくプラモデル第一号の製品なのだか

らである、

まあ、プロの方々の能力では無理だろう、あるいはいろいろと隠し事があるのかも。

プロの方々も僕のこのブログはご覧になっているので、ぜひ反論をお願いしたい、

現実的には沈黙を守るしかないだろう、 そう、「この野郎!!糞ジジイ、何で今頃になってかき回すのだ」と陰

で言うだけ。

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