本題に入る前に、ご存じのように?僕は弱い者を叩いたり、いじめたりすることは絶対にない、それは現役の
頃からずっとそう、だから会社からも要注意人物として警戒されてきた(笑)、そう、僕はなぜか弱い人には弱
いのである、媚を売ることなどまづありえない、僕より強い立場にある人を叩くのが好き、そのほうが断然いい
、そう徹底的に叩くのが好きである、今更言うことでもないが、
まあそれを不快に思う方は僕のブログをご覧にならなければいいことである、
それでは本題に入って、
これがなかったら、調査は不可能であった、
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そう、僕に与えられた物は、この東京の電話番号簿と業者名簿だけであった、最初はこの4点の資料のみで
始まった、普通に考えたらたったこの4点のみの資料だけで日本プラスチックの全容を解明するのは絶対に不
可能、どんなに僕の能力が優れている?としても絶対に不可能、奇跡が起きても不可能、まあ、無謀ともいえ
ることだっただろう、僕自身、絶対に不可能だと思っていた、せいぜい日本プラスチックの存在だけでも証明で
きればいいと思っていた、ところがもう奇跡としかいいようがない、そしてまさに時間切れの状況であった、
あと4か月調査が遅れていたら、もう永遠に日本プラスチックのことは葬り去られるところであった、
嘘の「マルサン伝説」が永遠に語り継がれるところであった、
その僕に言わせれば奇跡ともいえる数々を紹介すると、
〇その東京の電話番号簿は11年ほど前にヤフオクで落札したもの、入手した理由は日本プラスチックの東
京営業所の存在を確認するため、もちろん、日本プラスチックの名前は記載されていなかった、
(兄の濱田亨さんの電話番号が記載、ハマライト化学研究所の電話番号が記載)、
だから、当初はその電話番号簿は何にも役立たづ、
その後、このような東京の電話番号簿はみかけない、国会図書館にも蔵書なし、
しかも、この電話番号簿は調査するにはまさにピッタリの年度のものであった、これより早い年度でもダメ、
遅い年度のものでもダメ、これが11年前に入手できていたということが奇跡、
〇「業者名簿」で日本プラスチックの電話番号が判明した、それで東京の濱田亨さんの住所、電話番号を突き
止めることができた、つまり、それが東京営業所の電話番号であった、
そして、濱田貞雄さんが「東京堂模型店」の店主だったことが判明、
この「業者名簿」は〇〇さんからの提供を受けたもの、この出所は渥美産業さんからのもの、
このような「業者名簿」が現存していたことが奇跡、
〇「東京堂模型店」、「大阪化学研究所」の場所を特定できたのが奇跡
その業者名簿の住所で「東京堂模型店」、「大阪化学研究所」の場所を特定したが、その際に利用したのが
「吉田地図」という」会社の住宅地図、大阪府下については昭和34年頃からの住宅地図のデータが残って
いる、これはほとんど知られていない、実はこの「吉田地図」は今となってはどんな会社なのか知ることは不
可能、実はある理由ですでに会社のホームページは削除されて出てこない、同じ名前で「吉田地図」という
会社があるが、それはまったく関係ない別の会社、
実は、僕が日本プラスチックを調べ始めた時はまだホームページが残っていて、そこで昭和の古い住宅地図
のデータがあることを知った、その4か月後くらい後にそのホームページが削除されてない、
つまり、あと4か月僕が遅かったら日本プラスチックの調査は不可能であったということ、これも奇跡?
〇あと4か月遅かったら出会えなかった、火星人さんと出会えたことも奇跡、
あと4か月遅かったら火星人さんとも出会えることはなかった、最後の生き証人と出会えることがなかった、
〇 OS工業㈱さんが新たにホームページを開設なさった、
濱田さんが創業したOS工業㈱さんが今年の2月8日にホームページを新たに開設なさった、
このホームページの開設により僕は濱田さんを突き止めることができた、
このホームページの開設がなければ永遠に突き止めることはできなかった、そうハマライトの東京の電話
番号までは突き止めたが、2月に入ってからその後の行方を突き止めるのが不可能な状況になっていた、
そのホームページを開設なさったのが2月8日、実はこの日は濱田貞雄さんの誕生日なのだという、
社長さんも当初はそのことにはまったく気が付かづ、たまたま開設したのが2月8日だったという、
う~ん、これも何といっていいのか、何か不思議な、
実は僕の父の命日も2月8日であった、(これはあまり関係ないか)
まあ、いずれにしても奇跡に感じてしまう、
ざっとあげても以上のとおりである、
まさに時間切れ寸前の、奇跡中の奇跡が起きたとしかいいようがなかったのである、
それでは最後に、日本プラスチックの全てを否定されている方へ、日本プラスチックのゼロ戦は模型とは言え
ず問屋でもまったく相手にされず試作段階で頓挫し製品とはならず、流通はしていない、日本プラスチック
のノーチラス号はニチモの伊号潜水艦の箱絵をパクってその後に発売したものだ、と否定なさっている方、
もう、なにがなんでも日本プラスチックの存在を否定したい方、
それではアナタは、日本プラスチックの一体何をご存じだというのですか、日本プラスチックの何を調査、研究
をなさったと言うのですか?。